嬉しい事がありました
たくさんの人からの助けがあって喜んでいると、更にプレゼントが届きました。
大切なお友達からのメール2通。なおちゃんとreraさんから。
どちらも愛にあふれた言葉たちがいっぱいでした。
そしてこころぱんぱんにして幸せに浸っていると「ぴんぽーん♪」とチャイムが。
こんな夜遅く?と不思議におもって出てみると郵便やさん。
大好きないつも笑顔のお姉さんの郵便やさん(^^)
「こんばんわあ。いいですねえ、なにか贈り物ですか?」と荷物を渡してくれました。
それは「つぶや木」の愛ちゃんからの荷物でした。
中からはたくさんの贈り物がいっぱいいっぱい!
一つ一つ手にとってペコ市の余韻に浸りました。
一昨日はYさんの娘さんのYちゃんからお手紙とちいさな贈り物をもらったばかりで、
なんだか一足先にクリスマスが来ちゃった感じです(笑)
このところ殺伐として、バイトにもいけず生活も困窮状態だったので、一気に満たされました。
こないだは満月だったし~、嬉しい事ばっかりだ!!
嬉しかったからお返事しなくちゃって思って今日は朝からメールしてました。
それで大切な人たちと話をしていたら、自分の事を振り返って見る時間が出来たのです。
そうしていたらなんとreraさんからお電話が!
わああお、わあお、わあお~~!!すごいすごい!
遠く離れた北海道に住む彼女の声がすぐ耳元で聞こえました。
細くて優しい女性らしい声でした。とてもとても嬉しかったです。
あさから感激しっぱなしで目はうるうるです。
いろいろやること多しだけれど、もう書かずには居られなくなりました。
それで短い時間の中、超特急で文章を打っているところです。
私のブログの自己紹介欄には「スローライフを展開中」とあります。
実際、皆さんが想像するような「エコロジー」とかの生活をしてるわけじゃありません。
もちろんできる事をするエコライファーではありますが。
(アクリルたわし使うとか~、リサイクル用紙使うとか)
私の言うスローライフは「自分らしい生活」のことを意味します。
私がこういう生活をはじめたのはいつ頃だったでしょうか?もう十年近くになるでしょうか。
それまでは私はバリバリの商業演劇人でした。
日本でも著名な劇団2箇所に続けて在籍し、主役をやらせてもらい、お金だってそこらのサラリーマンなんかよりどっちゃりもらってて、一時期は一ヶ月○○○万円近くまでいった事もあります。
主役をやってたのでなにか優遇されて、移動の列車やホテルなんかもいい部屋で、劇場での分担も楽な仕事でちやほやされてまるでお姫様みたいでした(笑)
そこをやめると言ったとき、みんなが言いました。
「なんてもったいないことを!」(笑)
でも、私自身はすっぱりと商業演劇で演じる事をやめてしまいました。
(芝居をやめてしまったわけではありませんよ~)
劇団が嫌いだったわけでも、やってた作品が嫌いだったわけでもありません。
どちらかというとそれらのことは大好きでした。
それでもやめてしまった理由は「どうしてもこころが満たされなかったから」です。
(もう一つ大きな病気をした、というのもきっかけではありましたが)
何が満たされない理由だったのか?
それはすべての商業演劇に携わる人がそうだと言っているのでは決してありませんが、私の接した多くの演劇人の中には「仕事を愛さず、お金の為に演じている」または「自分ひとりがよければ良いと思っている」などなどの人たちがとても多かったのです。
有名な劇団にいて人気商売と言う事でお客様の前ではいい顔をしていても、実はお客さまの事を馬鹿にしていたり、作品に出ていても中には自分が出るところしか内容を覚えていないと言う人さえ居ました。
わたしは小さい頃から演劇と言う存在にこころを支えられて育ちました。
お芝居を観るとき、わたしの心は救われて、とても深い思いをもって見つめていました。
お芝居こそが、舞台の上の世界こそが私にとって「真実の世界」だったのです。
現実の世界にはいろんな悲しみも苦しみも悪もあるけれど、この舞台の上にある正義や優しさや愛は間違いなく「人」から生まれていて、そういう気持ちを舞台を通して感じたとき人は涙を流したり、感動する。
と、いう事は「人」のこころの中に、この舞台の上にある「虚構」や「夢」や「愛」というものの存在を信じ、それらが本当の姿であると知っている部分が必ず存在すると言う事だ。
そういう風に私は感じていて、お芝居を観るたびにいつも恐怖や悲しみに居る自分も実はそういう真実を知っている無意識の意識である本当の心を持っているんだと、舞台に心震わすたびに安心感を得ることが出来たのです。
だから自分が劇場で舞台に立つたび、あの頃の私の様な思いでここを見つめる誰かがきっと居る、そう思ってすべてのお客様にこの舞台が真実であるようにと演じていました。
けれど仲間達は私に言いました。
「適当にセーブしながらやんないと持たないよ」
「そこまで真剣にやる意味あるの?芝居なんだからさ。」
芝居してるときにセーブなんて出来るの?
片手間に演じるなんてありえるの?
私にはどれもこれも不思議でなりませんでした。
楽屋でお客様がどうしても「役の私に会いたい」と言うとき、大人であろうと子供であろうと私は終演後でどんなに疲れていても断ることなく、もう一度衣装を着て、その役としてお客様とお会いしました。
それを見て周りの俳優は笑いました。
「客にそこまでしてやんなくてもいいのに」
だってその役の私に会いたいのに?子供たちは私をその人だと思っているし、その子供に出会ったのは間違いなく今のこの私じゃなくて、その役の人だったのに?
なんで?変?私おかしいの?そういう風に感じる私がへんなのか?
毎日が葛藤の日々でした。
私がもっとも納得いかなかったのはそういう人たちと作っている舞台で大切なお客様からお金をもらって自分が生きている事でした。
それがどうしても納得いきませんでした。
それでこの世界で芝居するのはやめようと思ったのです。
本当にお客さんと一つになって、本当の舞台を届けたいという人たちと、お金にならなくてもいいから本当のお芝居といえるものを作っていこう!そう思ったのです。
そして私は商業演劇の世界で演じる事をやめました。
それから仲間にも恵まれて、偶然にもそうやってお芝居が出来る日々が待っていました。
ハイエースに簡単なセットと機材を積んで、仲間たちと日本中を廻りました。
ある劇団さんのお仕事でしたが、許可を取り、自分達でお芝居をアレンジしては、より善い作品にしようと必死でした。
行った先で見てくださる人のニーズに合わせ、前説を付けたり、一幕物の芝居を二幕にしたり、セットも場所によって置き換えたり、使わなかったり、私たちに出来るだけの工夫をしました。
「舞台は生き物、私たちと同じように生きているから、セットや明かりも行った先で居心地良くしてあげよう。役者達も舞台に立って、その場所でその役で何かを感じたら、そのままに生きればいい。だって本当にそこで生きてるんだから。」それが私のやり方でした。
中には「台本もセットも変更などするべきでない」と言う人も居ましたし、それもそうだとも思いましたが、変化のおおきい場所ではそこに合わせる事がいちばんに思えたのでした。
当時の仲間はそんな私のやり方を喜んで受け入れてくれ、今日はどこでどんな舞台になるだろうって、いつもワクワクして一緒に行動してくれました。
ギャラも大きな劇団に居るときよりずっとずっと安かったけど、みんなでその少ないギャラを出し合って、交通費を作り、自分達で過疎地や「演劇やミュージカル」なんて来る事のないだろう町や村やを探しては穴日と言って公演のない日にこっちから無理やり訪ね、芝居を上演して歩きました。
だから本当にお金もなくて、休みもなかった。
6人で回ってたけど、みんなで朝コンビニでパックご飯とシーチキンの缶詰を三つ買って、半分こして食べました。それがかなりご馳走でした。ガソリンスタンドでたまごもらったりするともう狂ったように喜んだりして。それはそれはハードなハードな生活でした。
でもお金は基本的な生活費があればよかった。命さえつなげてられれば。
芝居が出来て、それをお客さんが喜んでくれればいちばんだったのです。
身なりや生活は貧しくとも、みんな心は王様でした。
劇団○季がチケット代1万取るなら、あたし達は500円で一万円の芝居をしよう!
そういって舞台に立っていました。
行く先々でたくさんの人に出会いました。
90年生きてきて村から出た事のないおばあちゃんが、終演後私の前に来て座り、手を合わせまるで仏様のように拝まれました。
「ここまで生きてよかった。本物のお芝居を観る事が出来るなんてねえ。
芝居とはなんて楽しいものだろうか。もう今死んでもかまわんよ。
ありがとう、ありがとうねえ。」
「これにサインをしてください」
真っ赤な目をしてハンカチをもって来たお母さん。サインをすると涙でびしょぬれになったハンカチに文字がにじみました。
「本物のミュージカルが見られるなんて、それもこんな感動するものだったなんて、最初からずっと泣いてたもんですから」
分校にも行く事が出来ないほど山の上に住んでいる子ども達。お芝居を見るために朝の四時に起きて命綱をつけて山を降りてきてくれました。
お芝居が終わっても車の傍から離れないこどもたち。ある子が言いました。
「大きくなったらお姉さん達とおんなじ仕事ができるかなあ?」
仲間みんながあわせたようにいっせいに答えました。 「絶対出来るよ!」
ある港町、同じ学年に父親の違う実は兄弟達がいっぱい居る。体や知能的障害を持つ不自由な子供たちがたくさん居る。
父親が長く漁にでる町では淋しさからか頻繁に男女の間違いが起こるらしい。
そこに生まれた暗い目の子ども達。
私たちは急遽演目を変え、あえて家族愛の物語を上演しました。
終演後、ある子供が手渡してくれたお手紙。
「私は私をつくったおとうさんもおかあさんも嫌いでした。家族なんて誰も居なくていいと思っていました。
けれど今日ミュージカルを見て、生まれて初めて家族っていいなと思いました。
今日はお母さんと一緒にミュージカルで覚えた歌を歌おうと思います。」
ある田舎のちいさなちいさな村。公演会場と通されたところは公民館でも集会所でもない村のいちばん大きなお家の大広間でした(^。^;)
苦笑しながら畳の上に苦労してセットを置いて、いざリハーサルをしたら電気がブチンと切れました。
そう太陽とともに起きて、太陽とともに眠る、自然に生きる村では大きな電力は必要としないから容量が足りなかったのです。村の人たちは村中のコンセントを長く長くつないで、隣の家から、またその隣の家からと電気を引っ張って来てくれました。
広間にはお年寄りからちいさな赤ちゃんまでお座布団を敷いてちんまり座っています。
そして畳の上でお芝居が始まりました。終演後は衣装を着たまま、セットの前で涙で真っ赤に目を腫らした村人の皆さんと、村に初めてお芝居が来たお祝いに炊いてくれたお赤飯を食べました。
死ぬまでに一度でいいから着てみたかったというおばあちゃんに衣装のウエディングドレス着せてあげた事もあったっけな。
こうやって得た喜びは私のなかで芽吹き、それらは個人事務所やショーカフェという形になって続いてゆきました。いろんな施設にチャリティにも行きました。幼稚園や保育園にも。
ちいさなちいさな保育園、お芝居の最後、悪人をやっつけてみんなが助かった瞬間のこと。
先生に抱かれたまだ一歳の赤ちゃんが万歳して大きな声で叫びました。
「やったあ!よあったねー!(良かったね)」
私は思いました。難しい演劇を作る人たちはいっぱい居る。お金を持ってる世代をターゲットにして、エンターテイメントを作る人たちも居るだろう。そういう世界はそういうのが好きな人たちに任せたらいいや、
変わりに私はもっともっとシンプルな事をやろう!
お金は大切、人に迷惑かけてまではやれないけど、でも儲からなくていい。
交通費とその芝居の為に過ごす日々の基本生活費分が賄われるのなら私は出来る限りどこまでも飛んでいこう!
私が世に出す作品は、生まれてすぐから天国に帰るその時まで、誰もが持っている感覚を振るわせるような分かりやすくて優しい舞台を作ろう。
どんな人にも理解してもらえて、見た後に心の中に愛の種が残るようなそんな仕事をしよう!
まだまだ思いはあって上手く言葉では言えないんだけど、大体これが私個人のお芝居に対する考えや思いなのです。
誰とどんなお仕事をしていても私の中にはこういう想いがずっとあります。ただ誰かとお仕事をするときは一緒にやる人の夢が叶うように、想いが形になる要にと自分なりに努力をしているつもりで居ます。
(つもりだけになってるかもしれないけど。でも気持ちがないよりはいいかな?)
この私の中のちいさな思いと私のもっとも尊敬する俳優・米澤観児さんの中の演劇観を融合させたものがオフィス夢の街です。
私たちはもちろんそれぞれが違うけれど、それぞれのお芝居に通じる源は同じという感覚を持っている。真実の形が同じという感覚を持っている。
あまり話さないけど、私は心の奥でそう感じています。
だからそれぞれの思いを形にしようとするとき、協力し合えるのでしょう。
もし自分に解らなくても、その人がする事を愛と尊敬の心を持って見つめる事が出来ると思うのです。
これからきっと少しづついろんな事をやっていくと思うけれど、私が私個人の企画をたててやるときは、オフィス夢の街別企画「こころのなかの夢舞台・光と影の夢一座“月の輪屋”」として、今回の季節はずれの雪の様な大きなものではなく、どんな場所にも飛んでいける様な小作品を展開していけたらいいなあって思っています。
いろんな事がわたしの人生のなかで起こって、いろいろな歪が起こり、病気を得て、わたしに解った事は、光こそが闇を生み、闇の中にこそ光が存在するのだという事でした。
上手に言えないけれど、私の心のなかでその思いはしっかり心に抱かれています。
そのために闇の闇を見つめたり、光の中の光りを見つめられるように、真実に生きて行きたいと思います。
まだまだ病の淵からは立ち上がれずに居るけれど、それも道だからその上を真っ直ぐに歩んでいこう。揺れるのも転ぶのも生きているから。それを避けずに歩いていこう。
笑われても、すべての人に理解されなくてもいい。誰かがほんの少しでも幸せになってくれるなら、それには大きな意味があるのだから。
そしてまたいつか喜びと悲しみがしあわせの為に在るという事を、光と影が一つだという事をこころで感じてもらえる、観る人の心がほんの少しでもふるえるような、そんな闇夜に灯る、あたたかなちいさなろうそくのあかりのような舞台を作って行けたらと強く思う今日この頃です。
どうぞ、もし興味のある人が居たらぜひ「月の輪屋」を呼んで下さいね。
あなたのところへ、光と闇の溶け合う月の光を、愛の光りをお届けします。
こういう私の深いところに眠っている気持ちをもう一度深く感じさせてくれた皆様、心友たち、お芝居の仲間たち、今まで観て下さったお客様たち、すべての出会いに、そして今も昔もそんな私の在り方を愛し、今は天使になってずっと一緒に旅してくれているソウルメイトの鎧ちゃん(くしくも今日は彼の月命日)、天使様、御霊の皆様、そして今日、私にお芝居という愛にあふれ、唯一つ生きられる世界を再び与えてくれた、もっとも敬愛する俳優である米澤観児さまさま、そしてこのお役目を与えてこの世に送り出してくださった神さま、こころから感謝しています。
ありがとう、ありがとう、ありがとうございます。
お芝居が私の歩む道を照らし導いてくれたように、私の芝居に生きて行く道が誰かの道を照らすちいさな明かりになりますように
追記:あわてて打ち込み、間違って下書きをアップしてしまったため、再度書き足しを致しました。文章が少しだけ違っております。