僕は20代前半、芥川の作品に心酔していた。
ここ最近、人間の「運」というものについてずっと思い続けていて、あぁ、芥川にもたしかそれをテーマにした作品があったことを思いつき、本当に久しぶりに読んでみた。
よんでみると…とてもいい。
文字通り「運」と題されたその作品は、地味で、それでいて人間とそれを取り巻く「運」というものの不思議さ、深遠さというものを見事に浮き彫りにしている。
初めてこの作品を読んだときは、正直言ってよくわからなかった。それも無理はない、あのころの僕はまだ20代前半だった。
芥川がこの作品を書いた時はいくつだったのか、今ざっとだが計算してみると、なんと23歳ぐらいである!
弱冠23歳で…これほどのものが書けるとは…的確にも彼を「鬼才」と評したのは三島由紀夫だったが、まさにその呼称にふさわしい作家だとおもった。ふつうこれほどのものを書くには少なくとも40代から50代にはなっていなくてはならないと僕は思う。
長いのでもちろん全文を引用するわけにはいかない。
なのでかいつまんで紹介したい。
時代は江戸時代かそれ以前、封建時代であろう。
舞台は清水とあるから京都、清水の参道沿いにある陶工の店の中。
そこで若い侍が仕事中の年老いた陶工とまじわした会話の中でこの物語はつづられていく。
若い侍が、清水の観音様にまつわる面白い話はないか、と聞くと陶工はおもむろに口を開き昔話を語り始める。
昔、ある親子がいた。母親と娘である。
あるとき母親がなくなり娘一人になった。娘は心細くなり清水の観音様に願をかけにいき、何日間かこもった。
いよいよ満願の日、娘は不思議な声を聴く。
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「お爺さんなんぞも、この年までは、随分いろんなことを見たり聞いたりしたろうね。どうだい、観音様は本当に運を授けて下さるものかね。」
「左様でございます。昔は折々、そんな事もあったように聞いておりますが。」
「どんな事があったね」
~中略~
「神仏のお考えなどと申すものは、あなた方ぐらいの御年では、なかなかわからないものでございますよ。」
「それはわからなかろうさ。わからないから、お爺さんに聞くんだあね。」
「いやさ、神仏が運をお授けになる、ならないと云う事じゃございません。そのお授けになる運の善し悪しと云う事が。」
「だって、授けてもらえばわかるじゃないか、善い運だとか、悪い運だとか。」
「それが、どうも貴方がたには、ちとおわかりになり兼ねませうて。」
「私には運の善し悪しより、そういう理屈のほうがわからなそうだね。」
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こういう感じで二人の会話は核心部分に入っていく。
その娘が満願の日に聞いた観音様の声は次のようなものだったという。
「ここから帰る路で、そなたに言い寄る男がある。その男の言うことを聞くがよい。」
そうして清水寺を出て帰る道すがら、案の定、後ろから男が忍び寄ってきて云う事を聞けという。
娘はあぁ、これが観音様のお告げにあった男だと思い、怖いながらも言うとおりに従った。
それからこの二人はねんごろになり、夫婦になった。
男はちぎるしるしに娘に、綾と絹を十疋ずつ与えた。
やがて男が出かけたので、なにげなく連れ込まれた塔の奥を見ると金銀財宝がたくさんあった。
娘はあの男は盗賊に違いないと思い逃げ出そうとした。
そのとき部屋の隅の方からおばあさんが出てきた。あの男の身の回りの世話をしていたおばあさんであった。
娘は逃げ出そうとすると、騒がれると思っていったんは思いとどまった。
しばらくするとそのおばあさんは横になって寝静まってしまった。
その時をチャンスと思い娘は逃げ出そうとするのだが、何かにつまずいてしまい、おばあさんに触れてしまう。
おばあさんは事の次第を悟り大騒ぎして、必死の思いで娘を止めようとした。
娘も必死に逃げようとして掴み合いになったが、そこは若い娘が勝りおばあさんを突き飛ばしたところ、打ち所が悪かったのかそのままおばあさんは死んでしまった。
のちにその盗賊は捕まってしまう。
娘はその後どうなったかというと、その時にもらった綾と絹で何か商売を起こして成功し、祈願した通り何不自由のない暮らしを手に入れたという。
ここでまた原文に戻ろう。
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「~略~
まことにその話を聞いた時には、手前(陶工)もつくづくそう思いましたよ。」
「何とね。」
「観音様に願をかけるのも考え物だとな。」
「だがおじいさん、その女は、それからどうにかやっていけるようになったのだろう。」
「どうにかどころか、今では何不自由ない身の上になっております。その綾や絹を売ったのを本(もと)に致しましてな。観音様もこれだけは、お約束をおちがえになりません。」
「それなら、それぐらいな目にあっても、結構じゃないか。」
~中略~
「人を殺したって、物取りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。」(侍の言葉)
青侍は、扇子を帯へさしながら、立ち上がった。
翁も、もうひさげのみずで、泥にまみれた手を洗っている。--二人とも、どうやら、暮れていく春の日と、相手の心持に、物足りないなにものかを、感じているような様子である。
「兎に角、その女は幸せ者だよ。」
「ご冗談で。」
「まったくさ、お爺さんもそう思うだろう。」
「手前でございますか。手前なら、そういう運はまっぴらでございますな。」
「へええ、そうかね。私なら二つ返事で、授けていただくがね。」
「じゃ、観音様をご信心なさいまし」
「そうそう、あすから私も、おこもりでもしようよ。」
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ここで作品は終わる。
いうまでもないことだが、芥川はもちろん観音信仰やその他すべての信仰を誹謗しているのではない。そんなことは全く彼の意中にはなく、この作品のテーマとは関係がない。
ここで扱われていることは、運命・Destiniyというものの底知れぬ不可知さ、凄み、もっというと、この世そのもの、さらには、この世を創造したものの得体のしれない不思議さ、謎…といったものではないだろうか。ちょうど、あの中国の古典「塞翁失馬」にも描かれていたように。
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