ロビンソン本を読む

本とデザイン。読んだ本、読んでいない本、素敵なデザインの本。

軋む心

2020-07-20 17:47:36 | 読書
ドナル・ライアン『軋む心』




 表紙のモノクロ写真は陰鬱で、暗い物語を予感させる。

 錆つき曲がった門扉と、ぬかるんだ深い轍。敷地はとても広く、門の造りはしっかりしていて、かつては裕福だったのに落ちぶれてしまった、荒んでしまったと告げている。

 タイトルを大きく囲んでいる細い線の赤いハートが、荒れた心に手を差し伸べているようでもあるが、ところどころ欠けているのが気になる。


 アイルランドが舞台の小説。

 最初は建設業者ボビーの独白で始まる。

 1人で暮らす年老いた父親をボビーは毎日訪ねているが、父とは憎み合っているようで、殺すことを考えている。最近、勤めていた会社の社長が社員の年金などを横領して逃亡、職を失った。自分のことを腰抜けで役立たずだと思っている。

 この不穏な空気は、そのあとに続く20人のモノローグを読んでいるときにも忘れられず、何かが起こる気配を探してしまう。

 ボビーの周囲にいる人たちが、断片的にそれぞれの生活を語る。そこにボビーの姿が見え隠れする。本人の内面の告白と、外から見えるものには差異があるもので、最初のボビーの腑抜けな印象が修正されていく。

 1本の丸太を20人がナイフで削るように、ボビーという人物の形を作っていくのだろうと思っていた。

 ところが、彼らの話は日常の細々した不満と生活の苦しさ。ボビーのことはそっちのけ、彼は端役でしかない。

 ボビーと同様、仕事を失った男たちがいる。外国へ働きに行くことを考えているが、もっと貧しい国から働きに来ている男たちもいる。アイルランドの深刻な状況に息苦しくなってくる。

 ボビーが関わる事件が発生するが、本人は相変わらず端に追いやられ、彼の姿はだんだん遠くなっていく。浮かんでくるのは、どこかで誰かが見ている小さな町の姿。

 未来への展望がない物語だが、それでも小さな希望はある。一番最後、ボビーの妻の語りがそう思わせてくれる。

 
 装丁は緒方修一氏。(2020)



北回帰線

2020-07-13 17:45:38 | 読書
ヘンリー・ミラー『北回帰線』



 どうやら読みにくいらしいと聞いていたため、なかなか手に取れない本だった。

 長い休みを利用して一気にある程度まで読んでしまえれば、残りはなんとかなるかもしれない。そう考えていたところ都合よくまとまった休みが手に入り本を開いた。

 読んでみると、懸念したほどわかりにくくはないが、話があちこち飛ぶし、次から次へ新しい名前が出てくるため混乱する。

 彼らとの関係ははっきりしなくて、突如話の中心に躍り出た人物が改行とともに消えてしまい、存在を忘れた頃にひょっこり再び登場するようなことがある。なかには二度と登場しない人もいるかもしれない。

 モナという女性が、アメリカに残してきた妻だと知るのは、最初に彼女が現れてからだいぶあとのことで、謎の愛人としてぼくはしばらく記憶に留めておいた。


 1930年代、ヘンリー・ミラーはパリにしがみついていた。囚われていたと言えるのかもしれない。パリについてミラーは「チャンスが万人にないからこそ、ほとんど希望がないからこそ、ここパリでは人生が楽しいのだ」と書いている。

 常に金がなく、希望もなく、絶えず誰かから食事を恵んでもらえないかを考えている生活なのに、自分は幸福な人間だと言う。

 「パリのような都会は、癌のようにわれわれの内部で生長し、徐々に大きくなっていって、われわれは、ついにはそれに食いつくされるのである」とも書いていて、底辺から抜けられないことを嘆くのではなく、当たり前のことのように受け止めている。

 異国にいて発揮されるこの逞しさは、故郷アメリカを完全に見限ったからこそ得られたものなのか。アメリカでは万人にチャンスと希望があり、成功を夢見られる国だろうとぼくは思っているが、それはミラーの望む人生ではないのだ。 

 ところで、思いつくまま断片的に書かれたこの文章は何なのか。

 「小説ではない」、「ぼくは歌っているのだ」と言う。読む人を意識しない書き散らした印象はあるのだが、ところどころ面白くて捕らわれてしまうこの「歌」は、また時間ができたらさらにじっくり読んでみたい作品だ。


 装丁は新潮社装幀室。(2020)

ミッドナイト・ライン

2020-07-06 18:08:13 | 読書
リー・チャイルド『ミッドナイト・ライン』




 映画に原作小説がある場合、先に映画を観るか、それとも原作を読んで映画を観るかの選択を迫られる。

 ぼくは映画館が好きで、上映期間中に観るためには原作をものすごい速さで読まなくてはならず、それは無理なので先に映画を観ることが多い。

 映画によっては、原作を離れ映像独特の世界を表現している場合もあるので、ストーリーなどの情報がない方が楽しめることもある。

 一方小説は、映像化されたものがひとつの解釈と傍らに置きつつ、自分で別の世界を想像できる余地がある。

 いずれにしても、ふたつは別物と考えていて、観る時、読む時の気持ちが違う。


 リー・チャイルドの小説を原作とする映画『アウトロー』を観て、ぼくは原作の存在を知り、それから翻訳されたものを読むようになった。

 『ミッドナイト・ライン』は映画化されていない小説で、ジャック・リーチャーを主人公としたシリーズの1冊。

 ジャック・リーチャーは身長195センチ、体重113キロの大男。ビッグフット、超人ハルクと陰で呼ばれたりする。そのどちらとも異なるのは、元米国陸軍憲兵隊指揮官で、論理的に物事を考えるところだ。彼は一箇所に留まって暮らすことができず、絶えず放浪の旅をしている。

 この本の冒頭も、リーチャーは旅の途中。行き先にかまわず長距離バスに乗り、トレイ休憩で質屋の陳列窓をのぞいたことから、独特の物語が始まる。

 質屋で見つけたのは、陸軍士官学校の卒業生だけが与えられるクラスリング。リーチャーもこの学校の出で、リングを得るにはどれほど厳しい体験をするのか身をもって知っている。そう簡単に質屋に売ることなどできない。そこにリーチャーは漠然とした事件性を感じ、持ち主の女性を探そうとする。

 リングの仕入れ先をたどっていくと、怪しげな連中に行き当たるが、リーチャーは真正面から向かっていく。彼はナイフ、銃などの武器を持たない。武器どころか、所持品はズボンのポケットに歯ブラシだけ。最後にリーチャーはどんな真実を見つけるのか。

 読後、正しいこととそうでないこと、善悪の区別が曖昧になってしまう。

 リーチャーとの旅は面白い。


 装丁は岡孝治氏。(2020)