つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の忠犬伝説、再考。

2015年09月12日 09時34分46秒 | 自然
2015年の秋は、後世へ苦い記憶を遺す事になるだろう。
鬼怒川決壊、不明22人に 栃木・宮城で計3人死亡
被ったダメージは大きい。
報道に乗ったケースの他にも、物心両面に亘って刻まれた爪跡は深く、
復旧への道のりは困難を極めるだろう。
今後のご健闘をお祈りし、些少ながら寄付・寄贈にてサポートしたいと考えている。

「関東・東北水害」は、対岸の火事ではない。
今回は、幸いにして難を逃れたが、北陸で同様の災害が起こる可能性はある。
事実、過去を振り返れば、津幡町も水害と闘ってきた。

例えば、以前、拙ブログでも取り上げた、昭和39年(1964年)7月の集中豪雨。
この時、金沢~津幡での被害は、死者8、全壊家屋52、床上浸水3,000棟以上とされる。
勿論、数字の裏に、多くの失意や哀しみなどが隠れているであろう事は言うまでもない。
(※2010年11月13日に関連投稿。興味あればご参照ください。

もう一つ。
昭和19年(1944年)の春、水害を未然に防いだ言い伝えがある。

【大雨が降ったある日、津幡地区の通称「平谷(へいだん)」に住む女性が
 畑が心配で見に行くと、一匹の犬が畑を駆け回り、
 今にも飛びつかんばかりにしていました。
 不審に思って辺りを見ると、隣の田んぼが水浸しになっていたので、
 急いで区長に伝えました。
 調べてみると、 近くの堤が決壊しそうになっていたため、
 近くの住民で土のうを積み、大事には至りませんでした。 
 その堤には古くから不動明王を奉ってあり、
 犬に姿を変えて堤の決壊を知らせてくれたのではないかと
 うわさになったそうです。】
(※津幡町観光ガイドより引用。

度々、街ネタとして紹介される機会もあり、ご存知の方もいるだろう。
「津幡の忠犬伝説」である。
これが元になり、町内の住宅の玄関先には、
散歩中に見つけるのに苦労しないほど「犬の置物」が目立つ。
 
 
 

ちなみに、ここが件の「近くの堤」こと「津幡池」。

 

伝説の出自が気になり『1944 石川県 津幡 水害 大雨』とネット検索。
しかし、目だったヒットはなかった。
幸い被害を免れた訳だから記録がないのか?
局地的なゲリラ豪雨だったため、記述がないのか?
戦時中の事ゆえ、記録そのものが失われてしまったのか?
真実は定かではない。
だからこそ伝説なのである。

また、そこには教訓を読み取る事も出来る。

雨量の変化に注意せよ。
周囲の自然に気を配れ。
緊急時の準備を怠るな。
対応は迅速かつ的確に。

…普段から、肝に銘じておきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする