KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

アンニュイな秋のはじまり

2007-09-01 | KOFUKU日記
今日から九月。
せっかくの大好きな季節の扉が開いたというのに私の心は沈んでいる。

わたしは血の通った家族と暮らしていない。
いや、一緒に暮らしたくても暮らせないのだ。
事情があって戸籍も名前も違う。
私の籍には私の生まれた時とは違う名前が記載されている。
私には家族はない、といえるだろう。
けれど、私にはココロがあって、それを支えてくれる人たちが居る。
私が「魂の家族」と呼ぶ血の繋がらない他人、つまり友達。
けれど、その存在は大きい。
空よりも大きく、海より深く、血よりも濃いのだ。
だから私は大事な友達のことを馬鹿にされたり何か言われたりすると
自分がいわれるよりも何倍も憤り、傷つく。
大切な大切な宝石に傷をつけられたみたいに、
真っ白な真っ白な布が泥靴で踏みにじられたみたいに。

昨日、あることがあった。
同じ家族の一人だと思っている友人がある言葉を口にした。
それは私から聞いたら、明らかに違う友人への「侮蔑」の言葉に取れた。
最初はさらっと流していたが、どんどんその言葉達がリピートしてきて
心の中に悲しい風と小さな怒りと悲しみの竜巻が起こった。
だって、知っているもの同士、笑顔で語り合う同士が裏側で
そんな思いを隠していたことが悲しかった。
何より、その言葉を口にした友人は、そのほんの少し前に
相手の友人に対するコメントを良いものとして発していたからだ。
振り返れば私の言動が、そういう負の言葉を引きだしてしまったのかも知れないけど。
けれど前日「大丈夫だよ~、何とかなると思うよ~」と笑顔で言っていたその口で、「そんなの、無理に決まってんじゃん、一般で言って当たり前だよ」的な発言をされると驚きと悲しみで一杯になる。
言った人からは「そういうつもりじゃなかった。単なる一般論」と答えがあった。
たぶんそうなのだとおもう。悪気はなかったんだろう。
ただ、私の心には違う意味に伝わり、深くとげを刺した。
そうじゃない、というのだから、そうなんだね~と笑顔で言ってあげたいが、今日はとげの刺すような痛みが癒えるまで秋風に吹かれていたいと思う。
たぶん、悲しいのは、きっとどちらも家族のように大切な存在だから。


今日の写真は、昨日秋冬用に買ったくしゅくしゅのストールを巻いてご満悦のぴーちゃんです。
ぴーちゃんはなんでも真似をしたがります(^^)