KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

嵐すさぶときも

2006-12-18 | KOFUKU日記
公演の準備も架橋に入った。
いろいろな事が押し迫り、ままならないことも多々ある。
時に緊迫した環境になるときもある。
今回は今までと違い、仲間内で公演するといっても形態が違いすぎ、
私には本当にいろいろと大変なのだ。
時に嵐に巻き込まれて命を落としそうになる。
何もかも嫌になりかけて、ああもう巻かれてしまえ!と思うときもないとは言えない。
が、なぜかわたしは歩む事をやめない。
何故だろう?自分でも不思議なのだ。
それで、嵐に吹かれながら、ふと来た道を振り返る。
そこにあるものはなにか?
紛れもない「愛」だ。
「愛の道」だ。
ネイティヴアメリカンの素晴らしい詩に
「ナバホの祈り」というのがある。
私は美の中を歩き続け、そして最後は最も美しい美に出会うだろう
という美しい美しい人生、愛の道を語った歌。
嵐の中を振り返るとき、私はその道を垣間見る。
道は美しく、嵐の中を歩んでいる事さえ忘れさせる。
それほどに愛の道は美しい。
そして気が付く、この嵐の道はその延長なのだと。
だから私はここを歩んでいるのだと。
いろんな事がある。
善いことも、悲しいことも。
ある人が言った。
「愛には安らぎがある。
愛しているのに苦しみや悲しみを感じるなら、
自分の愛を振り返ってみるときだ。
愛はすべてを受け入れ安らぎがあるはず」と。
昔、「では苦しむ愛は愛ではないのか?」と思ったこともあったが違う。
違うんだなあと今では解る。
「すべてを受け入れる」ところに愛が見えるのだ。
愛を信じるとすべて受け入れられる。
ああ、そうなのか、と思う。
嵐の中「愛がある」と気が付くとそこには安らぎが生まれるのだ。
上手く言えないがそういう感じなのだなあって。
だから私は生きている。
わたしは芝居が大好きで、それを作っている世界と人々を愛している。
そこには嵐もあるけれど「安らぎ」がある。
わたしは迷うことなく歩んでいる。
この道は愛の道。
わたしは美の中を歩んでいる。

秒読み開始~感謝と怒涛の演劇の日々

2006-12-15 | KOFUKU日記
早いもので私が参加させていただく事となった
オフィス夢の街初の企画公演「季節はずれの雪」上演まで
"あと十日"あまりとなりました~。
ひぇ~~~~~~~~!
毎日襲プレッシャー!!の波にぐらぐらしつつも
怒涛の波打つ大海原を波乗りしております。
いろいろなアクシデントに見舞われ、これで終わりか?
と思うこともしばしばですが、その度に救世主のような方々が現れ、
私たちは助けられ、何とかかんとか「本番」に向かってます。

この季節はずれの雪は「ホームドラマ」です。そう、家の中が舞台なんです。
だからいろんな事が普通に進行してゆかねばなりません。
お料理、お掃除、そういう類のことですね。
それで昨日は先日書いたYさんのご自宅兼研究所をお借りして、
実際にコンロやなべやいろんなものを持ち込んで、
実際に調理しつつ、片付けつつなどのお芝居稽古をやりました。
このYさんの研究所はかなり本番をする場所の広さに近くて、
ちょっと作りは違うけど雰囲気がぴったりなんですね。
それで昨日はそういうお稽古をやらせていただきました。
セリフを喋りつつ、何かをやるって意外と難しいんですよ。
食べながら喋ったり、掃除したり、料理作ったり、
今回はそういう過程や光景がお芝居そのものになってきますから重要なんです。
先日の稽古では酔っ払ってグロッキーになってソファで寝てる設定の
ひのさんは本当にグロッキーになり、いつの間にか爆睡(笑)
起きてくるシーンに起きられず、大爆笑でした。
(稽古だから笑えるんですが)
昨日はスープを作って食べるシーンの稽古。
セリフに没頭してる間にスープが沸騰(!!!)
恐ろしくぐつぐついってる音に皆、震え笑いつつ続けました。
出てきたスープはものすごい湯気がたってて(^。^;)
「どうぞはじめて」
「いや、君を待ってる。まだ熱いから。
ほんっとマジで熱いから(アドリブ)」
米澤さんのアドリブでもう耐えられなくなり爆笑。
でも米澤さん、勇気を出して一口。
「アツ!」(本当は「美味い」)
またまた爆笑。大の猫舌の米澤さんには決死のシーンのようです。
いや、本当にタイミングって難しいんです。
計算するんでなく、セリフも動きも自然に本当のペースで行うことが大事だから。
あれをやって、これをやって、このセリフでこれをこう…
なんていうんじゃ困るんです。私たちのお芝居は。
これからはすべてこのような実際にや実寸でのお稽古が続きます。
きっと本番ではマーサ役の神田麻衣さんがメグス役の米澤さんの為に
おいしいおいしい食べごろのスープを作るでしょう。
こういった稽古が出来るのもYさんの様にお稽古場を貸してくださる人が居るからです。
火気厳禁のお稽古場だったらこれは絶対に望めませんからね。
ましてやYさんのお宅はおばあちゃまやおじょうさんのYちゃんが住んでいて
あんな夜中まで大声出したり、喋ったり、きっとうるさいに違いありません。
それでも「いいんだよ。頑張りなさい」とお貸しくださるYさん、
そしてご協力くださっているご家族の皆様に深く感謝しています。
この場所を借りて、本当に本当にありがとうございます。
本番まで何回か皆でお世話になりますがよろしくお願いいたします(ぺこり)

またこの公演、チケット販売活動が思わしくなく苦戦中(^^;)
まだまだお席ございます。皆様ぜひいらしてね。
本当にほんとうに善い作品なんです。ぜひぜひご覧ください。
と、まあ、仲間たちに宣伝協力を願ったところ、
たくさんの方から励ましメールを頂いたり、
中には駆けつけますという方がいらしてくださったり、嬉しいです。
さらに来週早々には一人でアップアップしてる私をサポートするため
ここでもおなじみ親友「sora君」が静岡から駆けつけてきてくれることになりました。
実際何かしてもらう事は少ないにしても、その存在がどれだけ大きいことか。
それがどれだけ私たちのプロジェクトを支えてくれる事か。
本当に本当にたくさんの方に支えられた公演なのです。
そのことに深く感謝しつつ、本番まであと少し。
この秒読みの時間を大切にしたいと思います。

応援してくださっている皆様、本当にありがとうございます。
ご来場くださる皆様、どうぞ楽しみにしていてください。
たくさんの方の愛、まとめてお届けいたします

夢の街から皆様へ

心の中の夢舞台~光と影の夢一座「月の輪屋」でございます!

2006-12-07 | KOFUKU日記
嬉しい事がありました
たくさんの人からの助けがあって喜んでいると、更にプレゼントが届きました。
大切なお友達からのメール2通。なおちゃんとreraさんから。
どちらも愛にあふれた言葉たちがいっぱいでした。
そしてこころぱんぱんにして幸せに浸っていると「ぴんぽーん♪」とチャイムが。
こんな夜遅く?と不思議におもって出てみると郵便やさん。
大好きないつも笑顔のお姉さんの郵便やさん(^^)
「こんばんわあ。いいですねえ、なにか贈り物ですか?」と荷物を渡してくれました。
それは「つぶや木」の愛ちゃんからの荷物でした。
中からはたくさんの贈り物がいっぱいいっぱい!
一つ一つ手にとってペコ市の余韻に浸りました。
一昨日はYさんの娘さんのYちゃんからお手紙とちいさな贈り物をもらったばかりで、
なんだか一足先にクリスマスが来ちゃった感じです(笑)
このところ殺伐として、バイトにもいけず生活も困窮状態だったので、一気に満たされました。
こないだは満月だったし~、嬉しい事ばっかりだ!!
嬉しかったからお返事しなくちゃって思って今日は朝からメールしてました。
それで大切な人たちと話をしていたら、自分の事を振り返って見る時間が出来たのです。
そうしていたらなんとreraさんからお電話が!
わああお、わあお、わあお~~!!すごいすごい!
遠く離れた北海道に住む彼女の声がすぐ耳元で聞こえました。
細くて優しい女性らしい声でした。とてもとても嬉しかったです。
あさから感激しっぱなしで目はうるうるです。
いろいろやること多しだけれど、もう書かずには居られなくなりました。
それで短い時間の中、超特急で文章を打っているところです。

私のブログの自己紹介欄には「スローライフを展開中」とあります。
実際、皆さんが想像するような「エコロジー」とかの生活をしてるわけじゃありません。
もちろんできる事をするエコライファーではありますが。
(アクリルたわし使うとか~、リサイクル用紙使うとか)
私の言うスローライフは「自分らしい生活」のことを意味します。
私がこういう生活をはじめたのはいつ頃だったでしょうか?もう十年近くになるでしょうか。
それまでは私はバリバリの商業演劇人でした。
日本でも著名な劇団2箇所に続けて在籍し、主役をやらせてもらい、お金だってそこらのサラリーマンなんかよりどっちゃりもらってて、一時期は一ヶ月○○○万円近くまでいった事もあります。
主役をやってたのでなにか優遇されて、移動の列車やホテルなんかもいい部屋で、劇場での分担も楽な仕事でちやほやされてまるでお姫様みたいでした(笑)
そこをやめると言ったとき、みんなが言いました。
「なんてもったいないことを!」(笑)
でも、私自身はすっぱりと商業演劇で演じる事をやめてしまいました。
(芝居をやめてしまったわけではありませんよ~)
劇団が嫌いだったわけでも、やってた作品が嫌いだったわけでもありません。
どちらかというとそれらのことは大好きでした。
それでもやめてしまった理由は「どうしてもこころが満たされなかったから」です。
(もう一つ大きな病気をした、というのもきっかけではありましたが)
何が満たされない理由だったのか?
それはすべての商業演劇に携わる人がそうだと言っているのでは決してありませんが、私の接した多くの演劇人の中には「仕事を愛さず、お金の為に演じている」または「自分ひとりがよければ良いと思っている」などなどの人たちがとても多かったのです。
有名な劇団にいて人気商売と言う事でお客様の前ではいい顔をしていても、実はお客さまの事を馬鹿にしていたり、作品に出ていても中には自分が出るところしか内容を覚えていないと言う人さえ居ました。

わたしは小さい頃から演劇と言う存在にこころを支えられて育ちました。
お芝居を観るとき、わたしの心は救われて、とても深い思いをもって見つめていました。
お芝居こそが、舞台の上の世界こそが私にとって「真実の世界」だったのです。
現実の世界にはいろんな悲しみも苦しみも悪もあるけれど、この舞台の上にある正義や優しさや愛は間違いなく「人」から生まれていて、そういう気持ちを舞台を通して感じたとき人は涙を流したり、感動する。
と、いう事は「人」のこころの中に、この舞台の上にある「虚構」や「夢」や「愛」というものの存在を信じ、それらが本当の姿であると知っている部分が必ず存在すると言う事だ。
そういう風に私は感じていて、お芝居を観るたびにいつも恐怖や悲しみに居る自分も実はそういう真実を知っている無意識の意識である本当の心を持っているんだと、舞台に心震わすたびに安心感を得ることが出来たのです。
だから自分が劇場で舞台に立つたび、あの頃の私の様な思いでここを見つめる誰かがきっと居る、そう思ってすべてのお客様にこの舞台が真実であるようにと演じていました。
けれど仲間達は私に言いました。
「適当にセーブしながらやんないと持たないよ」
「そこまで真剣にやる意味あるの?芝居なんだからさ。」
芝居してるときにセーブなんて出来るの?
片手間に演じるなんてありえるの?
私にはどれもこれも不思議でなりませんでした。
楽屋でお客様がどうしても「役の私に会いたい」と言うとき、大人であろうと子供であろうと私は終演後でどんなに疲れていても断ることなく、もう一度衣装を着て、その役としてお客様とお会いしました。
それを見て周りの俳優は笑いました。
「客にそこまでしてやんなくてもいいのに」
だってその役の私に会いたいのに?子供たちは私をその人だと思っているし、その子供に出会ったのは間違いなく今のこの私じゃなくて、その役の人だったのに?
なんで?変?私おかしいの?そういう風に感じる私がへんなのか?
毎日が葛藤の日々でした。
私がもっとも納得いかなかったのはそういう人たちと作っている舞台で大切なお客様からお金をもらって自分が生きている事でした。
それがどうしても納得いきませんでした。
それでこの世界で芝居するのはやめようと思ったのです。
本当にお客さんと一つになって、本当の舞台を届けたいという人たちと、お金にならなくてもいいから本当のお芝居といえるものを作っていこう!そう思ったのです。
そして私は商業演劇の世界で演じる事をやめました。

それから仲間にも恵まれて、偶然にもそうやってお芝居が出来る日々が待っていました。
ハイエースに簡単なセットと機材を積んで、仲間たちと日本中を廻りました。
ある劇団さんのお仕事でしたが、許可を取り、自分達でお芝居をアレンジしては、より善い作品にしようと必死でした。
行った先で見てくださる人のニーズに合わせ、前説を付けたり、一幕物の芝居を二幕にしたり、セットも場所によって置き換えたり、使わなかったり、私たちに出来るだけの工夫をしました。
「舞台は生き物、私たちと同じように生きているから、セットや明かりも行った先で居心地良くしてあげよう。役者達も舞台に立って、その場所でその役で何かを感じたら、そのままに生きればいい。だって本当にそこで生きてるんだから。」それが私のやり方でした。
中には「台本もセットも変更などするべきでない」と言う人も居ましたし、それもそうだとも思いましたが、変化のおおきい場所ではそこに合わせる事がいちばんに思えたのでした。
当時の仲間はそんな私のやり方を喜んで受け入れてくれ、今日はどこでどんな舞台になるだろうって、いつもワクワクして一緒に行動してくれました。
ギャラも大きな劇団に居るときよりずっとずっと安かったけど、みんなでその少ないギャラを出し合って、交通費を作り、自分達で過疎地や「演劇やミュージカル」なんて来る事のないだろう町や村やを探しては穴日と言って公演のない日にこっちから無理やり訪ね、芝居を上演して歩きました。
だから本当にお金もなくて、休みもなかった。
6人で回ってたけど、みんなで朝コンビニでパックご飯とシーチキンの缶詰を三つ買って、半分こして食べました。それがかなりご馳走でした。ガソリンスタンドでたまごもらったりするともう狂ったように喜んだりして。それはそれはハードなハードな生活でした。
でもお金は基本的な生活費があればよかった。命さえつなげてられれば。
芝居が出来て、それをお客さんが喜んでくれればいちばんだったのです。
身なりや生活は貧しくとも、みんな心は王様でした。
劇団○季がチケット代1万取るなら、あたし達は500円で一万円の芝居をしよう!
そういって舞台に立っていました。

行く先々でたくさんの人に出会いました。
90年生きてきて村から出た事のないおばあちゃんが、終演後私の前に来て座り、手を合わせまるで仏様のように拝まれました。
「ここまで生きてよかった。本物のお芝居を観る事が出来るなんてねえ。
芝居とはなんて楽しいものだろうか。もう今死んでもかまわんよ。
ありがとう、ありがとうねえ。」

「これにサインをしてください」
真っ赤な目をしてハンカチをもって来たお母さん。サインをすると涙でびしょぬれになったハンカチに文字がにじみました。
「本物のミュージカルが見られるなんて、それもこんな感動するものだったなんて、最初からずっと泣いてたもんですから」

分校にも行く事が出来ないほど山の上に住んでいる子ども達。お芝居を見るために朝の四時に起きて命綱をつけて山を降りてきてくれました。
お芝居が終わっても車の傍から離れないこどもたち。ある子が言いました。
「大きくなったらお姉さん達とおんなじ仕事ができるかなあ?」
仲間みんながあわせたようにいっせいに答えました。 「絶対出来るよ!」

ある港町、同じ学年に父親の違う実は兄弟達がいっぱい居る。体や知能的障害を持つ不自由な子供たちがたくさん居る。
父親が長く漁にでる町では淋しさからか頻繁に男女の間違いが起こるらしい。
そこに生まれた暗い目の子ども達。
私たちは急遽演目を変え、あえて家族愛の物語を上演しました。
終演後、ある子供が手渡してくれたお手紙。
「私は私をつくったおとうさんもおかあさんも嫌いでした。家族なんて誰も居なくていいと思っていました。
けれど今日ミュージカルを見て、生まれて初めて家族っていいなと思いました。
今日はお母さんと一緒にミュージカルで覚えた歌を歌おうと思います。」

ある田舎のちいさなちいさな村。公演会場と通されたところは公民館でも集会所でもない村のいちばん大きなお家の大広間でした(^。^;)
苦笑しながら畳の上に苦労してセットを置いて、いざリハーサルをしたら電気がブチンと切れました。
そう太陽とともに起きて、太陽とともに眠る、自然に生きる村では大きな電力は必要としないから容量が足りなかったのです。村の人たちは村中のコンセントを長く長くつないで、隣の家から、またその隣の家からと電気を引っ張って来てくれました。
広間にはお年寄りからちいさな赤ちゃんまでお座布団を敷いてちんまり座っています。
そして畳の上でお芝居が始まりました。終演後は衣装を着たまま、セットの前で涙で真っ赤に目を腫らした村人の皆さんと、村に初めてお芝居が来たお祝いに炊いてくれたお赤飯を食べました。

死ぬまでに一度でいいから着てみたかったというおばあちゃんに衣装のウエディングドレス着せてあげた事もあったっけな。

こうやって得た喜びは私のなかで芽吹き、それらは個人事務所やショーカフェという形になって続いてゆきました。いろんな施設にチャリティにも行きました。幼稚園や保育園にも。
ちいさなちいさな保育園、お芝居の最後、悪人をやっつけてみんなが助かった瞬間のこと。
先生に抱かれたまだ一歳の赤ちゃんが万歳して大きな声で叫びました。
「やったあ!よあったねー!(良かったね)」

私は思いました。難しい演劇を作る人たちはいっぱい居る。お金を持ってる世代をターゲットにして、エンターテイメントを作る人たちも居るだろう。そういう世界はそういうのが好きな人たちに任せたらいいや、
変わりに私はもっともっとシンプルな事をやろう!
お金は大切、人に迷惑かけてまではやれないけど、でも儲からなくていい。
交通費とその芝居の為に過ごす日々の基本生活費分が賄われるのなら私は出来る限りどこまでも飛んでいこう!
私が世に出す作品は、生まれてすぐから天国に帰るその時まで、誰もが持っている感覚を振るわせるような分かりやすくて優しい舞台を作ろう。
どんな人にも理解してもらえて、見た後に心の中に愛の種が残るようなそんな仕事をしよう!
まだまだ思いはあって上手く言葉では言えないんだけど、大体これが私個人のお芝居に対する考えや思いなのです。
誰とどんなお仕事をしていても私の中にはこういう想いがずっとあります。ただ誰かとお仕事をするときは一緒にやる人の夢が叶うように、想いが形になる要にと自分なりに努力をしているつもりで居ます。
(つもりだけになってるかもしれないけど。でも気持ちがないよりはいいかな?)
この私の中のちいさな思いと私のもっとも尊敬する俳優・米澤観児さんの中の演劇観を融合させたものがオフィス夢の街です。
私たちはもちろんそれぞれが違うけれど、それぞれのお芝居に通じる源は同じという感覚を持っている。真実の形が同じという感覚を持っている。
あまり話さないけど、私は心の奥でそう感じています。
だからそれぞれの思いを形にしようとするとき、協力し合えるのでしょう。
もし自分に解らなくても、その人がする事を愛と尊敬の心を持って見つめる事が出来ると思うのです。
これからきっと少しづついろんな事をやっていくと思うけれど、私が私個人の企画をたててやるときは、オフィス夢の街別企画「こころのなかの夢舞台・光と影の夢一座“月の輪屋”」として、今回の季節はずれの雪の様な大きなものではなく、どんな場所にも飛んでいける様な小作品を展開していけたらいいなあって思っています。

いろんな事がわたしの人生のなかで起こって、いろいろな歪が起こり、病気を得て、わたしに解った事は、光こそが闇を生み、闇の中にこそ光が存在するのだという事でした。
上手に言えないけれど、私の心のなかでその思いはしっかり心に抱かれています。
そのために闇の闇を見つめたり、光の中の光りを見つめられるように、真実に生きて行きたいと思います。
まだまだ病の淵からは立ち上がれずに居るけれど、それも道だからその上を真っ直ぐに歩んでいこう。揺れるのも転ぶのも生きているから。それを避けずに歩いていこう。
笑われても、すべての人に理解されなくてもいい。誰かがほんの少しでも幸せになってくれるなら、それには大きな意味があるのだから。
そしてまたいつか喜びと悲しみがしあわせの為に在るという事を、光と影が一つだという事をこころで感じてもらえる、観る人の心がほんの少しでもふるえるような、そんな闇夜に灯る、あたたかなちいさなろうそくのあかりのような舞台を作って行けたらと強く思う今日この頃です。
どうぞ、もし興味のある人が居たらぜひ「月の輪屋」を呼んで下さいね。
あなたのところへ、光と闇の溶け合う月の光を、愛の光りをお届けします。

こういう私の深いところに眠っている気持ちをもう一度深く感じさせてくれた皆様、心友たち、お芝居の仲間たち、今まで観て下さったお客様たち、すべての出会いに、そして今も昔もそんな私の在り方を愛し、今は天使になってずっと一緒に旅してくれているソウルメイトの鎧ちゃん(くしくも今日は彼の月命日)、天使様、御霊の皆様、そして今日、私にお芝居という愛にあふれ、唯一つ生きられる世界を再び与えてくれた、もっとも敬愛する俳優である米澤観児さまさま、そしてこのお役目を与えてこの世に送り出してくださった神さま、こころから感謝しています。
ありがとう、ありがとう、ありがとうございます。
お芝居が私の歩む道を照らし導いてくれたように、私の芝居に生きて行く道が誰かの道を照らすちいさな明かりになりますように
 
追記:あわてて打ち込み、間違って下書きをアップしてしまったため、再度書き足しを致しました。文章が少しだけ違っております。


捨てる神あれば…

2006-12-06 | KOFUKU日記
とうとう12月!公演まであと三週間となりました。
しかし、何事にもハプニングは付き物です(^。^;)
このところ買出しにセット作りにと作業満載で寝る時間もなく、ばたばたぱたぱたの日々が続いておりますが、何とかかんとか事は運んでおりました。
ところがっ!そこにザババーーーン!と横波がっ!
思わず転覆しそうになるオフィス夢の街号!
あわや、乗組員の運命はいかに!?

なにが起こったかって言うとですね、
予定していた「稽古場&作業場&荷物置き場」が急遽使えなくなったのです。
えええええ?それって、それって、
何も出来ないってことじゃん??
ええええええ?あなた、公演は三週間後よ?
今更お稽古が出来ないなんてっ!
ああああ、この家に入りきらない荷物はどうする!?
一体、あたし達はどうなるのぉ~!!
いや、叫んでいる暇はない!後ろを振り向けば
乗組員が波にもまれながら必死にマストにしがみついている。
なぜか波にまぎれて電話の音。焦って受話器をとれば、悪魔の声。
「あー、オフィス夢の街さん?この荷物明日中に引き上げてくださいよっ!」
すわ!これは何とかしなくっちゃ!!
ええ、ええ、兄と私は寝てないボケえーーーとした頭でかんがえましたとも。
そこで出た答え。考えても答えは出ない!
とにかくあたって砕けるんだ!あの白波のように!!
そこで私たちは近くに住んでいる知り合いに片っ端から連絡取りました。
このご時世、広い場所はおろか、ただ同然で場所を貸してくれる人なんて…
居た…えええっ?居たーーーーーーーーっ!
そう居たんです。神様みたいな人が。
どこまでも悪運の強い私たち(笑)これはもうミラクルとしか思えません。
以前、お話したお店時代のお客様で今は大切なお友達の「Yさん」です。
「お客さんなんて駄目だよ!よく知らない人なのに!
ましてや応援してくれるお客様に申し訳ないよ。」と心配する兄貴に
「いいや!Yさんは友達なの!芸術がわかる人なの!
同じ星から来てるから絶対に話は聴いてくれる!」と言い張り電話しました。
あっさり、さっぱり、即決主義のYさんは電話に出るや否や
「明日会おう。会社にいらっしゃい。」
「伺いますうううう(涙)」
そして早速伺ってみると広い広い事務所で笑顔のYさんが待っていてくれました。
そして事務所およびご自宅の研究所、倉庫を無償で一ヶ月
私たちの為にお貸しくださることになったのでした。
捨てる神あれば拾う神ありとはこのことです。
今日はこれから深夜にかけて荷物運びを致します。
泡や転覆寸前のオフィス夢の街号も逞しい「海猿」の登場で無事救われたのでした。
Yさん、本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいのやら。
もうご自宅と会社に足は向けて寝られません。
「あなたたちの感覚で自由に使って。そして頑張んなさい。」
そういってくれたYさん。
Yさんは以前から私たちの活動をとても応援してくれています。
彼の名言はたくさんあるのですが、もっとも私を撃った言葉は「芸術は比較するもんじゃない。評価をするもんじゃないんだよ。だってその人が生きている、そのものが芸術なのだから。生きる事が演技すること。シェイクスピアもそういっているよ。
だから私は君達を応援したい。演じるんじゃなく「そこで真実に生きる」って言う君たちを。本当の芸術を知っている人たちにあえて嬉しいよ」
彼はそう言ってくれたのでした。
そしてこうも言ってくれました。
「君には神さまが降りてくるんだねえ。これは降りてきた言葉でしょう?」
すごい、私の本質を見抜いてる。やはり只者ではないです、Yさんてば!
こうやって皆様のおかげさま(Yさん語)で少しづつ舞台が出来上がっていきます。
ありがとう、ありがとう、ありがとうございます。
そして公演にネット友達のreraさんからお花も届く事になりました。
これは作品のなかで使われます。いまからとても楽しみです。
そうそう、Yさんの娘さんのYちゃんとも初コンタクトが取れて、また月の輪に輝きが増しました。
そういう目には見えないところでみんなのパワーと愛が宿った舞台です。
皆さん、ぜひぜひいらしてくださいね!

見上げればまんまるお月様。
波も静かに、月明かりの中、私たちの船は進んでいるのでした。

Yさん、それから応援してくださる方すべてに感謝を込めて、
たくさんの愛をありがとうございます。