「ギリシャ正教 無限の神」 落合仁司著、 講談社 2001年。
著者は同支社大学経済学部教授ですが、専門は宗教学、数理神学です。
長谷川先生の、キリスト教と仏教の同質性とよく似た主張を展開していますが、論じ方はだいぶ違います。
「ギリシャ正教は、アジアの宗教であるイスラームや仏教に特徴的な考え方をも共有している。すなわち人間の救いは、人間が修行など自らの力によって自らを超え出て神や仏と一つになる、人間の神化あるいは成仏による外はないという考え方である。(中略) これはカトリックやプロテスタントには見られない特質である。ギリシャ正教はヨーロッパの宗教であると同時にアジアの宗教の特質をあわせ持っている。」12p
著者は、ギリシャ正教では三位一体ではなく、「神の一つの本質、異なる3つの位格 (実存)」 として 「三一論」 と呼んで、世界を超越する神がキリストや聖霊としてこの世に内在する矛盾を解決しているとします。さらに、聖霊は一人一人に固有な仕方で臨在するのですから、多数とも考えられる。つまり、「多一新教」 と呼ぶことができる。著者は、すべての宗教は多一神的であらざるを得ない、と論じます。 一神教と多神教の対立など問題にならないと論じます。90-91p
私はこれにちょっと疑問があります。ユダヤ教やイスラム教が、多一神教的であるとはどうも思えません。イスラムのスーフィズムはよく知りませんが、神と一体となることができるなどという教義がイスラムで一般的に支持されているとはとても思えない。ユダヤの神も絶対神ですが、どちらも一方的に人間に命令する神であり、人が神と一体となるなどという事を主張したら死罪でしょう。
そして、カントールの集合論の、「無限集合においては、部分は全体と一致する」という第一定理を神の活動に適用して 130p、人が「神の働き」と一致することができることを証明します。そしてその第二定理である、「無限集合の部分であるベキ集合の全体はもとの無限集合を超える」 を適用して、神の本質は「無限集合である神の働き」を超越する、と論じます 131p。
このカントールの第二定理は、私にはどうしても理解できない。全体 Aを部分 a,b,cに分けて、それを再集結して A’ (=a,b,c) にすると、A’ > A となるというわけです。それが数学的に証明され 177-178p、現代数学の基礎となっているというのですが・・・
仮にそうなるとして、そのとき A’に増えた要素はどういう性質のものなのか、なに故に増えたのか、まったく説明がなく、理解できりません。イエスが 5000人の民衆に5つのパンと2匹の魚を分け与えて食べさせ、残りクズを集めるとカゴがいくつもいっぱいになった、という奇跡が4福音書に揃って書かれていますが、それは信仰の話です。こちらは数学。何が何ゆえに増えたのか、数式だけでなくだれか解説してくれたのでしょうか。
このように、内容に若干の不満があるものの、ギリシャ正教と仏教に共通する 「多一神教」 という考え方はたいへん興味深いものです。ちょうどお盆。宗教書をもっと読んでみます。
著者は同支社大学経済学部教授ですが、専門は宗教学、数理神学です。
長谷川先生の、キリスト教と仏教の同質性とよく似た主張を展開していますが、論じ方はだいぶ違います。
「ギリシャ正教は、アジアの宗教であるイスラームや仏教に特徴的な考え方をも共有している。すなわち人間の救いは、人間が修行など自らの力によって自らを超え出て神や仏と一つになる、人間の神化あるいは成仏による外はないという考え方である。(中略) これはカトリックやプロテスタントには見られない特質である。ギリシャ正教はヨーロッパの宗教であると同時にアジアの宗教の特質をあわせ持っている。」12p
著者は、ギリシャ正教では三位一体ではなく、「神の一つの本質、異なる3つの位格 (実存)」 として 「三一論」 と呼んで、世界を超越する神がキリストや聖霊としてこの世に内在する矛盾を解決しているとします。さらに、聖霊は一人一人に固有な仕方で臨在するのですから、多数とも考えられる。つまり、「多一新教」 と呼ぶことができる。著者は、すべての宗教は多一神的であらざるを得ない、と論じます。 一神教と多神教の対立など問題にならないと論じます。90-91p
私はこれにちょっと疑問があります。ユダヤ教やイスラム教が、多一神教的であるとはどうも思えません。イスラムのスーフィズムはよく知りませんが、神と一体となることができるなどという教義がイスラムで一般的に支持されているとはとても思えない。ユダヤの神も絶対神ですが、どちらも一方的に人間に命令する神であり、人が神と一体となるなどという事を主張したら死罪でしょう。
そして、カントールの集合論の、「無限集合においては、部分は全体と一致する」という第一定理を神の活動に適用して 130p、人が「神の働き」と一致することができることを証明します。そしてその第二定理である、「無限集合の部分であるベキ集合の全体はもとの無限集合を超える」 を適用して、神の本質は「無限集合である神の働き」を超越する、と論じます 131p。
このカントールの第二定理は、私にはどうしても理解できない。全体 Aを部分 a,b,cに分けて、それを再集結して A’ (=a,b,c) にすると、A’ > A となるというわけです。それが数学的に証明され 177-178p、現代数学の基礎となっているというのですが・・・
仮にそうなるとして、そのとき A’に増えた要素はどういう性質のものなのか、なに故に増えたのか、まったく説明がなく、理解できりません。イエスが 5000人の民衆に5つのパンと2匹の魚を分け与えて食べさせ、残りクズを集めるとカゴがいくつもいっぱいになった、という奇跡が4福音書に揃って書かれていますが、それは信仰の話です。こちらは数学。何が何ゆえに増えたのか、数式だけでなくだれか解説してくれたのでしょうか。
このように、内容に若干の不満があるものの、ギリシャ正教と仏教に共通する 「多一神教」 という考え方はたいへん興味深いものです。ちょうどお盆。宗教書をもっと読んでみます。
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