ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談・研究しています

田中千穂子『プレイセラピーへの手びき-関係の綾をどう読みとるか』2011・日本評論社-その1・プレイセラピーに学ぶ

2024年08月16日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2011年のブログです

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 田中千穂子さんの『プレイセラピーへの手引き-関係の綾をどう読みとるか』(2011・日本評論社)を読みました。

 田中さんは、遊戯療法学会で2回ほどお話をお聞きしたことがあるのですが、いつもとてもわかりやすく、しかも子どもさんとお母さんの両方に優しい目配りをされていて、素敵だなと感心させられるお話でした。

 今回の本は、プレイセラピーをできるだけ言語化したということで、本当に判りやすい記載で、すごいなと思いました。

 じーじも少しでも同じような営みをしたいなといつも考えていますが、まだまだ修行不足だなということを改めて反省させられました。         (2011.5 記)

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 2023年12月の追記です

 読み返してみると、この時、すでに遊戯療法学会で、田中さんのお話を2回お聴きしていたのですね。

 じーじ、えらい!えらい!です。

 家庭裁判所で、別れた親子の面会交流の試行をするようになって、子どものこころを理解するためには、遊戯療法の勉強をしなければまずいのではないか、と思うようになったのですが、正解でした。

 それまでの、精神分析や心理療法、家族療法などの知識に加えて、遊戯療法の知識はすごく参考になりました。

 遊戯療法学会で、田中さんや山中康裕さんのお話を生で聴けたことは、じーじの宝物になっています。

 さらに勉強を続けていこうと思います。      (2023.12 記)

 

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じーじ、朱鞠内湖(しゅまりないこ)でこころの美しい人々に感動する!-じーじの2018北海道の旅

2024年08月16日 | ひとり旅で考える

 2018年のブログです

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 昨日の東川の天気予報は曇りのち雨、しかし、朝から雨でした。

 それで曇り空を求めて、今回の旅2回目の北への旅をしました。

 前回は目的地は設定せずに、しかし、結果的に、美深の町まで行って、村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』をめぐる旅(ややこしいですね)をしました。

 しかし、今回は違います。朱鞠内湖(しゅまりないこ)。じーじには似合わない美しい響きの湖です。 

 たまたま何日か前の北海道新聞で朱鞠内湖の記事を読み、戦争中にできた人工湖と知って興味があったところに、同じ日、宮下奈都さんの短編集『遠くの声に耳を澄ませて』(2012、新潮文庫)を読んでいたら、やはり朱鞠内湖を舞台にした小説が出てきて、その中で、何もないところ、と書かれていて、こころが動きました。

 こういう偶然は時々あることですが、やはりユングを尊敬するわたしとしては、この天の声を大切にしようと思いました。

 ということで、愛車タント号に乗って出発、なんと隣りの比布町に入ると雨も上がりました。

 快調なドライブで塩狩峠を越え、剣淵町、士別市に入り、ここから国道40号線と別れて、幌加内に向かいます。

 幌加内はお蕎麦で有名な町で、道の両側は蕎麦畑とじゃがいも畑。

 どちらも白い花をつけますので、白いじゅうたんのような畑が続き、夢のような景色です。

 1時間ほど走って、朱鞠内の集落。

 昔、ここまで鉄道が伸びていたということで、びっくりします。

 間もなく、朱鞠内湖に到着。

 今の朱鞠内湖は、何もないところ、ではなくて、湖畔に遊覧船やモーターボート、貸しボートがありました。

 しかし、人は少なく、喧騒からはほど遠く、静かな、美しい湖でした。

 森林と湖水と空が綺麗で、「美」に疎いじーじでも感動します。

 まるで東山魁夷の絵のようだと思いました。

 しばらく、静かで、美しい景色を堪能し、お昼のパンを食べて、帰ることにしました。

 と、ここでアクシデント発生、なんと財布をどこかに落としてしまいました。

 車の中や歩いたところを探しますが、見つかりません。

 しかたなく、恥ずかしさをしのんで、貸しボート屋さんに、財布の落とし物が届いていませんか?とお聞きすると、なんと拾った人が届けてくれたので、案内所に預けたとのこと。

 お礼をいって、案内所に行くと、困っているかもしれないと思ってすぐに駐在所に届けに行ったということ。

 恐縮をしていると、届けに行った職員さんと連絡を取ってくれて、まだ届け出前なので駐在所の前で待っていてくれるという。

 すぐに急行し、駐在所のところで、職員さんに免許証を提示して本人確認、無事、財布が戻ってきました。

 善意の素早いリレーのおかげてありがたいことに財布が戻りましたが、考えてみれば、こんな奇跡のようなことはおそらく都会などでは考えられないことで、財布を拾って届けてくださった方をはじめ、ボート屋さんのご夫婦、案内所のおじさん、駐在所まで届けに行ってくださった美人の職員さん、みなさんに本当に感謝です。

 朱鞠内の人たちは、こころも美しい人たちでした。     (2018.8 記)

 

 

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じーじ、露天風呂でネコちゃんに見つめられる(?)-じーじの2018北海道の旅 

2024年08月16日 | ひとり旅で考える

 2018年のブログです

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 事件(?)は昨日の夕方に起こりました。

 いつものように近くの露天風呂に行くと、大雪山がきれい。

 久しぶりに全体がきれいに見えるな、と感心をしていると、そこに一匹のネコちゃん。

 え!ネコちゃん!

 そうなんです、黒いネコちゃんが露天風呂にやってきて、こちらを眺めています。

 なんで、ネコちゃんが露天風呂にいるんだ!

 長く生きてきたじーじも、露天風呂でネコちゃんに会うのは初めて、びっくりです!

 ネコちゃんはこちらの驚きにもかまわず、悠々とこちらを眺めています。

 メタボ気味のじーじはちょっと恥ずかしくなり、思わず湯船に沈みます。 

 ネコちゃんは慌てず、さりとて抗議もせず、大きな目でこちらを見ています。

 めすネコちゃん、なのでしょうか?

 湯船に沈んだじーじがだんだんのぼせてきて、困っても、ネコちゃんは平気です。

 じーじはいつものように湯船のそばの大きな岩に腰かけたいのですが、じっと見つめられているとそれもできません。

 じーじ、ピンチ!

 と、その時、ネコちゃんは女湯のほうに去っていきました。

 やれやれ、北海道での大冒険が始まりました。

(そういえば、去年は露天風呂でアブくんとの闘いがありました。北海道の露天風呂はなかなかワイルドです)     (2018. 7 記)
 
 

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ちいさな、ちいさな、男の子とお父さんの物語-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月15日 | 「おとな」の親を考える

 2018年のブログです

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 露天風呂から上がって、いすで涼んでいると、3歳くらいのちいさな男の子とお父さんがやってきました。

 男の子は服を脱ぐと体重計にのります。

 そして、おとうさん!たいじゅうがふえた!とお父さんに報告します。

 お父さんが、そうか!と喜ぶと、男の子は、9がいっぱいだ!といいます。

 お父さんが、9がいっぱい?と戸惑っていると、男の子は、1999だ!と自慢をします。

 男の子はさらに、きのうは2001だったんだよ、きょうは9がいっぱいで、すごい!といいます。

 お父さんは、うーん?とうなりながら、体重計のところにやってきて、○○くん、19と20はどっちがおおきいか、わかる?と聞きます。

 男の子は、わかんないけど、9があるから、19かな?とやや自信なさげに答えます。

 お父さんは、じゃあ、20までかぞえられるかな?かぞえてみよう!といいます。

 男の子が、1、2、3、4、…と数えはじめます。

 13、14、15、えーと、16、えーと、18、えーと、20、できた!とうれしそう。

 でも、お父さんが、17と19がまいごになっちゃったね、といいます。

 男の子は、まいごになっちゃった!、といいます。

 お父さんは、タオル1枚で前を隠しただけの姿だったので、じゃあ、おふろのなかでもういっかい20までかぞえてみよう、と男の子にいって、二人で露天風呂のほうに行きました。

 おおらかなお父さんと素直な男の子。

 いい町です、東川。     (2018.8 記)

 

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じーじは「終戦の日」という言葉がきらいです-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年08月15日 | じいじ日記を書く

 2022年8月15日の日記です

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 今日は、「終戦の日」。

 しかし、じーじは、「終戦の日」という言葉がきらいだ。

 「終戦」ではなく、正しくは「敗戦」である。

 じーじの信頼する人々は、「敗戦」という正しい言葉を使う人が多い。

 「終戦」も「敗戦」もそんなに違わない、という意見もあるかもしれないが、事実は「敗戦」であった。

 連合国のポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしたわけである。

 軍国日本は瓦解した。

 どう考えても、「敗戦」である。

 しかし、自民党政府がお得意の、言葉の変更で、「敗戦」が「終戦」になっただけである。

 そのほうが、政府や自民党、そして、国民が受け入れやすかったのであろうと思う。

 しかしながら、事実から目をそらしていいけないと思う。

 事実を事実として、ありのままを歴史として記憶することが、本当の反省に繋がると思う。

 「敗戦」の反省を受けて、日本の人々は平和憲法を守ることとなったわけだ。

 「終戦」というきれいごとの言葉ではなく、「敗戦」という苦しい言葉をかみしめて、平和を希求することが、本当に大切なことではないかと思う。      (2022.8 記)

 

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大雪山旭岳ビジターセンターに行ってきました-じーじの2019北海道の旅

2024年08月14日 | ひとり旅で考える

 2019年のブログです

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 ここのところ、旭川も東川町も昼間は30℃を超える暑さが続き、暑さと寒さの両方に弱いじーじはぐったり。

 そこで涼しそうな旭岳のふもとに行ってみることにしました。

 去年、行った時には工事中だったビジターセンターを見てみたいという目的もありました。

 東川町の道の駅は朝なのにもう30℃近く、しかし、標高1000メートルに近い旭岳山麓まで行くとさすがに涼しく、半ズボンでは寒いくらい。

 とても快適です。生き返るような気分になりました。

 しかも、途中の道で、エゾシマリスくんとキタキツネくんに遭遇。

 旭山動物園に行かなくても(?)、無料の動物園のようです。

 どちらもまだ小さくて、子どものようで、そのために交通ルールがわかっていないらしく(?)、道路の真ん中で遊んでいたので、あやうく交通事故になりそうでした。

 北海道に行くと、エゾシカに注意という交通標識はよく見るのですが、エゾシマリスやキタキツネに注意という標識はあまり見ないので、油断していたというか、しかし、予想外のプレゼントでした。

 ビジターセンターもとても立派できれいで、旭岳だけでなく、大雪山全体のことがよくわかるように展示されていました。

 涼しさだけでなく、自然の動物たちにも癒され、とてもいいひとときを過ごせました。     (2019.7 記)

 

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ちいさな、ちいさな、男の子の物語-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月14日 | 「おとな」の親を考える

 2018年のブログです

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 道の駅のベンチに座って休憩をしていると、お父さんと手をつないだ3歳くらいの男の子がやってきました。

 男の子が棚のジュースを指さして、「これなーに?」と聞くと、お父さんは、「りんごジュースだよ」笑顔でと答えます。

 男の子が、となりを指さして、「これなーに?」と聞くと、お父さんは、」「オレンジジュースだよ」と普通の顔で答えます。

 男の子がさらにとなりを指さして、「これはなーに?」と聞くと、お父さんは、「あっちも面白いよ」といって、男の子の手をひいて向こうに行きます。

 少しして、同じ男の子が、こんどはお母さんとやってきて、「これなーに?」と聞きます。

 お母さんが、「これなんだと思う?」と優しく聞くと、男の子は、「わかんない」といいます。

 お母さんが、「初めてみるかな?」と聞くと、男の子は、「うーんと、このいろは、わいん!」といいます。

 お母さんが笑顔で、「ワイン!か、」と驚き、「ブドウと同じ色だものね、」というと、男の子は、「わいんじゃないの?パパがのむよ!」といいます。

 お母さんが、「そうだよね、ワインと同じ色だよね」といい、「同じ色なんだけど、これはブドウのジュースなんだよ」というと、男の子は、「そうか、ぶどうじゅーすか」といいます。

 お母さんが、「ブドウジュースはワインのお母さんなんだよ」というと、男の子は、「そうか、わいんのおかあさんか、ままみたいだね」とにっこりしていいます。

 なんとも、素敵なお母さんと、素直な子どものほほえましい会話でした。

 いい町です、東川。     (2018.8 記)

 

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戦争に反対することといじめに反対をすること-じーじのひとりごと

2024年08月13日 | ひとりごとを書く

 2015年のブログです

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 戦後70年ということで戦争反対のテレビ番組などを多く目にします。

 それはそれでとてもいいことだと思うのですが,そこに子どもたちが多く登場するのを見ると少し複雑な気持ちになります。

 もちろん,子どもたちが戦争反対について考えることはとても大切なことだとは思うのですが,個人的には,できれば子どもたちにはもっと目の前にある戦争,つまり,いじめなどの問題に反対をしてほしいと思うのです。

 いじめと戦争はつながっていると思います。

 弱いものをいじめるという点でまったく一緒です。

 もし,いじめを見ても,見ぬふりをしているようでは,とても戦争を防ぐことなどはできないと思います。

 いじめをとめようとすると,場合によっては自分もいじめられる可能性があります。

 いじめ反対を叫ぶことはとても勇気と正義感の必要な行為だと思います。

 いじめに反対をすることから,弱いものを守る本当の勇気が育つように思います。

 そして,それは子どもたちだけの問題ではありません。

 大人の社会でも,パワハラ,セクハラ,モラハラなどを見過ごしているようなことはないでしょうか。

 そこで勇気を出せないようなら,大人も弱いものを守れません。

 戦争反対も大切ですが,目の前の弱いものいじめに,まずは大人も子どもも反対をしていくことが大切だと思います。

 本当の平和はそこから始まるような気がします。     (2015 記)

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 2022年6月の追記です

 いじめの構図を見ていると、戦争の構図に似ているなあと思います。

 つまり、どちらも、見て見ぬふりをしている人たちの存在があって、成立しているということです。

 確かに、いじめも戦争も、それに反対を表明すると、こんどはその人がいじめられたり、攻撃されたりすることが多いですから、慎重にならざるをえないことは理解できます。

 しかし、そこで勇気を出さないと、いじめも戦争も終わりません。

 おとなもこどもも、目の前にある弱いものいじめから目をそらしては、後で後悔するでしょう。

 たいへんだけど、勇気が大切です。 

 そして、まずはおとなが、さまざまな事情はともあれ、戦争反対を唱えることが重要になるのではないでしょうか。    (2022.6 記)

 

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ちいさな、ちいさな、女の子の物語-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月13日 | 「おとな」の親を考える

 2018年のブログです

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 道の駅のベンチにすわっていると、近くの花壇に3歳くらいのちいさな女の子がやってきました。

 女の子は花壇のお花を眺めていましたが、やがて花壇に落ちているお花を見つけて、自分の髪の毛に飾りました。

 その姿はとてもかわいくて、3歳のちいさな女の子でも女子にはおしゃれ心があるんだなと感心させられます。

 と、そこにお父さんがやってきて、お花をとっちゃいけないぞ、といいます。

 女の子は、おちていたんだよ、といいます。

 さらに、お母さんがやってきて、お花をとっちゃだめよ、といいます。

 女の子は、やはり、おちていたんだよ、と話します。

 女の子は気のせいか、少しだけ哀しそう。

 こんな時、ここでお母さんが(あるいは、お父さんでもいいのですが)、まあきれいなお花、わたしもさがしてみようかしら、といって、一緒にお花をさがすと、女の子は喜んで、お母さんといっしょに、花壇に落ちているお花をもっと探すでしょう。

 お母さんがお花を見つけて、女の子の髪にさらに飾ってあげれば、女の子はもっともっとうれしいお顔になるかもしれません。

 ちいさな、ちいさな、女の子とお父さん、お母さんの様子を眺めていて、ほどよい親、のあり方を考えてしまうじーじでした。

(もっとも、昔、じーじがちいさな子どもたちの親だった頃も、そんな余裕はなかったですが…。反省の日々です)     (2018.7 記)

 

 

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加藤周一『言葉と戦車を見すえて-加藤周一が考えつづけてきたこと』2009・ちくま学芸文庫

2024年08月12日 | 随筆を読む

 2022年8月のブログです

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 加藤周一さんの論文集『言葉と戦車を見すえて-加藤周一が考えつづけてきたこと』(2009・ちくま学芸文庫)を久しぶりに再読する。

 やはりすごいな、と思う。

 本書には、1946年の「天皇制を論ず」(「大学新聞」)という論文から、表題になった1968年の「言葉と戦車」(「世界」)、そして、2005年の「60年前東京の夜」(「朝日新聞」夕陽妄語)までの60年間の論文、27本を収録する。

 その間、論旨が一貫していて、少しもぶれていないところがすごい。

 天皇制、敗戦と終戦、憲法9条、民主化と圧政、官僚制、教科書検定、再軍備、などなど、ふだんはなかなか見えにくい政治の動きが、とてもクリアに見えるところが本当にすごいと思う。

 そして、それを書く勇気。かなり大変なことではないかと想像するが、その勇気もすごいと思う。

 1968年の論文「言葉と戦車」はソ連のチェコスロヴァキアへの軍事介入を論ず。

 現在、進行中のロシアのウクライナ侵略と似たような構図だが、いずれも大国の横暴が露わだ。

 同じ時期、アメリカはベトナム介入を続けており、加藤さんは東西の大国を分け隔てなく批判する。

 アメリカ、ソ連はその後もあちこちで介入や戦争を続けているが、両国政府の言い分とその国民感情への加藤さんの視線は鋭い。

 そして、それは、翻って、戦前、日本が朝鮮や中国、東南アジアの国々を侵略し、それを日本国民が支持し、知識人がきちんと抵抗できなかったことへの反省に繋がる。

 目の前の問題をきちんと見て、小さいうちに対処していくことの大切さ。

 官僚制、教科書検定、君が代・日の丸、などなど。

 権力は、一見、スマートな装いで、じわじわと国民の自由を奪う。

 戦前と同じことを繰り返してはいけないと思う。

 加藤さんの本は、問題をクリアに見ることを可能にしてくれると思う。     (2022.8 記)

 

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子どもが親の背中を見て育つことができるような「おとな」の親に-じーじの旅・親子のスケッチ

2024年08月12日 | 「おとな」の親を考える

 2016年のブログです

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 今年も少し長めの夏休みを取らせていただいて北海道に行ってきました。 

 東川や旭川の森の中で涼んだり、散歩をしたり、キタキツネさんやエゾリスさんらとかくれんぼなどをしたりしていました。

 そんな中、道の駅で休憩をしているといろんな親子を見かけました。

 お金持ちそうだけど、親ごさんがキリキリしている親子、少し貧乏そうだけど、家族みなさんがニコニコしていていて幸せそうな親子。

 子どもにとってはどちらが幸せなのかなと、ふと考えます。

 あるいは、携帯で大声で話しながら片手で車を運転をしている親ごさん、障がい者用の駐車場に平気で車をとめる親ごさん。

 乗っている子どもさんたちは気のせいか、あまり幸せそうではありません。

 子どもが親の背中を見て育つことができるような「おとな」の親になりたいな、と思います。

 もっとも、じーじだって子育てでは失敗の連続でした。

 ずいぶん子どもたちには迷惑をかけてしまいました。

 それでもなんとか二人とも一人前になってくれたことに感謝をしています。

 「おとな」の親になることはけっこう難しいことなのかもしれません。      (2016.  8 記)


 

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宮内勝『増補・精神科デイケアマニュアル』1997・金剛出版-丁寧で親切な精神科臨床に学ぶ

2024年08月11日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2017年ころのブログです

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 宮内勝さんの『増補・精神科デイケアマニュアル』(1997・金剛出版)を再読しました。

 数年前に精神科デイケアで大学院の実習を受けた時に買った本ですので、5年ぶりくらいです。

 このところ、精神科デイケアについて少し考えていて、デイケアの本棚(いつも見ているコラージュ用の絵本や雑誌の本棚ではなく、メンバーさんの読書用の本棚のほうです)に置いてある統合失調症についての本やデイケアについての本を読んでいるのですが、自分の本棚にあったこの本も読んでみました。

 例のごとく、あちこちにアンダーラインや付箋があるのですが、内容はかなり忘れてしまっていて、またまた新鮮な気持ちで読みました。

 ただし、二回目の読書となると、この間の経験も加味されるのか、以前とは違ったところに付箋をはったり、アンダーラインをひいて、勉強になりました。

 今回、勉強になったのは、居場所としてのデイケアというところで、新人は少しずつ時間を増やしていけばいい、というところで、もちろん現場ではそういう配慮が慎重になされていますが、実際に今もそういうメンバーさんの姿を目の前で見ているので、とても参考になりました。

 また、スタッフがあまり焦ってプログラムを楽しいものにしないで、少しだけ楽しめる程度のほうがメンバーさんにはいい、との指摘も重要と思われました。

 ともすると、ついつい、楽しいことはいいことだ、と思いがちですが、それよりも、メンバーさんが主体的に少しずつ楽しんでいける場を援助することが大切になるのだな、と再確認ができたように思います。

 メンバーさんのペースを尊重して、楽しみすぎやはじゃぎすぎでメンバーさんが疲労することに配慮をする必要もありそうです。

 さらには、適度な休息や昼休みの休憩の確保も課題になりそうに思います。

 他にもいろいろと考えさせられるテーマが目白押しの本です。

 具体例を踏まえて、ていねいな検討やこまやかな記述がなされていますので、とても参考になります。

 今後も経験を重ねて、読み深めていきたいと思いました。          (2017?記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ  

    1977年、ある四流私立大学文学部社会学科を卒業、浦和、新潟家庭裁判所などで家庭裁判所調査官として司法臨床に従事する  

    2014年、定年退職間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士)を修了 

    2017年、臨床心理士になる

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

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北海道東川町で2017羽衣音楽祭がありました(その2)-じーじの2017北海道の旅

2024年08月11日 | ひとり旅で考える

 2017年夏のブログです

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 北海道東川町にいます。

 今日は東川町でのアマチュアバンドの音楽祭・羽衣音楽祭の日。

 人混みが大嫌いなじーじは、音楽祭に行こうかどうか、迷っていましたが、まずは朝早くからの練習風景を見学に行ったところ、駐車場にはまだあまり車がなく、いい予感(?)がしました(アマチュアバンドのみなさん、ごめんなさい)。

 演奏開始の午前10時半、人出はまあまあで、人混みの嫌いなじーじでもなんとか耐えられる程度。

 ステージからは少し離れてしまいますが、日陰のある池の近くのベンチに座ってくつろいでいると、音楽会はスタートしました。

 観客は子ども連れの家族が多く、和気あいあいの雰囲気で、子どもたちは音楽より、池のそばでトンボ捕りに夢中で、いい感じです。

 近くの保育園では、日曜保育もやっているらしく、保育士さんと子どもたちも散歩の途中に参入、みなさんの注目を浴びたり、池のそばでオニヤンマを捕るのに夢中です(子どもたち以上に女性の保育士さんがトンボ捕りに熱中しているのがおかしかったです)。

 バンドは旭川や札幌、東神楽、比布、さらには、地元の東川町のバンドなどで、全員、アマチュアで、中には今朝、旭川のイトーヨーカ堂の魚屋さんで仕事を終えてきたというメンバーもいます。

 舞台や音響は手作り感がいっぱいで、ひと昔前の新潟の日本海夕日コンサートを思い出す感じでしたが、今回でなんと21回目の開催ということで、レベルは高く、いい音を出しています。

 初参加だという若手バンドも、パンチのあるいい演奏をしていました。

 音楽会は午後5時半終了予定で今も演奏中、日陰にいたのになぜか日焼けをしたじーじは、体型だけでなく、色も黒くなって、さらにヒグマさんのようになってきました。

 ワイルドになったじーじは散歩のついでにフィナーレを見に行ってきます。

 来年への楽しみも増えて、じーじの夏休みはあと1週間です。     (2017.8 記)

 

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北海道東川町で2017羽衣音楽祭がありました(その1)-じーじの2019北海道の旅

2024年08月10日 | ひとり旅で考える

 2017年のブログです

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 北海道東川町にいます。

 朝夕、散歩をしています。

 今日の夕方は、久しぶりに大雪山旭岳がきれいに見えて、十勝岳もその噴煙がよく見えます。

 さらに散歩を続けていると、何やら音楽演奏が聴こえてきました。

 そういえば、北海道新聞に、明日、東川町でアマチュアバンドの音楽祭・羽衣音楽祭(町の羽衣公園という音楽堂もある広い公園で行われます。先日の大黒摩季さんの無料コンサートもここで行われました)と書かれていました。

 練習風景とはいえ、生の演奏はいいものです。

 しばし、聴き入ってしまいました。

 近くの保育園の子どもたちも散歩にやってきて、音楽にあわせて(?)、元気に走り回っています。 

 新潟にも日本海夕日コンサートという大きな野外コンサートがあって、じーじも若い頃はビールを持って、家族と聴きに行ったものですが、最近はご無沙汰でした。

 ちなみに、じーじはロックのようなにぎやかな音楽は、なぜか耳が痛くなるので苦手で、いつもお世話になっている精神科デイケアでも、ロックの音楽鑑賞の時はお休みをせてもらって、読書をしたりしていますが、しかし、生の演奏はやはり違いますね。

 明日の演奏会はどうしましょうか。

 大黒さんの時はたいへんな人混みをおそれて東川町を逃げ出しましたが、明日はどれくらいの人になるのか(?)迷っています(アマチュアバンドのみなさん、ごめんなさい)。

 いずれにしても、散歩をしながら、人の集まり具合を見て、考えたいと思います。

 東川町で、ワイルドなじーじがさらにワイルドになるかどうか、楽しみです。     (2017.8 記)

     

 

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エゾユキウサギくんを眺めながらの公園カウンセリングは、こころもぴょんぴょん元気になります

2024年08月10日 | カウンセリングをする

 こころの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングと訪問カウンセリングを新潟市と北海道東川町(夏期)でたまにやっています。

 また,メールカウンセリングや面会交流の相談・援助も時々やっています。

 公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は1回50分3,000円で,隔週1回,あるいは,月1回などで行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間などは公園カウンセリングと同じです。

 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,2週間に1往信で行ない,1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回50分3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回60分6,000円です。

 カウンセリング,相談・援助とも土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時に行なっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。

 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りて本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじは近くの公園や海岸、河川敷などでカウンセリングをしています。 

 子どもさんを遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです(じいじいやばあばあのみなさんもお断りはしませんが(?)、尊敬すべき先輩たちのみなさんですから、できるだけご自分で解決しましょうね)。

 おこづかいを貯めて(?)、お気軽に、遠慮せずに、ご利用ください。

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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