ロビンソン本を読む

本とデザイン。読んだ本、読んでいない本、素敵なデザインの本。

恐るべき緑

2025-03-21 22:34:18 | 読書
 ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』



 これは小説なのか?

 最初に読んだときは、ノンフィクションにしか思えなかった。

 しかし、軽快にジャンプを繰り返してあちこちに飛ぶ話についていくうち、いつしか頭の中には史実の断片が散りばめられていて、こういったスタイルの小説なのだと気づいた。

 そのときには、最初の短編「プルシアン・ブルー」を読み終えようとしていた。

 少し時間を空けて、もう一度「プルシアン・ブルー」を読んでみた。

 どこで話はジャンプしているのか。

 注意して読んでみても、そのスムーズなスライドは、移る瞬間を見逃してしまうほど見事になされていて、あまりの上手さに唸るばかり。

 ストーリーと言えるようなものは、あるけれどないようなもので、ここに書き連ねると科学の歴史を勉強しているノートのようになってしまうだろう。

 では、真面目で堅物なつまらない小説なのかというと、そんなことはない。

 退屈はしないし、有意義な時間になるのは間違いない。

 こんな言い方では、この小説の魅力が伝わらない。

 「恐るべき」小説なのだ。

 これで伝わるだろうか。


 装画はAdrián Gouet氏、装丁は緒方修一氏。(2024)

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おきざりにした悲しみは

2025-03-19 11:45:51 | 読書
 原田宗典『おきざりにした悲しみは』




 ファンタジー。

 65歳の男が見るファンタジーだ。

 甘く切なく、初恋の物語を読んでいるような気分になるのはどうしてだろう。

 初老と男と、母親に置き去りにされた幼い姉弟との、束の間の交流。


 タイトルの「おきざりにした悲しみは」は、中原中也の「汚れちまつた悲しみに」
を言い換えたものだろうと思っていたが、吉田拓郎の歌だった。

 1975年の曲で、1959年生まれの著者は当時16歳。この曲に鮮烈な思い出が詰まっているのだろうと想像する。

 70年代のフォークソングが、小説の一部となって頻出する。元の歌を知らなくても、その歌詞の強さに震える。


 65歳はまだまだ若い。

 体調が悪くても、どんな暮らしをしていようとも、希望があれば楽しく生きられる。

 同世代に向けての応援歌だが、下の世代が読んでも明るい気持ちになれる。

 YouTubeで吉田拓郎を聴きながら、ギターを練習しようと思う。


 装画は長岡毅氏、装丁は原研哉氏。(2025)
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愚か者同盟

2025-03-09 11:10:41 | 読書
 ジョン・ケネディ・トゥール『愚か者同盟』


 表紙に描かれた男のイラストは、一見コミカルだが、よく見ると何を考えているのかわからない薄気味悪い雰囲気がある。

 帯の「爆笑 労働ブラック・コメディ!!!」の文言で、普通ではない笑いなのだろうと想像する。

 
 1行目から登場するイグネイシャスの描写は、表紙の男そのもの。ただその書き方は、若干悪意を感じられなくもない。

 大きな頭に無理やりかぶったハンティング帽、耳から生えている剛毛は耳当てに押し潰され、口髭にポテトチップのかけらが詰まっている。

 彼は百貨店の前で母親を待っていて、肥満体を支える足が腫れてきている。これは母親に言って聞かせなければならないと叱責の言葉を考える。

 そこへ警官がやってきて彼に職務質問をする。

 イグネイシャスははなから喧嘩腰の対応で、2人の言い合いに、徐々に人だかりができてくる。

 ついに警官は警察署への同行を求め、側で見ていた老人がイグネイシャスを弁護する。そこへ母親がやってきて、何か問題を起こしたのかと問うと、イグネイシャスは面倒を起こしたのはこの人だと、老人を指す。さっき庇ってくれたのに。


 変なのはイグネイシャスだけではないが、彼の変人ぶりが際立っているので、この小説世界そのものが少し歪んでいることを忘れる。

 読んでいるうちに気づく。

 イグネイシャスは、いまなら発達障害と思われるのではないかと。40年以上前に書かれたもので、障害に関する知識はいまとは異なる。

 変わった人を小馬鹿にし面白がるのは、いまでも変わらないが、そこに障害者という認識が入ると笑ってはいけないと自重するようになる。

 でも、悪意を持って愚弄するのでなければ、笑いは許されるのではとも思う。笑われる当事者がどう感じるかにもよるが。


 イグネイシャスは、彼の理念に従って行動しているだけで、ある意味真っ直ぐだ。常軌を逸した部分もあって、それが周囲の人たちと軋轢を生む。

 そこを面白がらないと、この小説は成り立たない。

 厄介な感覚になってしまったと思う。


 装画は塩井浩平氏、装丁は山田英春氏。(2024)



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7月のダークライド

2025-02-11 18:41:59 | 読書
 ルー・バーニー『7月のダークライド』


 どうしてこうなってしまったのか。
 時間を巻き戻すことができるなら、あの時からやり直したい。
 そんな気持ちになることがある。
 でも実際に巻き戻せたとしても、ぼく自身の性格は変わらないので、また同じことを繰り返すかもしれない。

 ハーディーはどう思うのだろう。
 あそこから、もう一度やり直したいと思うのか。それとも自分の行動に誇りを持って、この選択した人生を受け入れるのか。
 長髪にサーフパンツ、ときどきマリファナをキメる、最低賃金で働く青年。
 他人のことなど気にかけない男が、市役所で幼い子ども2人が大人しくベンチに座っている姿を見かけることから物語は始まる。
 極端に痩せた2人。親の姿はなく、違和感を覚えたハーディーは話しかけるが反応がない。
 シャツの襟元から見えた煙草の火傷跡。急ぎ足で現れた母親が子どもたちを急き立て連れて行く。
 虐待? どうする?
 
 ハーディーは児童保護サービスに連絡をする。ところが親身になって動いてくれる人はいない。
 どうする?
 
 ハーディーは決して正義感に燃えているわけではないし、抜群の行動力があるわけでもない。ところが、ちょっとした奇跡ともいえる人の好意が、ハーディーを助けていく。
 予想外のことが起こりながらも、きっと最後は解決するのだろうと希望を持つのだが。
 舞台はアメリカなのだ。

 装丁はalbireo+nimayuma。(2024)


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その昔、N市では

2024-10-07 18:08:33 | 読書
 マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『その昔、N市では』



 15作の短編は、どれも現実と異界の狭間の物語。

 どれもただただ不気味。

 それなのになぜか、前にどこかで経験したことがあるかのような、懐かしさにも似た胸の奥を絞る感覚がついてくる。


 別世界の入口は、気づかないだけですぐ隣りにある。

 表題作「その昔、N市では」は、給仕、介護、清掃、配達といった、人に奉仕する仕事につく人がいなくなってしまった都市の話。

 デスクワークにばかり人々は集まり、路上は汚くなり飲食店は閉まり公共交通機関は運行を停止した。

 そこで街は、どんな嫌な仕事でも口答えせずにこなす人を作り出すことにしたのだった。


 募集しても人が集まらない。

 飲食店は営業時間を短縮し、バスは減便され、宅配便は配達が遅れる。

 2024年の日本のことだ。

 外国人労働者が珍しくなくなり、ロボットが給仕し、レジは無人になる。

 ぼくたちの生活は、少しずつ変わっていく。小説の舞台N市のように。

 
 この小説は1960年代に書かれたものだが、決して未来を予測したわけではないだろう。

 人手不足に対しての解決策は、小説のようにはならないだろうが、ぎりぎり似た世界が登場しないとも限らない。

 人間そっくりのAIはもういるのだから。


 装画は村上早氏、装丁は岡本歌織氏。(2024)
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