の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

サンクラブリーの旅(スリー パゴダ パス)

2022年08月20日 | カンチャナブリー


タイ西部に映画「戦場にかける橋」で名を馳せたカンチャナブリーがあります。と言ってもこの映画は1957年の上映、私はその後のテレビ放映とタイで売られていた海賊版DVDで見た記憶があるものの、知っている人の方が希でしょう。
バンコクから「戦場にかける橋」クウェー川鉄橋までアウターリング道路、タリンチャン交差点から国道338号線、国道323号線を西へ走り175kmです。国道323号線を西へ27km行くと最西端のクメール遺跡ムアン シンへ通じる国道3455号線があります。交差点からムアン シンまでは約7kmです。
この辺りから国道323号線は北西に向きを変え、110kmで1984年に完成したワチラワンコーン ダム湖(カオレーム湖)の東西に分かれる国道3272号線との三叉路です。国道3272号線はしばらくカオレーム湖に沿って南下した後、山中を西へ走りミャンマー国境の村ピーロックに至ります。カオレーム湖の東を北上する国道323号線をさらに90km行くとスリー パゴダ パス(三仏峠)、ミャンマーとの国境です。

少し古くなりますが2020年9月9日(水曜日)から、コロナ行動規制も緩和されており、3泊4日でカンチャナブリーの国境の町、サンカブリーへ出かけてきました。

カンチャナブリー市街手前で午前10時半前ですが、朝食と昼食を兼ねた食事です。ここを通れば必ず立ち寄るタイ素麺(カノムチーン)屋さんです。











この湯がいた麺を丸めている老婆は実に無愛想なんですが、四日後の帰路に立ち寄ったときに「どこへ行ってきた?」と話しかけてきました。オーッ、覚えていたのだと感心するやら、感動するやら見直した次第です。


午後3時に三仏峠に到着しました。
雨期後半で到着するやスコールの襲撃です。
小さな仏塔が三基並んでいます。メークローン川沿いやチャオプラヤ川水系沿いに5世紀から11世紀に栄えたモン族の環濠都市とミャンマーを結ぶ交易路であったと考えられています。
第二次大戦中は日本軍が軍事物資輸送のために全長415kmの泰緬鉄道を建設、三仏峠を越えていきます。日本の敗戦後はイギリスが再び植民地としたシンガポール港の利権を確保するため、再び植民地としたミャンマー側の鉄道全線とタイ側の2/3を撤去しています。







国境はコロナ感染拡大防止で閉鎖しており、仏塔を囲むようにミャンマー人の経営する土産物店も殆どが門を閉ざしています。豪雨の合間に撮した写真も少なく、過去訪問時の写真を掲載しておきます。


2004年の撮影ですが、仏塔越しに見えるミャンマーの国旗は、現在の国旗が制定される以前のものです。






こちらはかってのイミグレーションと輸入貨物の検査場です。ミャンマーから運び込まれるのは木製品と宝飾品が主品目のようです。
検査と言っても積み荷の回りを見るだけの形式的なものです。






2002年4月に広瀬隆氏と日本人有志の方々によって、この地で亡くなった日本兵や鉄道建設で犠牲となった人々の慰霊のために建立された国境平和祈念堂「星露院」です。周辺の洞窟2ヶ所では約130人の日本兵が自決し、カオレーム湖には日本兵4,500人の墓が水没しています。

永瀬隆氏は昭和18年から終戦までカンチャナブリー憲兵分隊の通訳として泰緬鉄道の建設に関わっておられました。
工期1年3ヶ月の突貫工事は12,000人の日本兵と連合軍の捕虜6万余人、「ロームシャ」と呼ばれた東南アジア各地から公募された10万人以上の労働者が投入されましたが、過酷な労働による事故や雨季に発生したコレラ、マラリヤ等の伝染病で正確な資料は残っていないが、50,000人以上が犠牲となっています。
終戦後はビルマから退却してきた瀕死の日本兵を国境の村人が助け、亡くなれば手厚く埋葬をしてくれました。またタイにいた12万人の投降兵が帰国するときには、帰国後の日本の食糧難を心配したタイ政府から全員に飯盒一杯の米と砂糖が贈られています。
永瀬氏は帰国後の1963年からは泰緬鉄道建設の犠牲者の慰霊活動やタイ人の温情に報いるため135回のタイ巡礼をし、カンチャナブリーとメーホーンソーンに慰霊堂の建立、貧困家庭や少数民族の子供達のための奨学金設立や学校、診療所、老人ホームの建設などを行って来られました。




国境ではミャンマー製の木製品や宝飾品がお土産として売られています。喫茶店や食堂も並びます。
店先はタイ側に開いていますが、店の裏扉を開けるとミャンマーになっています。




この2枚の写真は2009年撮影ですが、ミャンマー内紛の政情不安で国境は閉鎖されています。メーソットではミャンマーから砲弾が市場に飛来し、タイ軍も反撃していました。
国境柵の向こうには泰緬鉄道の一部を設置しています。実際の鉄道は下の1959年版の米軍地図に示されているレールロード(赤色)は仏塔より少し西を走っています。

この地図には三仏峠までの国道323号線やカオレーム湖はまだ出来ておらず、レールを撤去した道床が道路として使われています。



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