ソンクラーン旅行第2日目の続きです。
ムアン・カオ区域のソンクラーンパレードが過ぎてから遺跡公園の東にある「ワット・トラパーン・トーン」へ参拝です。
「トラパン・トーン(金の四角い池)」の中の小島に建っています。寺院に参拝するには、東と北に架かっている橋を利用します。
1284年に建立された仏塔と前後に新しい寺院建築が建っています。仏塔の東(手前)の祠堂には、寝仏と第6代スコータイ国王リタイ王(在位1323~1341年)の命によってスリランカから写しを持ち帰ったと言われている仏足石が安置されています。
橋の入り口では、プラ・クルアンというお守りを売っています。出土したスコータイ時代の寺院へ奉納された磚仏や、現在の寺院でつくられた仏像のレリーフです。ケースに納めペンダントのように首からぶら下げます。ご利益の大きいものを身に着けていると、ピストルの弾でも避けるくらいの力があったり、大きな交通事故に遭遇しても怪我を負うことがないようです。ちなみに、金銭の授受があっても仏様だけに「売り買い」とはいわず、「お借りする」と言い回します。
コーヒー店もあって、アイスコーヒーを飲みながら眺めていると、新しく作られたものは100円前後で、遺跡から出てきたものは1500円と出所や特徴を説明してくれます。ただ、こちらが興味を示さないとだんだん価格が下がって来ます。最後は500円程度になりましたが、丁寧にお断りしました。複製で古色を帯びたのも大量に作られていますから、知識がないと真贋が分かりません。
参考写真のプラ・クルアンです。新作に古色をつけているところです。
「サーン・タ・パー・デーン」と呼ばれる、クメール統治時代の12世紀後半に建立されたラテライト製の祠堂です。周辺からは第21代クメール国王ジャヤヴァルマン七世(在位1181~1220年)統治時代の初期バイヨン様式の神像や装飾品が発掘されています。
ジャヤヴァルマン7世が王位に着く前のアンコールは、ベトナム南部のチャンパ王国に占拠されていました。1181年にチャンパ軍に戦勝し空位になっていた王に即位しました。その後、チャンパ王国へ報復、チャンパを支配下に置き、さらにマレー半島、ビルマ、ラオス方面まで領土を拡大しました。国内では新王都アンコール・トムの建設、バイヨン寺院、タ・プローム寺院、プリヤ・カーン寺院などを建立し、また主要な街道には121か所の宿駅、102か所の施療院を建設しクメール帝国の黄金期を築きあげました。タイ国内にもジャヤヴァルマン7世時代の遺構がたくさん残っています。
ヒンドゥー神の足だけ残っていますが、参拝に訪れる人があるようです。新しい花や線香が供えてあります。ジャヤヴァルマン7世は大乗仏教に帰依していたようです。しかし、ヒンドゥー教を排除しませんでした。
城壁の北にある「ワット・プラ・パーイ・ルアン」を囲む池で、お寺にに供える蓮の蕾を家族で採っていました。
余談ですが、タイには日本のような太いレンコンがありません。年間を通じて次から次へと花を咲かせるために地下茎に養分を蓄える余裕がないのです。しかし、そんな細い根も食べます。茎、実も食べます。葉は食品を包んだり、包んだうえで蒸したりします。花は仏様へのお供えと、すべて利用される有益な植物です。
奥に見えるのが「ワット・タオ・トゥリアン」の本堂基壇で三基の小さな仏塔址のある小さな寺院で、池の北側に位置しています。手前の丸い煉瓦積みは「スコータイ焼き」の穴窯です。寺院周辺にはたくさんの窯址が残っています。
説明では陶器生産活動の終了後に寺院が建立されいます。
窯周辺に散乱する陶片や窯道具です。
寺院周辺にはなぜか小型の穴窯ばかり集まっています。
池の向かいにも窯址があるようです。地表には陶片が散乱しています。また、時々池が浚渫されますが、池底から上がった泥の中にはたくさんの陶片が混じっています。蓮の茂っていた池も陶器生産活動終了後に作られたようです。
こちらにも陶片が散らばっています。少し掘っただけでたくさんの遺物が出るようです。
窯址の裏に広がる農地ですが、窯址を潰したのでしょう。窯壁の煉瓦や陶片が散乱しています。
■浚渫し投棄された泥の中にあった陶片を洗ってみました。700年ぶりにきれいになりました。
白化粧のうえに透明釉をかけた無地碗です。やや青磁色を帯びています。
スコータイの特色である魚文鉢の破片です。
同じく花文鉢ですが、ずいぶん力強い筆致で角張った花が見込みに描かれています。
青磁のテパノンです。たき火跡が近くにあって煤がついています。
青磁色を帯びた小壺です。