佐藤正午『月の満ち欠け』
ハードカバーの本を買い、読まないまま3年近くが過ぎた。
とうとう文庫本が出てしまった。
表紙には、エッチングが入っている。
向き合う2人。空には雲と月。
帯を外すと、この絵は表紙よりだいぶ小さく入っていることに気づく。
そして黄色い月は、エッチングではなく、おそらくデザイナーが描き足したものだ。
エッチングの下部には影ができていて、黒の背景の中に浮かび上がり、絵としての存在を意識させられる。
なんでこんなことをしたのだろう。
小説の楽しみ方のひとつに、書かれていない部分を想像することがある。
人物の指の動きだけで、悲しみや喜びが伝わってくるような、そんな文章に出会うと、背筋がぞくぞくする。
それは、意識下に働きかけてくる。
ときには、作者が意図していないところで、ぼくが勝手に想像を膨らませてしまうこともあるだろう。
『月の満ち欠け』では、個人的な経験との些細な共通項が、この小説をより印象深いものにした。
ぼくは、高田馬場で学生時代を過ごした。
バイト先の先輩で、映画にとても詳しい人がいて、いろんなことを教えてくれた。
20歳頃に出会った年上の女性は、魅力的な人が多かった。
小説は、ストーリーも大事だが、物語の中に何を感じられるかも大きい。
それは、1枚の絵を前にしたとき、人によって感じるものが違うのに似ている。
だから、表紙の絵は、展示された絵のようにも見える仕掛けを施したのだろうか。
装画は宝珠光寿氏、装丁は桂川潤氏。(2020)