つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町・実生保育園、新規竣工。

2013年03月27日 23時18分31秒 | 日記
実生と書いて「みおい」と読む。
津幡川沿いの「実生保育園」が新しくなった。
画面左手に写る甍の屋根は「鳥越 弘願寺」である。

実生の“実”は一人ひとりの子どもを指す。
大きい実 小さい実 いろいろな実があるが、
一人ひとりを大切にし、生き生きと輝くことを願って保育しているのだとか。
大正11年、津幡町最初の保育園として設立された。
歴史のある保育園なのである。

先月末、ここに関わる記事が発表された。

『ジェーンは、1927(昭和2)年に米国から贈られた友情人形、12,739体の1つです。
 おなじみの童謡「青い目の人形」に出てくる人形たちで、
 日米親善の証として贈られた人形ですが、
 戦時中には「敵国のスパイ」とみなされて
 多くが廃棄されたり燃やされたりして、現存するものはわずか330体、
 県内には3体しかありません。
 (※白山市鶴来博物館・輪島市西保小学校・津幡町実生保育園)
 ジェーンは戦争中、保育園職員たちが大切にされてきた人形を思いやり、
 かくまったことで破壊から逃れることができました。
 その後は、実生保育園で毎年ひな祭りの日にひな人形とともに飾られ、
 園児たちにその歴史が伝えられてきました。
 今後は町教育委員会で保管管理され、終戦記念日などに展示をしていく予定です。
 数奇な運命を経て、指定に至ったジェーン・オルフ。
 これからも親善の使者として平和の大切さを私たちに教えてくれることでしょう。
 青い眼の人形「ジェーン・オルフ」が、歴史的・教育的価値が高いとして、
 2月1日に町の有形文化財に指定されました。』  (※津幡町HPより転載)
         
…『これからも親善の使者として平和の大切さを私たちに教えてくれる』為には、
当時の日米関係を把握しなければならない。

20世紀初頭、日本からは大勢の移民がアメリカに渡り働いていた。
低い賃金でも真面目に勤しんだ結果、白人の仕事を奪い社会問題化。
米国人からすれば、言葉も生活習慣も違う“奇妙な集団”とも思えた。
また、日清・日露の戦役に勝利し、頭角を現す様を脅威に感じたとしても不思議ではない。

そんな中、来日経験を持ち、親日家の宣教師が、人形を通した日米親善を計画。
「お雛祭り」の際、アメリカから贈った人形を一緒に飾って楽しんでもらおうと…。
宣教師の呼びかけに応えて贈られた人形は、一体一体に名前を与え、
手作りの服を着せ、パスポートを持たせて海を渡った。
そして、日米関係は修復困難となり、やがてハワイ真珠湾で戦端が開かれる。

その後の運命は、上記のとおり。
彼女…「ジェーン」は、長い道のりを経て我が町にやって来て、
長い苦難を乗り越えてここに在るのだ。
コメント
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