つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

拝啓、橋の下より。

2017年10月28日 19時46分13秒 | これは昭和と言えるだろう。
「橋」は、地勢的に断絶された所を行き来するため、
人がわざわざ大変な労力を払って架けた造作物。
故に、当然、通行量は少なくない。
足音に話し声。
銀輪が回る音。
エンジンの機械音や排気音。
橋の上では様々なサウンドが飛び交っているが、
その真下に身を置くと、実際の距離よりも遠ざかったような気がするから不思議である。
…津幡川に架かる「住ノ江橋」の下。
ここが、ある時期の僕にとっては必要な空間だった。

前回の投稿「前略、道の上より」では、
幼児期の遊び場である住宅街の道について思い出を書いた。
今回の投稿は、それから数年後の心覚えである。

思春期の入口が見えてきた頃、僕は時々、妙に一人になりたくなってここを訪れた。
漫画雑誌や文庫本片手に時間をつぶしたり、
水鳥が羽ばたき、魚が泳ぐ姿を観察したり、
川面に石を投げたり、水の流れを見つめたり、
何をするでもなく、ただ無為に過ごしたりした。
きっと、芽生え始めた羞恥心や体面・見栄、性衝動など、
体の奥底で胎動する「大人」に戸惑い、紋々としていたのである。

あれから時が経ち、僕はオッサンになった。
戸惑いや紋々との付き合い方を学んだからか?
あるいは、諦念の味を覚えたからなのか?
いずれにしても「住ノ江橋」の下に陣取る事は、もうない。

…が、散歩の折にはつい足を運び川面を眺めてしまう。
橋の上より。

コメント
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