KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

嵐すさぶときも

2006-12-18 | KOFUKU日記
公演の準備も架橋に入った。
いろいろな事が押し迫り、ままならないことも多々ある。
時に緊迫した環境になるときもある。
今回は今までと違い、仲間内で公演するといっても形態が違いすぎ、
私には本当にいろいろと大変なのだ。
時に嵐に巻き込まれて命を落としそうになる。
何もかも嫌になりかけて、ああもう巻かれてしまえ!と思うときもないとは言えない。
が、なぜかわたしは歩む事をやめない。
何故だろう?自分でも不思議なのだ。
それで、嵐に吹かれながら、ふと来た道を振り返る。
そこにあるものはなにか?
紛れもない「愛」だ。
「愛の道」だ。
ネイティヴアメリカンの素晴らしい詩に
「ナバホの祈り」というのがある。
私は美の中を歩き続け、そして最後は最も美しい美に出会うだろう
という美しい美しい人生、愛の道を語った歌。
嵐の中を振り返るとき、私はその道を垣間見る。
道は美しく、嵐の中を歩んでいる事さえ忘れさせる。
それほどに愛の道は美しい。
そして気が付く、この嵐の道はその延長なのだと。
だから私はここを歩んでいるのだと。
いろんな事がある。
善いことも、悲しいことも。
ある人が言った。
「愛には安らぎがある。
愛しているのに苦しみや悲しみを感じるなら、
自分の愛を振り返ってみるときだ。
愛はすべてを受け入れ安らぎがあるはず」と。
昔、「では苦しむ愛は愛ではないのか?」と思ったこともあったが違う。
違うんだなあと今では解る。
「すべてを受け入れる」ところに愛が見えるのだ。
愛を信じるとすべて受け入れられる。
ああ、そうなのか、と思う。
嵐の中「愛がある」と気が付くとそこには安らぎが生まれるのだ。
上手く言えないがそういう感じなのだなあって。
だから私は生きている。
わたしは芝居が大好きで、それを作っている世界と人々を愛している。
そこには嵐もあるけれど「安らぎ」がある。
わたしは迷うことなく歩んでいる。
この道は愛の道。
わたしは美の中を歩んでいる。