ロドニー・スターク著 「十字軍とイスラーム世界」 新教出版社、櫻井康人訳、2016年。
イスラームは平和な宗教で、十字軍はキリスト教世界からの横暴な侵略戦争だった、という常識を覆す本です。著者は宗教社会学者で、ワシントン大学などで教授を務めた人物。
色々な点で定説や常識を打破してくれる本です。櫻井氏は訳者あとがきでこう言っています。「日本では支配的である十字軍に関する古典的な認識を修正してくれる。十字軍運動に身を投じたのは、家督を継げない次男以下の食いつぶれた者たちではなく、特定の有力家系 (十字軍家系) 出身者たちであり、十字軍を組織するために莫大な費用を要したこと、十字軍国家は、現地人から搾取するのではなく、人力及び経済の面でヨーロッパ世界に大きく依存していたこと、そしてイスラーム世界における十字軍への反感は20世紀の転換期になってようやく表れたこと。」
十字軍に参加した家系はほぼ一家を挙げて人材・経済面で協力したケースが多いそうです。それは利益になるどころか大変な負担だったし、リスクも大きかった。第1回などは特にそうだった。贖罪を得たいという強い信仰心がなければ不可能だというのは納得できます。だから、参加しなかった人々の方が 8-9割だというのもうなづけます。
キリスト教徒巡礼者は次第に増加していたが、1071年にセルジューク・トルコの軍がエルサレムを占領し、殺害と虐殺を行なったこと、そのころからエルサレムへのキリスト教巡礼者が襲撃されることが多かったという。(144-145p) これがクリュニー修道院出身で敬虔で知られた教皇ウルバヌス2世の十字軍発起の原因となったということです。
イスラームは文化的に優れており、当時の西欧は野蛮・未開の 「暗黒時代」 だったというのも間違いだとします。イスラームの文化は、いわゆるズィンミー (庇護民) によって担われていたとします。ギリシア哲学、医学、天文学、数学、造船、建築、ほとんどのものがイスラーム由来というよりもズィンミー (庇護民) 由来のものだった。(88p-) そして847年にカリフになったムワッタキル (位847-861) は力ずくで各人の研究活動や科学的調査を抑制し、信仰と異なる見解に対する抑圧を強めた。(99p) それ以後、ムスリム支配者は学者やその書物、学識にほとんどの者が寛容でなかった。エルサレムを奪回した英雄 「サラーフッディーン (サラディン) であっても、カイロにあった公共の図書館を閉鎖して、蔵書をばらまいたのであった。」(100p)
西欧の、ローマ帝国崩壊後は暗黒時代ではなかった。ヴォルテールやルソー、ギボンなどが唱え、広く信じられるようになったが、「その主張のいくつかは悪意に満ちており、そのすべては無知から生じたものである。」(101p) 哲学などは貴族層やキリスト教会が引き継いでいた。科学技術などでは、例えば運搬技術。イスラームが使わなかった馬によるけん引、蹄鉄の発明、連結引き具の採用、などがあり、十字軍遠征にも大いに活用された。(104p) 農業では、馬の利用による引っかき犂から重量犂への転換、三圃式農法の採用、などで農産物の収量が大幅に増加した。 (106p) 軍事的には、太く短い太矢を飛ばす弩 (いしゆみ、110p) 。少し訓練するだけで誰でも簡単にかなり正確に発射できるので、1139年に対異教徒を除いて禁止されたほどだそうです。対人地雷のようなものですね。さらに造船、艦隊については、あくまでもイスラームは西欧の模倣にすぎなかった。
イスラームの寛容については、「原則に基づくと、ユダヤ教徒やキリスト教徒は啓典の民として寛大に扱われ、信仰の自由が認められる、と考えられています。しかしそれはユダヤ教徒やキリスト教徒が徹底的に押さえつけられた状況下のみのことであった。」(49p) 新しい教会やシナゴーグを建設すること、声高に祈ったり聖典を読み上げたりすることも禁じられた。ロバには乗れても馬に乗るべきではない、とか。(50p)
戦争や虐殺は日常であり、もちろんイスラームだけのものではなかった。しかしイスラームが例外だった、などということはないのです。
私は、イスラームが平和な宗教だということに疑問を感じてきました。ロドニー・スターク氏はかなりの程度に私の疑問を解消してくれました。イスラーム世界がなぜ西欧にこれほど決定的に立ち遅れてしまったのか、ということも、その原因はやはりイスラームの教義そのものにあるらしい。
13世紀のエジプト人ムスリム歴史家が最初に書いたらしいという話を再掲すると、ムスリム指揮官がアレクサンドリアを占領した時、カリフのウマルにその巨大な図書館をどうすべきかについてお伺いを立てたところ、ウマルは次のように答えたと言われている。『もしそこに書かれている内容が神の書 (クルアーン) と矛盾しないなら、その本はもう必要ない。もし矛盾するのであれば、その本はもう望まれない。従って、それを粉砕せよ。』「指揮官は炉がわりに使うために町中にあった4000の浴槽に巻本をばらまいたが、すべてを焼き尽くすのには6か月を要したのであった。」(98p)
まことに分かりやすくイスラームの唯我独尊ぶりを的確に表現した逸話です。アレクサンドリアの図書館はシーザーの時に炎上したということになっていますが、700年後に再度炎上したのかどうか、史実は分かりません。ともかく、上から下までこういう考えですから、イスラームで文化文明が発展するハズがない。広大なイスラーム帝国ができた結果、規模の効果で一時的に経済が発展したのは当然でしょう。しかしやがて停滞し、西欧に決定的に立ち遅れてしまった。
人類にとって、宗教イデオロギーは恐ろしい。数千年にわたって、数千億人の思考を規制してしまう。クルアーンは絶対で完全無欠、などと言う迷妄を墨守するイスラームは、決して立ち上がることができないでしょう。ユダヤ教は同じ一神教でも聖書絶対主義ではないのでしょう。
イスラームは平和な宗教で、十字軍はキリスト教世界からの横暴な侵略戦争だった、という常識を覆す本です。著者は宗教社会学者で、ワシントン大学などで教授を務めた人物。
色々な点で定説や常識を打破してくれる本です。櫻井氏は訳者あとがきでこう言っています。「日本では支配的である十字軍に関する古典的な認識を修正してくれる。十字軍運動に身を投じたのは、家督を継げない次男以下の食いつぶれた者たちではなく、特定の有力家系 (十字軍家系) 出身者たちであり、十字軍を組織するために莫大な費用を要したこと、十字軍国家は、現地人から搾取するのではなく、人力及び経済の面でヨーロッパ世界に大きく依存していたこと、そしてイスラーム世界における十字軍への反感は20世紀の転換期になってようやく表れたこと。」
十字軍に参加した家系はほぼ一家を挙げて人材・経済面で協力したケースが多いそうです。それは利益になるどころか大変な負担だったし、リスクも大きかった。第1回などは特にそうだった。贖罪を得たいという強い信仰心がなければ不可能だというのは納得できます。だから、参加しなかった人々の方が 8-9割だというのもうなづけます。
キリスト教徒巡礼者は次第に増加していたが、1071年にセルジューク・トルコの軍がエルサレムを占領し、殺害と虐殺を行なったこと、そのころからエルサレムへのキリスト教巡礼者が襲撃されることが多かったという。(144-145p) これがクリュニー修道院出身で敬虔で知られた教皇ウルバヌス2世の十字軍発起の原因となったということです。
イスラームは文化的に優れており、当時の西欧は野蛮・未開の 「暗黒時代」 だったというのも間違いだとします。イスラームの文化は、いわゆるズィンミー (庇護民) によって担われていたとします。ギリシア哲学、医学、天文学、数学、造船、建築、ほとんどのものがイスラーム由来というよりもズィンミー (庇護民) 由来のものだった。(88p-) そして847年にカリフになったムワッタキル (位847-861) は力ずくで各人の研究活動や科学的調査を抑制し、信仰と異なる見解に対する抑圧を強めた。(99p) それ以後、ムスリム支配者は学者やその書物、学識にほとんどの者が寛容でなかった。エルサレムを奪回した英雄 「サラーフッディーン (サラディン) であっても、カイロにあった公共の図書館を閉鎖して、蔵書をばらまいたのであった。」(100p)
西欧の、ローマ帝国崩壊後は暗黒時代ではなかった。ヴォルテールやルソー、ギボンなどが唱え、広く信じられるようになったが、「その主張のいくつかは悪意に満ちており、そのすべては無知から生じたものである。」(101p) 哲学などは貴族層やキリスト教会が引き継いでいた。科学技術などでは、例えば運搬技術。イスラームが使わなかった馬によるけん引、蹄鉄の発明、連結引き具の採用、などがあり、十字軍遠征にも大いに活用された。(104p) 農業では、馬の利用による引っかき犂から重量犂への転換、三圃式農法の採用、などで農産物の収量が大幅に増加した。 (106p) 軍事的には、太く短い太矢を飛ばす弩 (いしゆみ、110p) 。少し訓練するだけで誰でも簡単にかなり正確に発射できるので、1139年に対異教徒を除いて禁止されたほどだそうです。対人地雷のようなものですね。さらに造船、艦隊については、あくまでもイスラームは西欧の模倣にすぎなかった。
イスラームの寛容については、「原則に基づくと、ユダヤ教徒やキリスト教徒は啓典の民として寛大に扱われ、信仰の自由が認められる、と考えられています。しかしそれはユダヤ教徒やキリスト教徒が徹底的に押さえつけられた状況下のみのことであった。」(49p) 新しい教会やシナゴーグを建設すること、声高に祈ったり聖典を読み上げたりすることも禁じられた。ロバには乗れても馬に乗るべきではない、とか。(50p)
戦争や虐殺は日常であり、もちろんイスラームだけのものではなかった。しかしイスラームが例外だった、などということはないのです。
私は、イスラームが平和な宗教だということに疑問を感じてきました。ロドニー・スターク氏はかなりの程度に私の疑問を解消してくれました。イスラーム世界がなぜ西欧にこれほど決定的に立ち遅れてしまったのか、ということも、その原因はやはりイスラームの教義そのものにあるらしい。
13世紀のエジプト人ムスリム歴史家が最初に書いたらしいという話を再掲すると、ムスリム指揮官がアレクサンドリアを占領した時、カリフのウマルにその巨大な図書館をどうすべきかについてお伺いを立てたところ、ウマルは次のように答えたと言われている。『もしそこに書かれている内容が神の書 (クルアーン) と矛盾しないなら、その本はもう必要ない。もし矛盾するのであれば、その本はもう望まれない。従って、それを粉砕せよ。』「指揮官は炉がわりに使うために町中にあった4000の浴槽に巻本をばらまいたが、すべてを焼き尽くすのには6か月を要したのであった。」(98p)
まことに分かりやすくイスラームの唯我独尊ぶりを的確に表現した逸話です。アレクサンドリアの図書館はシーザーの時に炎上したということになっていますが、700年後に再度炎上したのかどうか、史実は分かりません。ともかく、上から下までこういう考えですから、イスラームで文化文明が発展するハズがない。広大なイスラーム帝国ができた結果、規模の効果で一時的に経済が発展したのは当然でしょう。しかしやがて停滞し、西欧に決定的に立ち遅れてしまった。
人類にとって、宗教イデオロギーは恐ろしい。数千年にわたって、数千億人の思考を規制してしまう。クルアーンは絶対で完全無欠、などと言う迷妄を墨守するイスラームは、決して立ち上がることができないでしょう。ユダヤ教は同じ一神教でも聖書絶対主義ではないのでしょう。
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