の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ペックのコレクション展を見に行く(4)

2015年06月06日 | 陶磁器(タイ)

コレクターのペック氏です。

パ・ヤーン窯で生産された寺院装飾、建築資材です。

格子に白化粧を施し、鉄絵で花文が描かれています。用途はわかりませんが、大きな曲率を持っています。

下の写真はパ・ヤーン窯跡を歩いているときに拾った陶片ですが、格子に花模様、大きな曲率から展示品の端末部分になります。破断面の緋色から焼成中に割れたことが分かります。



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16世紀のパ・ヤーン窯で生産された白釉褐彩の製品群です。



焼成中に窯壁が崩れ、小壺を巻き込んでしまいました。窯跡に投棄されていた遺物です。

カンボジアで出土した白釉褐彩唐草文双耳壺です。共蓋になっています、展示品は確認できませんが、通常蓋付は口縁部の釉薬は拭き取られています。
胴径11.3cm、高さ10cmの小品です。

鉄釉で絵付けをしたケンディーです。白釉褐彩は絵柄を陰刻したうえで掛け分けしますが、本品には陰刻が施されていません。
胴径8.5cm、高さ7.5cmの小品です。

このケースは白釉褐彩の合子が中心に展示されています。
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鉄絵の製品群です。左の大きい瓶で高さは18・5cmです。

鉄絵水注です、胴径11.5、高さ11.7cmです。











青磁ハムサの水注です。胴径17cm、高さ18.3cm、15世紀の作です。







ぐい飲みにちょうど良い大きさです。
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各種の燭台です。





6頭の象が支える燭台です。基台に小象が配置されています。

将棋の駒です。各地の古窯跡から出土しています。




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「SUKHOTHAI AND SI SATCHANALAI CERAMICS」の一部です。左ページはカンボジアで発掘された、16世紀、パ・ヤーン窯で造られた鉄絵鳥文瓶です。胴径16.4cm、高さ23cmですが、特殊なのは、首部が破損し青銅によって補修されています。陶磁器が貴重な時代で、大切に使われていたようです。




ペックのコレクション展を見に行く(3)

2015年06月05日 | 陶磁器(タイ)





寺院に奉納された塼仏です。発掘された磚仏はお守りとしてケースに入れて首からぶら下げています。
展示品は、14世紀から15世紀に作られたもので、特にワット・パーヤ・ダムからは大量に発掘されました。
二年前には発掘調査されていたチャリエンのワット・プラ・シー・ラタナ・マハータートからも大量に出土しています。







塼仏の凹型です。右はクメール様式のナーガに守られて瞑想する仏陀です。チャリエンには、モンからクメールへと続く遺跡が残り、クメール統治時代の磚仏も出土しています。

こちらは騎馬人物像の凹型です。
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この陶板は都市遺跡「サラチット」のサトウキビ畑から出土したもので、僕のコレクションです。
上の型から成形されたもので、型に着いた細部の傷まで写しています。

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陶製の仏陀です。大きな螺髪はモンの名残りでしょうか・・・。

仏陀の頭部です。右は白く発色していますが、コ・ノーイ窯の青磁です。

豊満な肉体の乳飲み子を抱く婦人像です。シィア・カバーンと言う精霊をとり払う儀式に使われて、首が折られたために、別の頭部を接合しています。

白釉褐彩の華人です。高さ22.4cmの大きな像です。16世紀のパ・ヤーン窯で焼かれています。右手の錫杖、または団扇、左手の水壺から神仙像では、と推測されています。





華人の水滴です。15,6世紀には華人の人口がかなり増加していたことが窺えます。窯業にも華人が関与していました。

白釉鉄彩のテパノン(天人)です。
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スコータイ窯の寺院装飾です。高さ32cmです。

スコータイ窯のヤックの顔です。

これも珍品の小さなナーガ像です。スコータイ窯で焼かれています。

パ・ヤーン窯の白釉鉄彩テパノン頭部です。
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16世紀のパ・ヤーン窯のナーガです。全高60cmで、スコータイのワット・バン・ノン・リエン遺跡の出土品です。



澄んだ青色の青磁キリン像です。サンカロークでは陶製人形や動物像が大量に生産されています。麒麟、獅子などの聖獣もあります。
高さ9.7cm、15世紀の品です。

16世紀にパ・ヤーン窯で焼成された青磁カメの群れです。
サラチットの都市遺跡からよく出土します。現在は畑地となっている古代都市跡ですが、かって農地は牛によって鋤かれていました。しかし、近年はトラクターによる耕作で、より深く土が掘り起こされるようになり土中の遺物が地表に出てきます。
大きなものは破損しますが、人形や小壺などは無傷で日の目を見るようです。



カエルです。

トリです。

イヌです。高さ22.5cmの大型犬です。
胸には2列でボタンが並び、服を着ているようです。口に孔があって注ぎ口になっています。

ネコのようです。ユーモラスな作りです。

サル(?)です。

青磁騎馬像です。
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二輪車に乗る人物像です。二輪車を牽くのは牛、それとも馬・・・?



6名の戦士が壺を担ぐ、全高12cmの小品です。

象と象使いです。右の象は脚を曲げています。高さ10.3cmです。

人物像です。男女が抱き合う姿、相撲をする2人、中央は楽器をたたく人物です。後方の華人は水滴です。

抱かえているのは犬です。犬は首輪に鐘をぶら下げています。高さ9.3cmです。

膝を抱かえる女性です。前にいるのはカエル?

授乳をする女性です。

鶏です。

ウサギです。

白釉のウサギです。どちらも水滴です。

白釉褐彩蟹形蓋付小壺です。蓋は別物を合わせています。

褐釉のカニです。

これも褐釉蟹形蓋付小壺です。キン・マークに用いる石灰「プーン」入れとして使われたものが多いようです。

フグの水滴です。海に遠いサンカロークですから、フグは川に生息する川フグです。

川フグの水滴です。

やはり川フグです。いずれも釉薬として白褐釉が用いられています。
16世紀のパ・ヤーン窯で造られました。

褐釉と青磁釉のシカです。お釈迦様の初説法に耳を傾けるサルナートの鹿です。
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タイの古窯配置図です。

ペックのコレクション展を見に行く(2)

2015年06月03日 | 陶磁器(タイ)

ペックは昨年「SUKHOTHAI AND SI SATCHANALAI CERAMICS」を上梓しました。242ページの豪華装丁本です。
展示品は、本に掲載した陶磁器を中心に構成されています。

初期サンカロークの無釉壺です。「サンカローク窯研究保存センター」内にあるタオ・61(61号窯)から大量に出土し、地元では無釉壺を「タオ・61」と呼んでいます。
ヨム川のコ・チェックの鉄分の多い陶土で細身に成形されています。頚と底縁周囲にライ・ウーと呼ばれるワラビ状のひもが貼り付けてあります。

タオ・61です。肩に耳のような突起がたくさん並んでいます。器形はスパンブリーのバン・バーンプン窯の影響を示しています。

タオ・61の無釉壺です。口縁部は破損していますが、非常に珍しい、肩にワニ、カメ、サカナの象形が貼り付けてあります。
胴部に陰刻された波文、肩から頚下までの印花文はクメール陶やバン・バーンプン窯からの技術移入がうかがえます。
高さ31.5cm、胴径21.6cmとなっています。この大きさで現存するのは、出土品で骨壺として用いられたものが多いようです。

右はカメが剥がれています。

カメと向かい合うワニです。

サカナを捕えたワニです。

特殊な形の壺です。広口の周りにさらに4本の口が伸びています。また、その間には絡み合う2頭の象が彫刻されています。宗教儀式に用いられたものでしょうか・・・。
サンカローク窯研究保存センターには、よく似た壺が2点展示されています。
高さ35.5cm、胴径25.8cmで14世紀から15世紀の生産としていますが、私見では13世紀まで遡ってもよいかと考えます。
(酷似した2点は2013年9月25日にアップした「サンカロークの古窯址 (1)」に掲載しています。また、タオ・61の無釉陶器は10世紀から11世紀に始まったと考えます。)


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モン(MON)陶です。コ・ノーイ窯の初期の陶器です。鉄分の多い陶土に白化粧に木灰釉を掛けています。平底で口縁部の釉薬は拭き取られ、口縁部同士、底同士を重ね合わせて焼成しています。
モン陶の生産時期は当初、9世紀から10世紀と考えられていましたが、その後のコ・ノーイ窯発掘品の科学調査が13世紀を示したことにより、生産開始時期が10世紀から11世紀に改められています。
さらに、近年は難破船の調査も進み、様々な積み荷から難破時期が絞り込まれ、陶磁器の製作年代が解明されています。モン陶は、パタヤ南方沖のラン・クウィアンの琉球船やベトナム中部のソーン・ドックの積荷に含まれており、ラン・クウィアンの難破船は発見された4834枚の中国銭から、明朝初期の海禁令が施行された1380年から1400年とみられています。
どちらの難破船にも高台付のサンカンペーン青磁が含まれています。また、積まれたベトナム陶器からは、鉄分の少ない半磁器に白化粧を施し、コバルトを用いた青花が、すでに生産されていたことが分かります。

1325年以前は積荷の陶磁器は中国製品が100%でしたが、ラン・クウィアンやソーン・ドックではタイ、ベトナム陶磁器が50%から70%となり、1430年頃には中国製陶磁器は30%、1400年末にはわずか5%ほどになり、海禁令による時代背景を証明しています。

モン陶です。焼成中に窯が破損したのでしょうか、珍しい酸化焼成で褐色に発色しています。

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1400年を過ぎると、コ・ノーイ窯の窯業技術は、短期間で飛躍的な発展をします。
背景にはモンゴルの侵入で崩壊した南宋から、窯業従事者を含む難民の移住による窯業技術の伝播。カオ・シーラーンの良質な陶土発見などが考えられています。
いづれも15世紀の青磁です。








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サンカロークの鉄絵です。15世紀に生産されています。見込みに置台の爪痕が残ります。サンカロークの初期の鉄絵は短期間ですが、置台を用いた重ね焼きをしています。



上写真の左側に置かれた皿の底面です。高台には窯印が鉄で描かれています。裏面にも花模様が描かれているのは珍しいです。





15世紀のスコータイ窯です。直径23cm、高さ8cmとなっています。

1340年代になるとスコータイで寺院建設が盛んになり、寺院装飾などの建築資材の需要が拡大します。スコータイ都城の北に窯が築かれます。
1380年から1440年には輸出陶器が大量に生産されます。
本品は16世紀のスコータイ窯の鉄絵蓋物です。直径19.5cm、高さ22.5cmです。透明釉が薄く、鉄絵が赤く発色しています。


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16世紀のパ・ヤーン窯の白釉製品群です。

壺口辺に貼り付けられていたリスです。

白釉蓋付三耳小壺です。地元ではタオ・ヤック(ヤック窯)と呼ばれる、ヨム川に近い区域で焼かれていました。パ・ヤーンの窯跡を歩いてみると、散乱する陶片から、区域ごとに焼成された製品が異なるようです。