の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

コーン・ケン国立博物館 (3)

2014年04月02日 | 博物館
■コーン・ケン国立博物館に展示されているドヴァラヴァティーの結界石以外を紹介します。
(日本語のガイドブック等は「コーン・ケーン」と記載されていますが、タイ人にどこへ行ってきた聞かれ、後ろを伸ばして発音しても相手は首をかしげるだけで全く通じません、逆に「コーン・ケン」と短く発音しろと注意されましたので表記を変更しました。)

コーン・ケン国立博物館のパンフレットです。

***************

■約10000年から1800年前の先史時代の展示品です。
初期には洞窟に居住し、石器を用た狩猟、植物を採取していました。メコン川流域のチェンカーン(ルーイ)やムクダーハーンからは石器が発掘されています。




チェーンカーンで発掘された石器です。

5000年前には大きな集落ができ、農耕が始まります。海岸部との交易も行われていました。墳墓遺跡からは貝殻から作った装飾品が出土しています。

紡績、捺染も行われていました。

4000年前には青銅器の鋳込みが始まりました。右端の片口は銅を溶かす坩堝です。

腕輪です。

水牛です。玩具なのか儀礼用なのか使途は不明ですが、その後の土器、陶器にも同じ形をした水牛が作られています。

バーンチアンで発掘された青銅製蛙です。

**************

ドヴァラヴァティー時代(7世紀から11世紀)には農耕を主体とした都市国家が成立します。また、ビルマを経由して到来された仏教美術はイサーンの地方色と融合して独自に発展していきます。その顕著なものがチャオプラヤ川流域ではあまり見かけない結界石です。
イーサンで発掘された結界石以外のドヴァラヴァディー遺品を紹介します。
マハーサーラカームの「ウムヤークー遺跡」から発掘された10世紀から11世紀の銀板に型押しされた仏陀像です。
インドのアマラヴァティ、グプタの影響が窺えます。



素焼きの壺に60枚の銀板がはいっていました。

蓮の花を持つ観音菩薩像です。

仏塔の側面を飾った漆喰像です。タイ中部の漆喰像と共通しています。

同じく漆喰像の頭部です。モン様式の特徴がよく表現されています。

テラコッタの磚仏で、仏陀がバラモン僧の非難で仕方なく、シラバスティーで自らの体を増殖させたという説話、「シラバスティーの奇跡」でしょうか・・・。

9世紀から10世紀のテラコッタ製磚仏です。高さ22.5cm、幅14cmの大きなサイズでパーラー様式と解説されています。
マハーサーラカームの「ムアン・カンタラウィチャイ」で発掘されています。

9世紀から10世紀の磚仏です。高さ14cm、幅9cm、マハーサーラカームの「ムアン・ナコーン・チャムパシー」出土となっています。









千体仏の磚仏です。





***************

クメール時代(10世紀から14世紀)
中庭に展示されている楣石です。「クー・スアン」遺跡(ブリラム)出土です。12世紀のアンコールワット様式でアイラーヴァタ象にのるインドラ神です。





「クー・ノイ遺跡」(マハーサーラカーム)出土のシヴァ神像です。12世紀のアンコールワット様式です。全高175cmです。

門衛像の頭部、13世紀のバイヨン様式です。「クー・ノイ遺跡」出土です。

ヴァジュラタラ(執金剛神)坐像、13世紀のバイヨン様式です。コーン・ケンの「クー・ケーオ遺跡」出土です。高さ55cmです。

ナーガに座る仏陀像です。13世紀のバイヨン様式となっています。
「クー・サンタラット遺跡」(マハーサーラカーム)出土です。高さ75cm、幅40cmです。

ヴィシュヌ神像です。

ガルーダに乗るヴァジュラバーニ、13世紀、高さ45cmとなっています。「クー・ケーオ遺跡」出土品です。

野牛に乗るヤマ(閻魔)像です。13世紀「クー・パーン・ナー遺跡」サコーン・ナコーン出土です。

ブリラムで焼かれた褐釉壺です。







***************

ラーン・チャーン(ラーオ語ではラーン・サーン)時代(14世紀から19世紀)
1353年、「チャオ・ファー・グム」が各ムアンを統一して「ラーン・チャーン王国」を建国し、古来からの信仰であったアニミズムを置き換えるために、クメール帝国から上座仏教を導入しました。以来、君主の庇護のもと主要な宗教として支えられてきました。
1500年、「チャイチェッター国王」は、チェントーンがビルマの属国となったチェンマイと国境を接しており、ビルマからの脅威を避けるためヴィエンチャンへ遷都しました。
チェントーンはラーン・チャーンのシンボルであった仏陀像の名前にちなんで「ルアン・プラバーン」と改名されました。
1707年、「チャイチェッタラチャ2世」の統治時代にルアン・プラバーンが独立、2国に分離します。
1714年には「チャンパサック」が独立します。
1778年、3国に分かれたラーン・チャーン王国はシャム王国に併合されメコン川右岸をタイに帰属させます。その後メコン左岸はフランス植民地を経て、ラオス人民民主共和国となります。

現在のメコン川は国を隔てる大河になっていますが、かってはメコン川に沿ってラーン・チャーン
王国が栄え、独自の仏教美術を発展させています。ルーイのメコン川沿いにある「ワット・フアイハーオ」やノーンカイノの「ワット・プラタート・バーンプアン」からポーティサラ王(1520~1547)統治時代の石碑が発見されていますが、メコン川右岸への文化の普及した正確な時代は定義されていません。



青銅製立仏像です。解説には15から19世紀と非常に長い期間で書かれています。



コーン・ケンの「クー・ケーオ」から出土した銀張り仏陀像です。やはり15から19世紀に比定されています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿