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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

つばた町民八朔祭り。

2011年07月30日 20時43分31秒 | 日記
「今日の一枚」は「つばた町民八朔祭り」のメイン会場…
住吉公園駐車場でのアトラクション。
お客さんを持ち上げるクレーン車だ。

高所恐怖症の僕には無縁だが、高い所が好きな人は大勢いる。
非日常の空間…こうしたフェスティバル会場や旅先、遊園地などでは、
特に興味をかき立てられるらしい。
乗車ステージや周囲からは、盛んに拍手や歓声が上がっていた。
また、買い食い&くじ引きでテンションが上がった小学生が、
「触らせてもらっていいですか?!」と言うや否や「りくすけ」の頭を撫でる。
彼の口の端にはフランクフルトのものらしき、
ケチャップとマスタードがこびり付いていた。

一方、視線を翻してみれば、会場内には人だかり。

 

皆、笑顔である。
画面中心のやや左側、照明のある辺りがメインステージ。
通りかかったタイミングでは、津幡町内と近隣のサークルが、
ダンスや太鼓演奏などを披露していた。
その右、テントの屋根が見える。
地元商店街からの出店を中心にした露店が並び、
焼きそば、焼き鳥といった祭りグルメが煙を上げていた。

…ま、典型的なイベント会場の様子である。
これまでも何度か書いてきたとおり、どこか物足りない。
賑やかではあるものの、かつて、大西山周辺で繰り広げられていた当時の
猥雑で妖しい熱気に欠けているのだ。

ただ一つだけ、風情を感じるものがあった。

 

会場裏の津幡川に係留された「和舟」である。

鉄道も自動車(トラック)もなかった時代、
人と物の輸送・交流手段の中心は水運だった。
津幡町では、干拓前の河北潟と津幡川、
それらを結んだ水路が利用されたのは想像に難くない。
水上輸送最盛期の明治初頭には、
五十石~十石まで用途に応じた船が、津幡川を行き交い、
農作物、漁獲物、燃料、建築資材などが運ばれていた。
下流のには、川沿いに舟小屋と小舟が並ぶ
水郷の風景が広がっていたという。
時には、舟遊びに興じるお大尽もいたのだろう…。

意識は祭りの喧騒を離れ、しばし過去への空想を楽しんだ。
真夏の夕の夢、である。
コメント
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