KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

愛を生む行為を~放射能対策をするということ

2012-04-07 | これからの世界


《街のアパートのご近所にある古いアパート。藤の花で囲まれてます♪》


このところ、気温は20度を超えることが多くなりました。
それから、空が抜けるようなブルーになってきました。
冬をすっかり透けた空の色です。

にんぷのぴぴちゃんは相変わらずお元気。
今週末から出産に向けて実家に来ていますが、夜もお庭で遊んだり、
毎日、大きなおなかでお散歩もしっかりこなしています(;・∀・)
もう、元気元気(笑)




《本当に双子みたいな超仲良しの「まろとぴぴ」ご夫妻(-^〇^-)
「ナデナデ」要求中(;^ω^)
ひとりが撫でて~と転がると自分も~と必ず同じポーズをとります(笑)》


ベビー達はお腹の中ですごい元気みたいです。お腹越しに元気な胎動が見られます。

頭や手足の形がよく分かるので、お腹越しに頭のあたりをなでてあげると
ぴたーっと動きを止めて静かになるのですが、手を離すといきなりジタバタ初めるんです。
何回やってもそうなので、「これはまさか、お腹の中から撫でろと要求か??」
と思い、またなでるとやっぱり収まります…(;・∀・)
実はまろちゃん、ぴぴちゃんが2匹で「撫でろ」と転がって要求する方々なんですわ~。
親の遺伝子をしっかりと受け継いでいるようです…(;^ω^)

せっかく宿ってここまで育った命だから、なんとか無事に生まれてきてくれて、
ちゃんと撫でてあげられたらいいなと祈るばかりです。
全ては天に任せて、その子の命の意味の持つままにと理解していても
やっぱり皆、生きて出てきて欲しいと願ってしまう今日このごろです。

ぴぴちゃんの命育つお腹を撫でながら思います。
この子らのために安全な世の中であってほしい、と。
きっと、それは人間たちの生き方にかかっているんだな、と。

「こども」といえば、人間のお子様と動物を一緒にしたら怒る人もいるかもしれませんが
子どもを望んでも、いろんな事情や病気で望めなかった人にとっては
家族として暮らす動物たちというものは「こども」そのものだったりします。

私にとってもそうです。俳優と言う仕事で普通に家庭を持つことが難しく、
次に白血病という病で、年齢的に子どもを持てなくなった私たちは
犬を飼うのではなく「我が子」として小さな命を迎えました。

そんな大事なイノチたちだから、関東にいて原発事故に直面した時
「放射能汚染」という事は、私にはものすごく大きな問題でした。

うちのチビさんたちは、人間のお子様より体がうんと小さく、
成長が人間より4倍もはやいので、細胞分裂も活発で、
しかも放射能の降り注ぐ大地を直接触って歩くしかありません。
カラダは毛に覆われていますから、放射能物質も付着しやすいし。

偶然、事故の危険性をいち早く知らされた私は、
自分が地震不安症になったこともありましたが
放射能汚染の不安から、事故後1ヶ月以上、犬たちを外に出しませんでした。
その後、移住をするまで、関東では散歩も時間をきっちり決めて、
その時間以上は外には出さないで過ごしました。

私も病院の通院以外は独りで外は出られないという理由もありましたが、
食べ物も産地を確認、宅配をお願いして、できるだけ安全を目指しました。
ドッグフードも原料に不安があるので、外国産のお肉と食材で手作りでした。

そんなこんなで、ぴぴちゃんがお散歩デビューをしたのは普通のワンちゃんより
2ヶ月も遅い6ヶ月になったときで、しかも実家に一時帰郷してきたときでした。
その時のビビりつつも嬉しそうな顔が忘れられません。

こういう話をすると「犬如きに」と思う方もいるやもしれませんが
つくづくそうしてきて良かったと今は思います。

今になってやっと、未来に対する放射能の危険性がTVで取り上げられたりしていますが、
この日本では、事故が収束するどころか、未だに事故現場は進展を見せず、
フレッシュな放射能が出続け、しかもダダ漏れで、汚染をし続けていることは確かなのです。

どういうわけか、多くの国民が目を向ける時間帯に取り上げることが少ないチェルノブイリの過去。
この事故の現在の悲劇を見れば、それ以上の汚染がなされている日本の未来が見えるはず。

なのに多くの人は出来うる防護策をあえてとっていません。
理由は「国が危ないって言わないから」が一番多いんじゃないか、と思います。
中には病気になっても、その頃にはいい薬や治療法も出来るでしょ、という人もいる。
その薬や治療法が出来るころに発症できるかなんて分かりもしないのに。

誰かが危ないよと言わないからしない。
私はこの考え方が、一番危険なんじゃないかと思う。
というか、自分で考えてないから、きっとそうなんだろうね。

だから「安全域」という理由だけで、なにも考えず子どもを住まわせ食を与えてしまう。
普段は「塵も積もれば山となる」と言っているのに。

ゴミを置き場を見てなぜ気がつかないのでしょう?
ゴミはゴミ収集車がくるからそこからなくなるんだよ?
あなたの家もゴミを捨てなかったら?どうなる?
どんどんゴミに埋もれるよね?
ほっといたらどうなる?
衛生的に問題が起こって病気が生まれたりするでしょ?

放射能はそれと一緒。なくならず蓄積して、いつか悲劇をうみます。
確かに少しのベクレル数であれば、直ちに問題は起こりません。
でも直ちにおこらないだけで、数をとっていて長い時間をかけたら
間違いなく大きな問題が起こりますよ、と言っているのと同じです。

万が一、そういう事で子どもに体に異変が起こったらどうしますか?
子がどんなに苦しんでも親は決して変わってあげられません。
私が亡くなっていく相方さんとかわってあげられなかったように。
どんなに願っても、かわってあげられません。

みんな、ガンや白血病の恐ろしさを知らなすぎると思います。
まだ、完全な治療法が見つからないものを楽観視しないで欲しいと思います。
それを作る行動もしないで欲しいと思います。

そして、一度でも傷ついたDNAは元に戻りません。
そのDNAはそれからイノチの繋がりによって続いていきます。
悲劇はその人だけでは終わらないのです。

私は多くのお父さんお母さんにそんな悲しいDNAを残す行動をとって欲しくないです。
危機管理能力を発揮させて、できるだけ安全を提供して欲しいと思います。
特に食べ物には、気を使ってあげて欲しいです。
毎日の食べるものの中にこどもたちの未来があるのです。

何も考えず、在るものを子どもに与えて普通にしている大人を見ると不安です。
それらが子どもたちの命を削っているような、そんな気持ちすらします。

かわいいパッケージのお菓子。だれも惹かれますよね。
でも簡単に与えないでください。
ちゃんと調べてください。安心して口にできるかを。

めんどくさいですか?大変ですか?
例えばネイルを塗る時間があったら、お菓子を一つ手作りできませんか?
自分の時間をちょっとだけ誰かの時間に変えて喜ぶことは無理ですか?

今のお母さん達は活動的で、日々を幸せにしようって人も多いと思う。
でもね、今はハッピーとか幸せとか提唱する前に
もっとやらなきゃいけないことっていっぱいあると思うのです。
だって、それができてなかったら、今が幸せであっても、未来のハッピーはないよ?

チェルノブイリのお母さん達は、あの時、あまり考えることをせず
牛乳をあげなきゃよかった、いちごを食べさせなきゃ良かった、
みんなみんな、そう言ってますよ?

なぜ、自分で考えて、防いであげなかったのか?
ほんのちょっとの努力を何故しなかったのか?
あの子は私が殺してしまったのだ。そう言っています。

そこから、どうか学んでください。
どうか、自分の頭と心を使って考えることをしてください。
こどもたちの、周りの愛する人のために。

危ないと思っても、引っ越すことなんて簡単にできないのは当たり前です。
私自身、そうでした。
でもそうなら、やれることだけでもやってください。
産地を確かめ、できるだけ安全を図る。

自分がなにかをしないでいることを、引越しができないせいや
事故が起きたせいにしないで下さい。

事故が起きたのも、そこにいるのも事実なのだから。
誰かのせいにしても変わらないなら自分が変わるしかないと思うのです。

いろいろ規制ができれば、窮屈さはあって当然です。
でもそうなら、そこをハッピーに出来る工夫をしましょうよ。
それでこそ人間の強さや素晴らしさじゃないかって思うのです。


でも確かにそのことで被害を被る人たちが出てくるでしょう。
その為にも、私は国に対して危ないものは、危ないと言って欲しいなぁと思います。
そして、危ない場所で、今までと同じ生活をすることを奨励せず、
それらを手放すことはものすごく苦しくても、手放すように説得して欲しい。
そしてその事で今までの生活を奪われる人に、新しい道を敷いて上げて欲しいと願います。

ふるさとを失うことは本当に悲しいことです。
私は今でこそふるさとにいますが、それまでは
仕事上、家族やふるさとを捨てねばならなかったのです。
そう思って生きている間、一度も田舎に戻ったことはありませんでしたし、
帰りたくても帰れませんでした。
きっと一生帰ることはないと思っていました。
それはとてもさみしく悲しかった。

でもそんなふるさとだからこそ、それをしなくてはいけないと思うのです。
誰だって、ふるさとを傷つけたくない。
だからこそ被害を受けた人が、安全な場で、
出来る限り今までと近い生き方をできるように
国も国民も出来る限りの手助けをすべきじゃないかと思うのです。
どちらかが、どちらかのために我慢するとかではなく、どちらも大切、デス。
私たちはそうやってバランス良く助け合うべきではないでしょうか?

少なくとも、私はそういう方向で努力をしていきたいと思っています。
小さいひとしずくでも、しないより全然いいと私は思っています。

今日のお味噌汁にわかめを入れるだけだっていい。
発酵食品を一つ取り入れるのも素敵だし、
スーパーで西日本産のお野菜をひとつ買うのだっていい。
そんな小さな努力が大きな未来を創ることになると思うのです。

今日、走り回っている動物たちや自然がそのままであるように、
笑っている子どもたちが10年後の未来にも笑っているように。
今、学生さんの少年少女が、10年後、赤ちゃんを胸に抱いて誇らしげであるように。
それらを見て、ああ、あの時頑張ってよかったと、大人たちが笑っていられるように。

ほんのちょっと、何か、ちょっとの努力をしてみませんか?
それはきっと「大きな愛」だと思うのです。