ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

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司馬遼太郎『北のまほろば-街道をゆく41』1997・朝日文芸文庫-「街道をゆく」を読む

2024年12月10日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 司馬遼太郎さんの『北のまほろば-街道をゆく41』(1997・朝日文芸文庫)を再読しました。

 久しぶりです。 

 読むのは3回目くらいでしょうか。

 本書は司馬さんの1994年の青森の旅の紀行文。

 当時、『週刊朝日』に連載中に、なんと、三内丸山遺跡が発掘されるという大ニュースがあり、司馬さんは再度、訪れたりしています。

 まさに運命的な出会いですね。

 それまでにも、亀ヶ岡遺跡(宇宙人のような土偶で有名)や十三湖遺跡(アジアとも交流をしていた貿易港)を見て、古代の青森の偉大さに思いをはせていた司馬さんが、4500年前の縄文時代に栄えた大集落とその巨大な建造物を見て、さらに自らの考えを補強されたことは間違いありません。

 弥生人による米作中心の歴史が始まる前の、自然豊かな時代に青森を中心とする東北地方の縄文人はとても豊かな生活を送っていたことが実証されたわけで、画期的なことだったと思われます。

 しかも、そういう事実を何となく知っていたかのような記述をすでに江戸時代にしている菅江真澄も登場してきて、司馬さんの歴史観の確かさはすごいです。

 ちなみに、菅江真澄という人は江戸時代に北海道にも渡って、アイヌの生活を記録に収めており、じーじも大好きな旅行家・民俗学者・薬草家で、江戸時代の司馬さんみたいな人です。

 司馬さんのお話は縄文や遺跡に留まらず、いつものようにその博識ぶりは驚くばかりで、津軽、南部、下北のお話をくわしく展開されて、全くあきません。

 個人的には、戊辰戦争で負けて、下北半島に島流しにされた会津藩のお話が辛いです。

 戦争は人を悪魔のようにしてしまうということがよくわかります。

 じーじはなぜか敗者の歴史に共感してしまうきらいがありますが、いずれにしても戦争はよくありません。

 勝っても負けても、人が人でなくなってしまいます。

 青森の地に立つと、そういうことが実感できるのかもしれません。

 来年の夏は、北海道だけでなく、青森にも寄ってみたくなりました。         (2018. 12 記)

     *

 2023年12月の追記です

 その後、この翌年の2019年のゴールデンウィークに三内丸山遺跡などを訪れました。

 当時の拙い文章が、「ひとり旅で考える」欄にありますので、よろしかったら読んでみてください。        (2023.12 記)

 

 


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