ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

共生社会

2007年12月06日 | これも自分あれも自分
世の中に、いろんな価値観の人が混在しているのと同様に、障害をもつご家庭にも、それぞれにいろんな価値観の人が混在しています。
でも、考えてみれば、いろんな価値観というものは、障害のあるなしに関わらず存在しています。だったら私たちが恐れるのは何なのでしょうか。

いろんな価値観の中に「障害を取り上げないことに不自然さを感じている人」だって存在するはずなんです。このおかしな住み分け社会に、疑問を持ちながら、何かできたらいいのになと思っている人がいるはずなんです。そういう方たちは少数派かもしれないけれど、社会が動かなければ少数派が多数派になる可能性も限られてしまう気がします。
 
 彼女たちは様々な逆風の中を歩いています。同じ「子ども」という個体を育てているはずなのに、そこに「障害」がつくかつかないだけで、どれだけ世間の風当たりの強さを経験してきたのか、私には計ることができません。私があれこれ聞くことで、彼女たちの心をえぐってしまっているのではないかと感じながら、でもどこかでそれを打破しなければ、何も進まない!という信念だけを持ってお付き合いしています。

 私たち個人が、誰かに興味を持ってもらっていろいろと聞かれて、その後に音沙汰がなくなったら。そして、その時話したことが、他の人たちの間で話されていたら、それはそれはショックです。また、始めから遠巻きに見られたり、話しかけられなかったりしたら、これもまた自分に非があるのだと落ち込みますよね。彼女たちは、そんな経験を幾度もしてきています。きっと、私なんか及ばないほど。
 障害をもつ人の家族は健常の親子の気持ちが痛いほどわかるが故に壁を作ってしまい、健常者は、知らないが故に離れてしまうという現状。障害のことをもっともっと浸透させてしまえば、そんな壁も徐々になくなる気がするのは理想郷なのでしょうか?そこには、英語を話す外国人と、英語の分からない日本人の不自然な壁に似たものを感じましたが。

住み分け社会ではなく、共生社会。
少しずつそうなるように、気づいた時から何かを始められたら、理想郷は現実のものとなる気がします。

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