映画「ゴッホ 最後の手紙」を見た。
この作品は実写で撮ったものを125人の画家たちがゴッホのタッチに似せた絵で全編を作り上げた力作である。
1秒のシーンを作るのに、6枚もの油絵を使ったという…
制作にかけた手間という点ではこの作品は今まで作られたどの映画よりもかけているのではないか。
映像はすべて「動く油絵」である、しかも、それはまるでゴッホ自身が書いたのではないかと思うほど彼の作品に似せて作られている。
物語はゴッホが生前親しくしていた郵便局長ルーラン(彼が肖像も書いている)の息子が、父から託されたゴッホが弟のテオにあてた最後の手紙を届ける、というもの。その旅の過程で、テオがすでに死んでいることを知り、また、様々なゴッホを知る人々と話をするうちに、ゴッホの人柄、そして、その死の真相に迫っていく。
ゴッホのことを調べていると、いまだに自殺という風になっているのが主流である。
だが、それにはあまりにも不自然なことが多く、実は僕もこのことに関するアメリカのドキュメンタリー番組で、彼の死因を徹底的に科学的に検証したものを見ていて、ゴッホの死因はほぼほぼ間違いなく故意かアクシデントによる事故死であることは間違いないと考えるようになった。
この作品も実際に、ルーランの息子がこのようなこと(ゴッホの手紙を届ようとした)をしたかどうかはわからないが、それ以外の部分の事実関係に関しては史実通りになっている。なので、作品そのものがミステリー小説のような仕上がりになっていて、見るものを見飽きさせることもない。
ただ、一つ僕が知らなかったことがあった。
それはゴッホのオーヴェール時代の主治医であったガッシェが、ゴッホの死の前、彼と激しく口論しその際に、医者として、人間として言ってはならないことを言い、それがゴッホの死の原因になった、ということだ。
ゴッホは生前、画家としてはほぼ無名に近く、生前その生計は弟のテオからの仕送りでたてていた。
彼自身、そのことでテオにひどく引け目を負っていた。
ガッシェはゴッホとの口論で感情的になったあまり、取り返しのつかないことを言ってしまった。
それは、テオは梅毒を病んでおり、これ以上ゴッホが苦労を掛けるとテオの死期を早めるだろう、というものだった。
ゴッホは普段からそのことを気に病んでいたうえに、ガッシェからそのような話を聞いてショックを受け、突如口論をやめて立ち去る。
…ガッシェがゴッホが致命傷を負い宿で休んでいると聞いたのはその直後のことだった。
この部分が史実か脚色かぼくにはわからない。ただ、この作品の他の部分がほぼ史実通りに描かれていることを考えると、たぶんこの話も実際にあったことなのだろう。
今日僕が調べていると、兄が負傷したことを知りかけつけたテオの前で、ゴッホが「このまま死んでいければいいんだが」と述べたということを知った。
これは言うまでもなく、ゴッホが自殺をしたからではなく、普段からテオの世話になっていることに負い目を感じていたゴッホが、自分が死ぬことによってこれ以上テオに負担をかけなくて済むようになる、と考えたうえでの言葉である…
ゴッホの死因についてだが、詳しい話は省くとして、ある日ごろから問題ある人物の軽率な行動にその原因があった。
にも拘らず、おそらくその人物がまだ若かったからだろう、将来を思ってゴッホはすべて自分がやった、つまり自殺を図ったと言った。
このあたりの行動がいかにもゴッホらしい。
正しい人、心優しい人がむごい目に合うことは、この世ではよくあることだが、僕はゴッホの人生を思うときほど、この世の持つ理不尽さ、不条理を思わないではない。
しかも、ゴッホがなくなった時に前後して、彼の作品はようやく一部では評価され始めていたということを知るにつけ、もしこの「事件」がなければ、彼は長い苦労の果てにようやく成功の果実を味わうことができたのにと思うと…無念で仕方がない。
それにしても思うのは、ゴッホの弟のテオとその妻、ヨーの偉大さである。
成功するかどうかも分からない兄を生涯支え続けたテオ、そして、夫が生活費のかなりの部分をゴッホに送っていることを許していたテオの妻、ヨー。
本来ならゴッホを厄介者扱いしても全然おかしくない。それにもかかわらず、ゴッホの死後、夫との間に交わされた手紙を読んで、ゴッホの魂の美しさとその内容の価値に気づき、二人の文通を出版したのはこのヨーである。
それを思うとき、ゴッホの偉業はひとり彼の作品だけではなく、彼を支え続けたテオとその妻ヨーの3人の偉業であるということがわかってくる。
誰一人かけても、今日のゴッホはなかった。
まっすぐ前を見て歩き続けた男、信じるということをただ一途につらぬいた男、人が生きていくということの意味をひたむきに信じ続けた男
ひとことで彼の印象を言うと、このような言葉に凝縮される。
あなたはゴッホの自画像をまっすぐ直視できるだろうか?
そしてこういえるだろうか、あなたと同じように、まっすぐ、ごまかさず、あきらめず、妥協せず、要領を使わず、誠実に、一日一日を生きています、と。
僕はこの作品を見て、一つ大いに慰められたことがある。
それは、彼が自ら命を絶ったのではなかったということだ。
彼はまだまだ描きかかった、まだまだ、自分の可能性を証明したかった、そしてそれはいつか必ず証明されると信じていた、ということを改めて感じたからだ。
それは大いなる慰めである、僕にとっても、そして何よりもゴッホ自身にとって。
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