花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

「永遠の0」 は特攻賛美ではなかった

2014年06月20日 06時23分05秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
もと放送作家の百田尚樹氏のデビュー作、「永遠の0」 (百田尚樹、講談社文庫 
2009年、単行本 太田出版 2006年)。

戦争を知らない孫たちが、見たこともなかった自分のお爺さんの秘密を解き明か
していきます。
お爺さんはゼロ戦の操縦士で、いつも生きて帰ると言って仲間に毛嫌いされて
いた宮部久蔵。しかし彼はかならず生きて帰ると妻に約束していた。彼は一度も
撃墜されたことはなかった。それは逃げ回っているからだと噂されていたが、
それ操縦と空戦の名人だったからこそ、そして生きて帰ると硬く決心していた
からこそ可能だったことが、まだ生きている多くの戦友からの取材で明らかに
なる。

戦地で心の触れ合いがあった人には必ず、命を大切にするようにと諭していた
宮部。しかし終戦の間際になって、彼は特攻で戦死する。かならず生きて帰る
と誓っていた彼は、優秀なパイロットで少尉となり指導教官として欠くことの
できない人材でもあった。だから特攻を命じられる立場ではなかったと思う。
ならば特攻を志願したことになる。

なぜ志願したのか。小説にはそのなぜ、は書かれていない。戦友の語りから、
自分の指導した促成の予備学生たちが次々と特攻で死んでゆくことに耐えられ
なくなったのではないか、と推測するしかない。宮部は自ら特攻することを選ば
なければならないところまで、精神的に追い込まれたのだ。
しかもその最後の出撃の時に、宮部は自らが生き延びる可能性を捨てて、ある
戦友に家族を託す。

映画化され大ヒットしている話題作で、ストーリーは素晴らしく、人気になる
のも頷けます。
特攻を美化しているなら批判しなければならないと思って図書館で借りようと
しましたが、数十人待ちなので、文庫を買ってしまいました。読んでみると、
登場人物の話のほとんどは、むしろ旧軍をきびしく批判する内容で、戦前の
体制や特攻自体をまったく賛美していません。これは、百田氏の日頃の発言
からすると、たいへん意外でした。

たとえば、アメリカは対空砲火という防御兵器に、原爆並みの開発費を投じて
VT信管という、相手の近くに飛べば爆発する高性能信管を開発したのに対して、

「日本軍には最初から徹底した人命軽視の思想が貫かれていた。そしてこれが
のちの特攻につながっていったに違いない。」 (326p)

「意地を見せるという軍部のメンツのために」 大和と数千の将兵を特攻で捨て
てしまった。(399p)

桜花は人間が操縦するロケット爆弾で、「よくもまあこれほど非人間的な兵器
が作られたものだと思います。」 (405p)

特攻の指揮者大西中将の自決には、
「多くの前途ある若者の命を奪っておいて、老人一人が自殺したくらいで責任
がとれるのか。」 (431p)

美濃部正少佐は 20年2月の木更津での連合艦隊沖縄方面作戦会議で全軍
特攻に真っ向から反対した。(434p) 他に進藤三郎少佐 岡嶋清熊少佐も自分
の隊から決して特攻機を出さなかった。(434-435p) など兵学校出の士官にも
立派な人はいたが、「残念ながらその数は非常に少なかった。」 (436p)

「やつらの死はまったくの無駄だった。特攻というのは軍のメンツのための
作戦だ。沖縄戦の時には、すでに海軍には米軍と戦う艦隊は無きにひとしかっ
た。(中略) まだ飛行機が残っていた。ならその飛行機を全部使ってしまえと
いうわけだ。」 (486p)

愚劣な軍上層部のために、戦略的には無駄死にとなった特攻隊員ひとりひとり
の、家族や故郷や母国を思う心情は、涙なくして読むことはできません。

しかし本編で1か所、不満があるとすれば、開戦時の対米覚書の手交の遅れに
ついてです。この文書を宣戦布告文書とし、手交の遅れを在米大使館の職務
怠慢と断定していますが (373p)、この作品が書かれた後で、こうした見方を
神話として否定する、井口武夫氏の 「開戦神話 対米通告はなぜ遅れたのか」
(2008年) が発表されています。この部分を再検討できるなら、ぜひそうして
ほしいと思います。

また、特攻を 「よくやった」 と評価した天皇の発言が盛り込まれていないのは
惜しまれます。

最後に、児玉清氏の解説は、ゼロ戦ファンらしく熱がこもっています。しかし
「ただひたすら、すべての責任を他人に押し付けようとする、総クレイマー化し
つつある昨今の日本、利己主義が堂々とまかり通る現代日本を考えるとき、
太平洋戦争中に宮部久蔵がとった行動はどう評価されるのか。」 (588p)

と論じていますが、私は現代日本がそのように一方的に批判されなければなら
ないとは思いません。現代にも、自らを犠牲にして世の為に尽くす人は、東日本
大震災を見るまでもなくけっして少なくありません。庶民には健全な精神が残っ
ています。政府高官や指導者のデタラメなやり方を批判できることは敗戦の
賜物であり、この言論の自由を失っては、特攻のような狂気の作戦さえ批判でき
なくなるのです。

児玉氏は個人主義を批判しますが、まかりまちがっても戦前戦中のような
「日本を取り戻す」 ことにならないよう、心したいものです。
        (わが家で  2014年6月20日)
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