2016年のブログです
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藤山直樹さんと伊藤絵美さんの『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』(2016・岩崎学術出版社)を読みました。
とてもおもしろかったです。
そして、とても勉強になりました。
この中で藤山さんが精神分析のエッセンスを講義されているのですが、おそらくじーじが今まで読んだ精神分析の説明の中で、一番わかりやすくて、かつ、一番深いものではないかと思います。
もちろん、それは藤山さんなりの「精神分析」なのですが、だからこそ、藤山さんファンのじーじには宝物のような講義でした。
ここで、じーじがうれしかったのは、治療者がたとえ失敗をしても厳然と「そこにいること」の大切さが述べられていて、このところ、このことを考え続けているじーじにはとても勉強になりました。
そして、失敗は必須のものではないか、とか、必然のものではないか、との指摘は今後の大きなテーマだな、と思いました。
考えてみれば、ウィ二コットさんもそのようなことを述べていることを思い出しました。
もっと勉強が必要です。
藤山さんの精神分析への熱い思いは、まだまだ精神分析の初心者のじーじのこころにもかなり深く響いてきて、今後も何度も読み返して、理解を深めたいと思いました。
また、伊藤さんとの対談も面白く、認知行動療法との異同を考えながら、心理療法全般のことを考えました。
二人のこころの臨床家の対談にいろいろと触発をされて、もっともっと勉強をし、実践を積み重ねていきたいなと思いました。 (2016 記)
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2024年12月の追記です
失敗は必然のものではないか、という言葉を今も考え続けています。
カウンセラーがいろいろと失敗をすることで、クライエントさんが、こんなことでは大変だ、自分も頑張らなければ、と自立の契機になるのかもしれません(?)。
カウンセラーが失敗ばかりでは困りますが、適度な失敗はクライエントさんの成長にも必要なのかもしれません。
親子関係でも、ウィニコットさんがいうように、完璧な母親ではなく、ほどよい母親のほうが、子どもの成長や成熟には大切な気がします。
病的に完璧な母親(父親もそうですが)はむしろ、子どもの成長を阻害する可能性もあります。
おおらかで、たまに失敗をして、子どもに憎まれても、ごめんね、と素直に謝って、子どものそばに居続けるような親がいいのかもしれないなあ、と考えたりしています。 (2024.12 記)