【テレ東音楽祭】LOVE,HOLIDAY.~AMBITIOUS JAPAN!/TOKIO【生歌】
TOKIOの城島リーダーと松岡くんが30日、
都内で行われた『新生!ふくしまの恵み発信事業』新CM発表会に出席。
CMキャラクターとして、福島県産の農産物の安全と魅力をアピールして4年目となるTOKIOだが、
これまでの出演料が「0円」であることを同席したクリエイティブ・ディレクターの箭内道彦氏が明かした。
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こういうニュース大好き!
当然なのかもしれないけど、
なかなかそう簡単にはできない場合もあるよね、
特に大きい事務所だといろいろありそうだし、
スタッフもたくさん関わるしね。
何かを地道にやり続けてるTOKIOも好き!
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TOKIO | |
(株)ジェイ・ストーム |
ここ名古屋でも、
4年前のあの日を境に、
生活が一変した。
電力消費量と発電所負担を試算の上、
友人の会社は、平日が休日に、土日が勤務日となり、
我々の会社でも、
ささやかながら、蛍光灯が間引きされ、エアコンの設定温度が変わり、
皆が電気の貴重さを身をもって痛感し、電力をいかに節約できるかを考えた。
あれから4年。
明るい夜の街はうれしくありがたいけど、
果たしてこれでいいものなのか、
とふと思う、
夜の名古屋駅前。
ビートたけし著『ヒンシュクの達人』(小学館新書)より。
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(震災直後の2011年3月21日発売『週刊ポスト』のインタビュー)
なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。
ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。
だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。
今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。
どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。
地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え!テレビ特捜部』の収録があって、スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。所と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。とてもじゃないけど笑えないよってさ。
よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。
オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね。
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。
だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。
逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。
それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。
人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。
オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。
今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。
そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。
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限りなく共感。
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ヒンシュクの達人 (小学館新書) |
ビートたけし著 | |
小学館 |
3月12日いつもどおりの朝。
震災から丸3年。
報道各社、3年が経過しても遅々として進まない復興の現況を伝えている。
きっとそれは紛れもない事実なんだろうけど、
3年経ったからっといって、このときばかり震災地を訪問、被災者の方々へゲリラ的にインタビュー。
今も瓦礫が残り、または瓦礫処理されてはいてもいまだ荒涼とした被災地の映像を流し、
「3年前と全く変わってない」、とコメント。
その言葉に白々しさを感じてしまうのは私だけか。
報道って難しい。
伝えたい思いが強ければこそさらに。
さて、かくいう自分はといえば。
地に足をつけしっかり生きているだろうか。
今一度我が身を振り返る。
3月11日。
震災から2年。
今、
2年前と同じ場所で
いつもとまったく変わらぬ空気感の中にいて、
もしかしたら何も起こらなかったんじゃないかと、
思ってしまうほどの普段通りの日常。
連日、日本のどこかで発生している地震のニュースがテロップに流れる瞬間、
これは2年前の大地震の余震なのか、
それとも今後発生するやもしれぬ地震の予震なのか?
とそのとき、
2年前の記憶が生々しくよみがえってくる。
2年前、1年前 の日記を今読み返してみて、
時間の経過とともに鎮火しつつある自分の思いに
後ろめたさを覚える前に、
意思半ばで失った命を無駄にすることのないよう、
自分の立場で考えるべきこと、
自分の立場でなし得ること、
について
もう一度静かに思ってみよう。
あの日から2年。
連日特集番組が組まれていて、
情報が公表されればされるほど、
現況を知れば知るほど、
どんな言葉も意味がない、
ということをあらためて実感する。
今の自分としては、
中村桂子先生の生命誌絵巻的着眼と発想
が救い。
確実に日本が一つになったあの日から18か月が経った今、
果たして私たちは同じ思いを持ち続けられているだろうか。
数えきれない犠牲者の命を無駄にしてはいないだろうか。
縦割りでもなく、
横割りでもなく、
愚かな欲を捨て、
これからも東北に住み続ける人本位で、
一刻も早く、
とはいえ近視眼的にならず、
希望にあふれ将来を見据えたヴィジョンを持って
復興が進むといい、
と切実に思います。
合掌。
チーム・アミューズ!!「Let's try again」
今ここで、
チームアミューズ!
それにしても、幅広いアーティスト抱えてるね、
アミューズって。
すごい勢いある!
1年と約6週間。
忘れてたわけじゃない。
でも、
ずっと同じ強さの
思いでい続けることは結構難しい。
浮かれることへの罪悪感も、
正直ある。
人のためになることをするべきだ、
さて、何ができるだろう、
とあれこれ悩む前に、
まずは祈り続けてみる。
花は咲くプロジェクト/「花は咲く」ミュージックビデオダイジェスト
キリン CM サッカー 私たちは2011年を忘れない
今このタイミングで見ると、
あらためて心に染み入る。
恥ずかしながら、
年末の多事多忙と私事に追われ、
9ヶ月目の祈りをスキップ、
そして今新年を向かえ、
改めて自分と自分を囲む社会とのつながりについて思う。
いかに、自分が人々の力で生かされているか、
ってことに、思い知らされる。
1人の人間として。
1人のオトナとして。
1人の日本人として、
自分はちゃんと責務を果たしているのだろうか。
国民として最低限の三大義務は、とりあえず形式上果たしてはいるものの、
本当に大切なことは、別の次元。
正解のない問いだけど、
正解のない問題だけに、個人の哲学を問う人生の課題。
じっくりのんびり、あらためて考えてみようか。
誰かを支えたり、
助けたりするには、
自分に十分なパワーが必要だ、
ということを実感する。
なによりまずは、自己管理から。
Renee Fleming - "Lascia ch'io pianga" (私を泣かせてください)