シー・サチャナライのソンクラーンです。まず寺院へ参拝します。
午前7時過ぎにワット・パ・ヤーンへお参りです。地元の信者の人々はすでに参拝をしていて、僧侶の読経が始まっています。
お経が終わると僧侶に食事が供されます。
こちらでは集まった「タンブン(お布施)」を僧侶に渡すため分けられています。
午前8時45分、お勤めが終わりました。村人は僧の残した食事を持ち帰り朝食です。
食事で残った水は木に灌ぎます。仏教と合わせ持つ神霊信仰によるものでしょうか。
寺院前を流れるヨム川に埋まっていた古代木で引揚げられて境内に祀られています。根元の径が2m、長さが10m近くある大木で、寺まで運ぶのが大変だったそうです。
仏塔の前に築かれた砂山、聖なる山須弥山を模しているのでしょうか。
「ワット・クディ・ライ」です。ワット・パ・ヤーンとシー・サチャナライ北城門タオ・モー門の間のヨム川に沿って建っています。
南向き寺院で、ラテライトの三角屋根の祠堂と礼拝堂、祠堂の後ろに三基の蓮蕾型仏塔と一基の釣鐘状仏塔の基壇が残っています。
堂内には上部が崩壊した座仏が安置されています。
奥にもよく似た寺院遺跡があります。
祠堂の上部にある角穴は、礼拝堂の屋根を構築していた木材のほぞ穴です。遺跡によっては木材の残っているところもあります。
本堂内には表面を飾っていた漆喰の剥がれたラテライトの座仏があります。
シー・サチャナライ都城壁の北にあるタオ・モー門です。
ヨム川に沿って築かれている都城壁です。
「ワット・コック・シンカラーム」で、11世紀頃にクメール族が興した小国があったとも言われているチャリエン都壁内のヨム川沿いにあって、寺院の南壁は都城壁となっています。スコータイ時代からアユタヤ時代にかけて建立されたラテライトの礼拝堂と3基の釣鐘状の仏塔が一つの基壇の上に東西に並んで残っています。
アユタヤ時代の16世紀に修復され、この寺院がアユタヤに建立された「ワット・プラ・シー・サンペット」のモデルになったとも言われています。
シー・サチャナライ都城へ向かう道路沿いにあって、通り過ぎるだけの遺跡だったのですが、今回寄ってみることにしました。
午前9時30分、遺跡を見終わって友人宅に戻ると朝食が待っていました。