つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

銀週や実りの秋の津幡町。

2015年09月23日 09時41分43秒 | 自然
本日は、2015年のシルバーウィーク最終日。
連休中は好天に恵まれ、出歩くにはうってつけの日柄となった。
散歩をしていても、つい遠出したくなる。
一日の中でも、陽が落ち始める頃は特に風情がいい。
【春は曙 夏は夜 秋は夕暮 冬はつとめて】
「清少納言」の推薦文に、素直に頷けるのである。

また、秋は街中に「実り」を散見出来るのがいい。
太陽のエネルギーと、水と風によって育まれたそれらは、人の糧になるからだ。
秋分の日の今日は、散歩中に撮影した実りの画像に合わせ、
自然の恵みを題材に詠んだ歌を紹介したい。

【早稲の香や 分け入る右は 有磯海】(画像:稲架干しの稲束)

江戸時代の俳聖「松尾芭蕉」が、津幡町のお隣・富山で読んだ句。
奥の細道の途上、越中に入った時の安堵感を込めたと言われている。
有磯海は富山湾の歌枕。
親不知や市振など越後の難所を踏破して国境(くにざかい)を越え、
稲と潮の香りが入り混じった穏やかな風景に接した瞬間、さぞホッとしただろう。
海を右に見ているという事は、進路は西。
芭蕉一行は、この後、高岡~倶利伽羅を経て、金沢へ至るのである。

【柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺】(画像:色づく渋柿)

作者は「正岡子規」。
慶応3年(1867年)今の愛媛県・松山市に武士の子として生まれた。
本名は「正岡升(のぼる)」。俳号の「子規」はホトトギスの事。
鳴けば鳴くほど赤い口の中が露わになり
血を吐いている様に見える鳥・ホトトギスは、結核の隠語。
「子規」が不治の病を患っていた事は有名である。
『果たして俺は、来年の柿を口に出来るんだろうか?』
病魔と闘い、命を削って創作に打ち込む彼が、そう思ったとしても不思議ではない。
名句には、どこか悲哀の気配が漂う。

【いちじくの 衰えはげし 恋も棄て】(画像:熟した口割れの無花果)

詠み手は、大正14年(1925年)生まれの俳人「赤尾兜子(あかお・とうし)」。
大阪外語学校中国語学科に在学中、
同級の蒙古語科に「司馬遼太郎」が、一年上級のインド語科に「陳舜臣」がいた。
毎日新聞社に入社し学芸部記者、編集委員などを務めながら前衛的な俳句を発表。
中には前述のように、心の機微を詠った作品もある。
モチーフのイチジクは、1カ月で熟す「一熟」から来ているという。
短期間で熟れて衰えるのが早い果物に、恋も激しいほど早く冷める例えをかけた。
…うまいなぁ~。

さて、連休の最後にようやく休みが取れた。
これから「金沢競馬場」へ出かけようと考えている。
目的は「サンクスホースデイズin金沢」。
金沢出身の競争馬調教師「角居勝彦さん」が発起人のイベントである。
興味のある方は、是非、足を運んでみてはいかがだろうか。
「勝てない競走馬」はどうなるのか 日本一の調教師・角居師の「もう一つの挑戦」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする