つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

近江の国にて、津幡町を思い遣る。~その2~

2013年03月07日 23時22分43秒 | 旅行
今回は、昨日の続編。
昨年から今年にかけて2度足を運んだ滋賀県でのスナップを眺め、
またもやジャック・ダニエルを傾けつつ、故郷・津幡町の昔日の姿に思いを馳せたい。

「冒頭の一枚」は、平成24年3月、滋賀県東近江市に開館した
「滋賀県平和祈念館」のエントランス。
一歩足を踏み入れた途端…息を呑んだ。
戦争続きだった昭和期の滋賀県に生きた人たちのスナップが掲示されている。

施設内部は、なかなかの充実度。
昭和初期の風景や人々の暮らしを写した写真。
戦地から家族に宛てた手紙。
子どもたちが書いた日記。
軍服、千人針、赤紙など、いずれも滋賀県民から提供されたものばかり。
実に豊富な資料が展示されていた。
戦争体験を語り継いでいこうという強い意志が伝わってきた。

中でも印象に残った一枚の写真…。

  

太平洋戦争直後、大阪へ帰京する疎開児童たちの様子を写したスナップだ。

以前投降したとおり、
津幡町も大阪から大勢の疎開者を受け入れた過去がある。
(※2012年1月21日 記事参照)
少年少女が寝食を得た場所の一つが「弘願寺」だ。
食糧不足に悩まされ、虱に悩まされ、親元から離れ寂しい日々を過ごしたに違いない。

  

今朝、僕が目にした景観は、憂いに満ちていたに違いない。

今宵も酔いが回ってきた。
おやすみなさい。
コメント
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