角島に行ってきました。
すごい風で、砂浜には下りられなかったけど、ウインドサーフィンをする人がたくさんいて、気持ちよさそうでした。
エリーも、強い風に大喜び!大はしゃぎ!
サーヤも、風の中でくるくる回って大はしゃぎ!
風が強いだけで、こんなに楽しくできる子どもって、遊びの天才だなぁ。
というか、子どもと遊びは一心同体なんだよね。
遊びは生活そのものなんだよね。
もっと遊びの時間を作ってあげたいなぁ、と思った週末。
習い事の意味、考えてしまった角島の空。
遠く相島方面に心を飛ばしてみた波立つ広い海。。。
すごい風で、砂浜には下りられなかったけど、ウインドサーフィンをする人がたくさんいて、気持ちよさそうでした。
エリーも、強い風に大喜び!大はしゃぎ!
サーヤも、風の中でくるくる回って大はしゃぎ!
風が強いだけで、こんなに楽しくできる子どもって、遊びの天才だなぁ。
というか、子どもと遊びは一心同体なんだよね。
遊びは生活そのものなんだよね。
もっと遊びの時間を作ってあげたいなぁ、と思った週末。
習い事の意味、考えてしまった角島の空。
遠く相島方面に心を飛ばしてみた波立つ広い海。。。
今日は、幼稚園生活最後の運動会でした。
天気は快晴!荷物を運ぶ足は軽快に、でも額には汗が・・・。暑くなりそうな午前8時。
我が子の出る競技だけでなく、ちっちゃなちっちゃな年少さんの踊りや、足腰がだいぶしっかりしてきた年中さんの体操。そして、風貌も、表情も、ずいぶんと大人びて、成長した年長さんのリレー。どの競技も楽しく、どの競技も懐かしく感じました。
入園したての、とぼとぼした足取りだった今の年長さんも、とっても強く、とっても賢く、とってもたくましく成長した姿を見るにつけ、ウルウルしてしまいました。お友達や我が子の走っているときは、カメラなんてそっちのけで、思いっきり大声で声援してました。ちょっと恥ずかしかったけどさ、いてもたってもいられず声を出してたよ。みんな、おとなしくない???私だけ?ハッスルハッスル!?でもいいのさ!と、私はどこでも自然体。感動・感動の運動会でした。サーヤ、お疲れ様。いい思い出をありがとう。
しかし、我が子を撮影するに一生懸命すぎて、おかしな行動になっている人を発見!人間観察ダイスキな私。思わず、写真に収めようかとも思ったが、やめた。
携帯を片手に、「黄色い帽子の子よ、わかった?」と母親らしき人。それも2回も。
たぶん、相手は「了解。」とか言ってたのかな?
おまえはシークレットサービスか!?と言いたくなった。。。どこか違う風になってませんか?気をつけましょう。
天気は快晴!荷物を運ぶ足は軽快に、でも額には汗が・・・。暑くなりそうな午前8時。
我が子の出る競技だけでなく、ちっちゃなちっちゃな年少さんの踊りや、足腰がだいぶしっかりしてきた年中さんの体操。そして、風貌も、表情も、ずいぶんと大人びて、成長した年長さんのリレー。どの競技も楽しく、どの競技も懐かしく感じました。
入園したての、とぼとぼした足取りだった今の年長さんも、とっても強く、とっても賢く、とってもたくましく成長した姿を見るにつけ、ウルウルしてしまいました。お友達や我が子の走っているときは、カメラなんてそっちのけで、思いっきり大声で声援してました。ちょっと恥ずかしかったけどさ、いてもたってもいられず声を出してたよ。みんな、おとなしくない???私だけ?ハッスルハッスル!?でもいいのさ!と、私はどこでも自然体。感動・感動の運動会でした。サーヤ、お疲れ様。いい思い出をありがとう。
しかし、我が子を撮影するに一生懸命すぎて、おかしな行動になっている人を発見!人間観察ダイスキな私。思わず、写真に収めようかとも思ったが、やめた。
携帯を片手に、「黄色い帽子の子よ、わかった?」と母親らしき人。それも2回も。
たぶん、相手は「了解。」とか言ってたのかな?
おまえはシークレットサービスか!?と言いたくなった。。。どこか違う風になってませんか?気をつけましょう。
「乳幼児にテレビを見させるのは、良くないこと」と言われて久しい。確かに。その通りだと思う。想像力を損なうだろうし、人との対話がなくなるし、人とのコミュニケーションがうまく取れない大人になる、、、と言われるのも、よく分かる。子どもが幼稚園に通いだすような年齢になると、テレビを見せる時間を決めればいい。うなづける。ごもっともだ。
「メディアから遠ざける生活を!」
「テレビやビデオばかり見せていたらよくない!」
「もっと、母親との対話を!もっと母親のぬくもりを!」
「抱っこしてあげましょう。おんぶをしましょう!」
様々な雑誌で、冊子で、情報誌で、チラシで、ポスターで謳っています。
はっきり言って、もう、うるさーーーい!!!
悪いこととは分かっています。
子どもの教育にも、成長にも、対人関係を築くにも、よくないことは承知です。でも、その良くないことを良くないからやめなさい、やめたほうがいい、と言うのは無責任すぎるような気がしてきます。どうして、そのよくないことをさせなければならないか。なぜ、悪いと思いつつも、見せてしまう生活になっているのか。その要因については語られず、まるで今の母親はダメ母みたいな言われようには、心底腹が立ちます。そして、「テレビを見せないで!」という文句は、脅迫されているような錯覚にさえ陥ります。見せている私は、ダメな親なんだ・・・、見せちゃだめなのに・・・。という風に、自分を責めるようになってしまい、余計母親を追い詰めます。
子どもが1~3歳だと、一日に何度かは一人遊びに飽きていたり、ただ母親にくっついていたかったり、でも抱っこやおんぶではないという時が、必ずあります。でも、そういうどうしようもない時に限って、母である自分が家事に忙しくしていたり、片付けなければならないことが生じているものです。そんな時、テレビのスイッチをポンとつけるだけで、泣く子は泣くのを止めます。本当に見事に。毎日降ってくる家事のたびに、毎日汗をかき泣きわめく我が子に対峙するよりは、いっときの静けさを求めて何が悪い!?ちょっと片付くまでの間、お茶を飲む間、ご飯ができるまでの間、毎日見せてどこがいけない?いけないと言うのなら、この現状をどうにかしてください。子どもを見る人が、私しかいない、この現実をどうにかしてくださいよ。と、言いたくなった、、今日の午前。ふう。
介護保険に介護サービスのように、子育てをしている誰もが、「この制度は使わなきゃ損よね。」っていう、子守り訪問サービスをしてほしい。できれば国で予算組んで、もちろん無料(税金は支払うが)で。
「メディアから遠ざける生活を!」
「テレビやビデオばかり見せていたらよくない!」
「もっと、母親との対話を!もっと母親のぬくもりを!」
「抱っこしてあげましょう。おんぶをしましょう!」
様々な雑誌で、冊子で、情報誌で、チラシで、ポスターで謳っています。
はっきり言って、もう、うるさーーーい!!!
悪いこととは分かっています。
子どもの教育にも、成長にも、対人関係を築くにも、よくないことは承知です。でも、その良くないことを良くないからやめなさい、やめたほうがいい、と言うのは無責任すぎるような気がしてきます。どうして、そのよくないことをさせなければならないか。なぜ、悪いと思いつつも、見せてしまう生活になっているのか。その要因については語られず、まるで今の母親はダメ母みたいな言われようには、心底腹が立ちます。そして、「テレビを見せないで!」という文句は、脅迫されているような錯覚にさえ陥ります。見せている私は、ダメな親なんだ・・・、見せちゃだめなのに・・・。という風に、自分を責めるようになってしまい、余計母親を追い詰めます。
子どもが1~3歳だと、一日に何度かは一人遊びに飽きていたり、ただ母親にくっついていたかったり、でも抱っこやおんぶではないという時が、必ずあります。でも、そういうどうしようもない時に限って、母である自分が家事に忙しくしていたり、片付けなければならないことが生じているものです。そんな時、テレビのスイッチをポンとつけるだけで、泣く子は泣くのを止めます。本当に見事に。毎日降ってくる家事のたびに、毎日汗をかき泣きわめく我が子に対峙するよりは、いっときの静けさを求めて何が悪い!?ちょっと片付くまでの間、お茶を飲む間、ご飯ができるまでの間、毎日見せてどこがいけない?いけないと言うのなら、この現状をどうにかしてください。子どもを見る人が、私しかいない、この現実をどうにかしてくださいよ。と、言いたくなった、、今日の午前。ふう。
介護保険に介護サービスのように、子育てをしている誰もが、「この制度は使わなきゃ損よね。」っていう、子守り訪問サービスをしてほしい。できれば国で予算組んで、もちろん無料(税金は支払うが)で。
木の葉がのびるのは やわらかいから
若葉がひろがるのは やわらかいから
かすかな風にも 竹がそよぐのは 竹がやわらかいから
年を取って困るのは 足腰ばかりではなくて
頭が固くなることです
心が固くなることです
やわらかいこころを 持ちたいものです
いつまでも心の若さを保つために
・・・とは、相田みつをが、この書に対して補足した言葉
私の、昔からずっと思っていることと同じこと
そして、私の仲間たちは、こんなやわらかい人たちばかりだということ
やわらかいこころの人たちの中にいて、心地よくて、感謝してやみません。
今日、それを感じた午後のコーヒータイム。
若葉がひろがるのは やわらかいから
かすかな風にも 竹がそよぐのは 竹がやわらかいから
年を取って困るのは 足腰ばかりではなくて
頭が固くなることです
心が固くなることです
やわらかいこころを 持ちたいものです
いつまでも心の若さを保つために
・・・とは、相田みつをが、この書に対して補足した言葉
私の、昔からずっと思っていることと同じこと
そして、私の仲間たちは、こんなやわらかい人たちばかりだということ
やわらかいこころの人たちの中にいて、心地よくて、感謝してやみません。
今日、それを感じた午後のコーヒータイム。