秋といえば、いろいろなおまけのついてくる季節。
たとえば、読書の秋、芸術の秋、食欲の秋という風に。
ついでに言うと、気分のほうもかなり影響されるらしい。
秋は物悲しく、なぜかメランコリーな気分になるというものだ。
おかげさまで私も九月入って早々そんな気分満載(--;)
しかし、そんな気分でばっかし居るとほんとうに身体も心もめいってくる。
そういう原因になってる人とか居ちゃったりしようもんなら、季節的な気分にあおられて、その人のことを本当にダメになっちゃったり(過去の秋体験より><)
秋とはなんとも不思議な気持ちにかられる季節なんである。
と、ナーバスな気持ちになってたら、昔、一緒にハウスシェアしていたNさんというお姉さんの言葉を思い出した。
彼女は地元が一緒だったが、本当にカントリーな人で、いつまでも訛りが抜けず、さらに行動もずーっと田舎に居るときのままだった。
つまりおおらかで、何事も躊躇がない。ものすごい天然な人だったけど。
嫌なことがあったときも鬱っぽくなんてなったりしない。
落ち込むには落ち込んで、シーンとしてるのだが
突然がばあああっ!と立ち上がりおもむろに料理を作り始める。
「考えちょっても仕方なか。こげん時はおなか一杯食べるのが一番よ」
といい、次から次に料理を作って目いっぱい食卓に並べ、わしわしと食べ始める。
最初は「なんか味がわからん」といっているが、
そのうち「うん、これはいけてるネエ」などと言い出し、最後にはこういう。
「あ~、おいしか~!なんかもうあの人のことなんかどげんでん良くなってきた~。
もうこれでだめなときはそれまでよね。別にあたしが落ち込む事はなかのよ!
結局、相手がそれまでの器量しかなかったって事よね。
いいの、代わりはいくらでもいるから。
新しいのを探せばいいのよ~。あっはっは」
とそれは高らかに笑いつつ、残りのご飯を食べるのでした。
うーん、この人、すごいぜ、と私は思ってましたが(^^;)
今日はだんだん気分も滅入ってきつつあり、いろんなフラストレーションも溜まって来てました。
もう、いい加減にしてよ~って感じで。
いや、私もメンタル的に問題抱えてるんで我侭になりがちです。
自分の事だけわかって欲しくて落ち込んじゃうこともあるし。
そういう自分なので人様の事は早々いえませんが、けど自分は一つだけ守ってることがあるのです。
それは自分の友達や関係者ならまだしも、たとえば、友人の友人、そんな人たちに迷惑書ける事だけはしたくない、という事。
たとえば、友達の友達を絡めた約束などはどんなに自分の状態が悪くても、ドタキャンするような事はしません。
なぜならその行動による相手からの自分の評価もさることながら、相手の評価に影響を与えてしまうからです。
そういった行動によって、ドタキャンした人は何も起こらずとも、相手は友達を失ってしまうことすらあるからです。
(実際、昨年の冬はそういうお友達の行動により、大事な人を失いかけました。。。ーー)
さらに自分勝手な私は自分がしないことを他からされると腹が立つという心の狭さときています。。。
って言うか、今回はそれで(ドタキャンが理由で)その友達がちょっと大変な状態になってしまい、大変だったのです。ドタキャンした友達はそんな事は知る由もなく、つぅか、もうその人に言う気さえ起こらない・・なぜならその人は、言われることに抵抗を覚えるから。それに何故言われるのかの原因よりも言われてるという事実が受け入れかねるようだから、、、例えて言えば傷つけられたこちらのほうが悪い事をしているような、そんな気になってしまう。
それゆえに溜まるもやもや(--)
そんなことがあったので、今日は更にへこんで疲れてました。
しかしひょこっとNさんの事を思い出し、Nさんのような気持ちになるべくお料理をしました。
お料理って自分のためだけでなく、食べてくれる人のことを思わないと出来ませんよね。
とまあ、そういう事で色々思いをはせながら作った秋のメニュー。
ホタテときのこの炊き込みご飯
さんま刺し
焼き秋刀魚、大根おろし、ゆずこしょう添え
トマトのサラダ
秋のお味噌汁(麦味噌、だいこん、かぼちゃ、じゃがいも、しめじ)
ご飯作ってるうちになんだかNさんのように「あ~もう、なんだかどうでもいいや~、もうすてちゃえ」って気分に(笑)
決して友達がどうでも良くなったって訳じゃないんですが。
まあ、ある程度の憤りは解消できた気がします。
行動するって事は、次に移行することだから、そこにとどまってられないってのがいいのでしょうかね~。
気を取り直したところで、また残る問題に戻ります。
で、また行き詰ったら動くことにいたしましょう(笑)
今日の写真は行きつけの三鷹の古本屋さん、上々堂さんの夕暮れ時です。
たとえば、読書の秋、芸術の秋、食欲の秋という風に。
ついでに言うと、気分のほうもかなり影響されるらしい。
秋は物悲しく、なぜかメランコリーな気分になるというものだ。
おかげさまで私も九月入って早々そんな気分満載(--;)
しかし、そんな気分でばっかし居るとほんとうに身体も心もめいってくる。
そういう原因になってる人とか居ちゃったりしようもんなら、季節的な気分にあおられて、その人のことを本当にダメになっちゃったり(過去の秋体験より><)
秋とはなんとも不思議な気持ちにかられる季節なんである。
と、ナーバスな気持ちになってたら、昔、一緒にハウスシェアしていたNさんというお姉さんの言葉を思い出した。
彼女は地元が一緒だったが、本当にカントリーな人で、いつまでも訛りが抜けず、さらに行動もずーっと田舎に居るときのままだった。
つまりおおらかで、何事も躊躇がない。ものすごい天然な人だったけど。
嫌なことがあったときも鬱っぽくなんてなったりしない。
落ち込むには落ち込んで、シーンとしてるのだが
突然がばあああっ!と立ち上がりおもむろに料理を作り始める。
「考えちょっても仕方なか。こげん時はおなか一杯食べるのが一番よ」
といい、次から次に料理を作って目いっぱい食卓に並べ、わしわしと食べ始める。
最初は「なんか味がわからん」といっているが、
そのうち「うん、これはいけてるネエ」などと言い出し、最後にはこういう。
「あ~、おいしか~!なんかもうあの人のことなんかどげんでん良くなってきた~。
もうこれでだめなときはそれまでよね。別にあたしが落ち込む事はなかのよ!
結局、相手がそれまでの器量しかなかったって事よね。
いいの、代わりはいくらでもいるから。
新しいのを探せばいいのよ~。あっはっは」
とそれは高らかに笑いつつ、残りのご飯を食べるのでした。
うーん、この人、すごいぜ、と私は思ってましたが(^^;)
今日はだんだん気分も滅入ってきつつあり、いろんなフラストレーションも溜まって来てました。
もう、いい加減にしてよ~って感じで。
いや、私もメンタル的に問題抱えてるんで我侭になりがちです。
自分の事だけわかって欲しくて落ち込んじゃうこともあるし。
そういう自分なので人様の事は早々いえませんが、けど自分は一つだけ守ってることがあるのです。
それは自分の友達や関係者ならまだしも、たとえば、友人の友人、そんな人たちに迷惑書ける事だけはしたくない、という事。
たとえば、友達の友達を絡めた約束などはどんなに自分の状態が悪くても、ドタキャンするような事はしません。
なぜならその行動による相手からの自分の評価もさることながら、相手の評価に影響を与えてしまうからです。
そういった行動によって、ドタキャンした人は何も起こらずとも、相手は友達を失ってしまうことすらあるからです。
(実際、昨年の冬はそういうお友達の行動により、大事な人を失いかけました。。。ーー)
さらに自分勝手な私は自分がしないことを他からされると腹が立つという心の狭さときています。。。
って言うか、今回はそれで(ドタキャンが理由で)その友達がちょっと大変な状態になってしまい、大変だったのです。ドタキャンした友達はそんな事は知る由もなく、つぅか、もうその人に言う気さえ起こらない・・なぜならその人は、言われることに抵抗を覚えるから。それに何故言われるのかの原因よりも言われてるという事実が受け入れかねるようだから、、、例えて言えば傷つけられたこちらのほうが悪い事をしているような、そんな気になってしまう。
それゆえに溜まるもやもや(--)
そんなことがあったので、今日は更にへこんで疲れてました。
しかしひょこっとNさんの事を思い出し、Nさんのような気持ちになるべくお料理をしました。
お料理って自分のためだけでなく、食べてくれる人のことを思わないと出来ませんよね。
とまあ、そういう事で色々思いをはせながら作った秋のメニュー。
ホタテときのこの炊き込みご飯
さんま刺し
焼き秋刀魚、大根おろし、ゆずこしょう添え
トマトのサラダ
秋のお味噌汁(麦味噌、だいこん、かぼちゃ、じゃがいも、しめじ)
ご飯作ってるうちになんだかNさんのように「あ~もう、なんだかどうでもいいや~、もうすてちゃえ」って気分に(笑)
決して友達がどうでも良くなったって訳じゃないんですが。
まあ、ある程度の憤りは解消できた気がします。
行動するって事は、次に移行することだから、そこにとどまってられないってのがいいのでしょうかね~。
気を取り直したところで、また残る問題に戻ります。
で、また行き詰ったら動くことにいたしましょう(笑)
今日の写真は行きつけの三鷹の古本屋さん、上々堂さんの夕暮れ時です。