
さて、私は病気持ちさんです。
こんなことを書くと、きっと親しくわが身を案じて下さる方々の
「まぁた、あんなこと書いてっ!皆が不審に思うじゃないのっ!」
と心配半分怒り半分の声が聞こえそうな今日この頃。。。(^^;)
今日は終戦記念日でした。
戦争もののドラマやドキュメンタリーを観るたび、自分の姿と重なったりします。
なぜなら私は慢性的なものと、突発性の重なったPTSDを持っています。
最近は良く聞かれるけれども心的外傷ストレス障害というものです。
そう、戦争や災害、信じられないような辛い体験など、ひどい事件に直面したことの傷から起こる障害です。
障害と名がつくだけあり、生活に大きな支障が出ます。
この障害は心の状態によって、いろんな障害が併発します。
たとえて言えば「鬱」とか「パニック障害」とかですね。
そう言ったものが重なって時に命すら危うくなります。
なんせ原因も突発的なら、起こる発作も突発的(^^;)
いつ襲われるかわからないのでひどくなると普通に働くことすら困難になります。
さらに原因体験を幼児期とする慢性的なものになると、これがなかなか完治致しません。
とってもとってもやっかいなものです。
でもご安心を。人にはうつりませんから(^^;)
そういう意味では新型インフルエンザの方が脅威かと。。。
とにかく時間をかけて付き合って治していくものです。
類にもれず、私も残念ながら完治してはおりません。
え~、あんじゅさん、それで病気なのう???と声が聞こえてきそうですが、
そうなんですよ~(笑)ひ弱なの(爆)
というか、いつもびくびくしてるわけじゃあないです。
もちろん、状態が落ち込んでいる時は、解離症状や鬱なども起こるので、全く交信もできなくなっちゃったりしますが。
私も状態がひどくなると解離状態がひどくなります。
身体と心がばらばらになる感じです。
でもね普通に過ごせる時は過ごせるんです。
トラウマを掘り起こす原因がおこらなければ大丈夫。
私の症状は一時期、もっとも重体である、と言った状況でした。
そして今も根本的な状態はあまり変わらないと思いますが、表に出てくるものがずいぶん軽減されてきたように思います。
少しづつコントロールもできてきたのかなー、と我を励ます日々(笑)
私が今こうして人様の輪の中にいられるのは、とてもラッキーだったから。
その理由には以下のことがあげられます。
ちょうど状態が一番ひどく仕事もできなかった時、何とかしようとしてくれた愛に満ちた人々のたくさんの人の存在と、その人々からの生活への助けや言葉などがあったこと。
絶対に病人でいなければならなかった時期にハードな生活環境が病人でいることを許してくれなかったこと。
おかねが無くて病院に行けなかったから、薬を飲まずに済んだこと(笑)
どうしても起きた現実から目をそむけさせてくれない身近な人物がいたこと(^^;)
自分の使命の認識と愛を語り続ける意識が残っていたこと。
自分の命を削っても守らなくてはならない小さな命の存在(ぴーちゃん)があったこと。
とても素晴らしいお医者さんからの励まされる一言があったこと。
子どもたちという存在と関われたこと。
感謝の気持ちが消えなかったこと。
「私」を忘れなかったこと。
そんな事達が私の大きな助けとなり、そして今も同じように私を支えてくれています。
ありがたいことです。
この数年で私はずいぶんユルーイ人間になりました。
以前は倒れるまで突っ走る人でした。それも先頭に立って。
人を引っ張っていくのが仕事だと思ってました。
決して生身の自分を見せず、親友でさえも本当の私はわからない。
皆を守るためには身内から欺く意識でした。
いまも「思い立ったら吉日」「泣くより飛べ!」という精神は変わっておりませんが、病を患い、どうしたって一人では生きられなくなり、人様に甘えることもとっても大事なんだなーと知りました。
つまり人とは人と生きるものだと知ったのかなー。
だからって流されるままにいる、って風には思えなかったですね。
そういうユルさはどうしても違う気がしました。
ただ風に吹かれるままに、、、ではなく、意識を持って風に当たることが大事なんじゃないかって思ってるんです、私は。
この6年くらいの経験から、「私」を忘れないでいる事がどんなに大事なのかわかった気がします。
どんなに辛い境遇になっても、自分だけは手放してはならないと思う。
だからたとえばドラッグで我を忘れるくらいなら、フラッシュバックで辛くてもPTSDになる方が健全と私は思う。
ただ無理はしない。ってか出来ない(^^;)
今は7年前の私ができていたことの10分の1もできません。
これもまた、この持病のなせる技だったりします。
全部が全部ロースピード。
でもそれでいいと思えるようになってきました。
以前は出来ないってことにかなり焦りましたが。
無理するってのは人間的に当り前な行為、けど変な無理はしない。
それが私にはとっても大事だとおもいます。
例えばですね、今の私は自分の精神的に人様との交流や仕事が無理だなと思ったら立ち止まります。
昔はできませんでした。
突然、音信不通とかになっちゃう訳ですから勇気がいります(^^;)
(もちろん再開の時はちゃんと理由を告げて心から謝ります。)
手紙やメールなんかも「書ける」と思えるまでは書きません。
とってもとっても失礼なんですけどね。分かってるんですけどね。
でも究極の選択をする。
本当に気持ちをかけてくれる周りの人にだからこそ、本当に自分の気持ちが向いたときに心を捧げたいと今の私は思うんです。
言葉を羅列するのは簡単だからこそ、そうはしたくない自分がいます。
その自分も見詰めて行動を起こすことがこの病には大事だと思います。
私は恵まれて、子どもたちと関わり、そして教える機会を頂いています。
こうして、子どもたちと子どもと大人の体験をすることによって随分助けられています。
そう言ったチャンスも大事にしていくことかな、と思っています。
確かに今もこの持病が原因で生活大変だったりします。
それもね、仕方ないかなーと受け止められるようになりました。
それもこれも「ゆったりまったり」って心が生まれてきたからだと思います。
今はゆったりまったりを楽しむ時期なのでしょう。
じっくりと作品と向き合って作る手仕事のように。
とはいえ、このように理屈では納得できても、フラッシュバックなどの発作が起こればPTSDはとても辛いものです。
実際にはその苦しさはなってみないとわからないものかと思います。
けれど、察することや思いやることはできます。
多くの方がそういう方をサポートして下さるといいなあと思います。
同じ症状でお悩みの皆様が少しでも心安くいられますように今夜もお祈りしています。
そしていつも周りにいて下さる人々に心から感謝します。
ありがとう。