ロビンソン本を読む

本とデザイン。読んだ本、読んでいない本、素敵なデザインの本。

サンセット・パーク

2020-06-25 17:07:56 | 読書
ポール・オースター『サンセット・パーク』




 蛍光ピンクが目立つ表紙のイラストは、レトロな感じをまとっている。

 きっと古い時代の話か、あるいは現在を語りながら昔の話に自然と移行しつつ、気づくと現在にいるような物語なのではないか、そんなことを考えた。

 ポール・オースターの自由自在で巧みな文章の流れに身を任せ、思いもよらない場所へさまよっていくことを楽しみにしていた。

 ところが、そんな期待通りには進んでくれない。

 細かく区切られた章ごとに、異なる人物の視点になり、物語の流れが途切れる。さあ、これからというところで差し込まれる別の人物は、先に登場した人物の違う側面を見せる。その繰り返しで、物語の世界は少しずつ厚みを増していく。

 核となるのは、打ち捨てられた一軒家に不法に住む4人。経済的な困窮から、家賃を払わなくていいシェアハウスに集まってきた彼らは、それぞれにはずせない重しのような悩みを隠している。

 そのうちの1人は、心に負った傷がもとで親と長年不通だったが、あることをきっかけに連絡を取ろうと決心する。

 しかしそれは、シェアハウスに住んだことで傷が癒されたからではない。4人は少しずつお互いを理解していくものの、この場とは関係のない外との接触で彼らは変化していく。

 そして肝心な場面は、どういうわけか読んでいる者の目に触れさせず、伝聞という形を取る。

 考えてみれば、ポール・オースターがわかりやすい凡庸な小説を書くわけがない。ぼくが予想できるような展開になるはずがない。

 そんなことを考えると、文中キーワードのように登場する映画『我等の生涯の最良の年』は、見ていないと片手落ちなのではと心配になる。

 数多くの野球選手の名前も出てくるが、おそらく同好の士に共感してもらうためではなく、その話題の楽しさを感じてもらおうとしているのだと思う。だから、小説は理解するのではなく、ただ感じるだけでもいいかもしれないという気持ちにもなる。


 装丁は新潮社装幀室、装画は西山寛紀氏。(2020)



ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン

2020-06-15 17:37:37 | 読書
ダーグ・ソールスター『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』



 表紙の左上に入っている大きな車輪が目を引く。

 その右下に『Novel 11, Book 18』。行間に小さく『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』。暗号のようで意味がわからないタイトルだ。

 文字の並び、余白が生み出すスタイリッシュな空気から、青春小説が思い浮かぶ。

 帯の「この企みは予測不可能」というコピーも、若い人間にある無謀さを予感させる。

 表紙を開くと、カバーのイラストに続きがあることに気づいた。袖を広げていくと、自転車だと思っていたイラストは車椅子のようだ。障害が関わってくるのか? 少し混乱する。


 最初の1行目で、主人公と思われる人物が50歳だと知らされる。やがて18年前のことを振り返り始めるが、どうも若者の話ではなさそうだ。

 読み進めるうちに、わずかに気になることが出てきた。

 文章に繰り返しが多いのだ。

 主人公ビョーン・ハンセンが住むノルウェイの街コングスベルグ。この街の名前が最初のページに5回登場する。2ページめに3回、3ページめに4回。

 同じ表現ではないものの、同じ事柄を複数回説明することもある。

 訳者が村上春樹氏でなければ、これが何かを想起させるテクニックかもしれないとは考えずに、ただまどろっこしい文章だと思っただろう。

 物語は章立てになっていないが、おおまかに3つ程度に分けられる。

 愛人ツーリー・ラッメルスのこと、息子のこと、そしてビョーン・ハンセンとショッツ医師の企み。

 ビョーン・ハンセンは、愛人にも息子にも愛情を持っているのだが、相手からは望むような反応を得られない。やがてビョーン・ハンセンは極度に冷たく相手を見つめるようになる。その悪意を感じるほど冷たい眼差しは、ビョーン・ハンセンが持つ本来の冷たさなのか。それとも相手をないがしろにしたり、心を開かない態度が、人の心を冷やしてしまうということなのか。

 ショッツ医師との崩れつつある関係の果てに、自分の人生を自分で壊してしまう姿を見ていると、ビョーン・ハンセンは自分にも冷たいのだと、読んでいるぼくも心が冷えてしまう。

 予測不可能の企みは、ぼくには若者の悪ふざけにしか見えない。


 装丁は坂川栄治氏+坂川朱音氏(坂川事務所)、装画は谷山彩子氏。(2020)



アメリカーナ

2020-06-06 10:35:04 | 読書
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『アメリカーナ』




 もしもぼくが女性だったら、この物語をもっと理解し楽しめたのかもしれない。もしもアメリカに住む黒人だったら、もしもナイジェリア生まれだったら。

 このもどかしい思いは、退屈したからではない。その反対で、これほど面白い小説には滅多に出会えない。だからもっと隅々まで堪能したくなるのだ。

 
 物語は、アメリカに住むナイジェリア人女性のイフェメルが、ヘアサロンへ向かうところから始まる。

 アフリカン・ヘアを結ってくれる店が近くにないため、列車に乗って行く。どうしてそういう店がないのだろうと彼女は思う。

 列車を待ちながらアイスクリームコーンを食べている白人の男を見て「アメリカ人の大の男が食べているのを見るといつも責任能力をちょっと疑う」と思う。

 駅を出てタクシーに乗るとき、ナイジェリア人の運転者でなければいいと思う。

 ヘアサロンは、アフリカ出身の女性たちが働いている。


 冒頭の短い情景の中に、独特の角度から見たアメリカが映し出される。

 それはアフリカ出身の外国人だから通れる道。

 イフェメルは「非アメリカ黒人によるアメリカ黒人についてのさまざまな考察」というブログを書いている。

 このテーマは少しわかりにくい。同じ黒人、何が違うのか。

 アメリカ黒人はアメリカで生まれ育っているため、人種によって社会から受ける扱いに差があることを知っている。

 ところが、非アメリカ黒人のイフェメルは、故郷ナイジェリアでは皆が同じ肌の色なので、アメリカに来て初めて「黒人」と見られ驚く。


 アメリカの一面を見せるブログは面白いが、この小説の輝きはこれだけではない。

 登場する人たちが生き生きと動きまわり、彼らの小さなエピソードでさえ夢中になってしまう。

 さらに思ってもみなかったことだが、これは本当は長くて複雑な恋の物語を描いていたのだと、最後の方で気づく。トンネルを掘っていたら、不意に金の像を発見したようなもの。


 上下巻の表紙に6人の男女が描かれている。どれが誰なのか。考えてみるがわからない。どこかに答えがあるのだろうか。


 カバーデザインは鈴木成一デザイン室、装画は千海博美氏。(2020)