以前、投稿したとおり、わが津幡町は幸いにも戦災に遭っていない。
よって、当時を偲ばせる痕跡を見つけることは困難。
敢えて挙げるなら「忠魂碑」だろう。
かつて「津幡小学校・旧校舎」があった大西山にも、それは建っている。

「忠魂碑」を辞書で引いてみたところ、
“戦死者を記念するために建てた碑。”・・・との記載。
その普及は、日露戦争以降。
在郷軍人会の主導により、小学校などの一角に建立した。
また「皇紀2600年」記念事業も大きなキッカケになった。
皇紀とは、明治政府が明治5年に設けた天皇制の年号。
「イエス・キリスト」生誕よりも古く、初代「神武天皇」の即位に始まる。
昭和15年(1940年)が、節目の2600年にあたるとされ、
各地で記念碑の建立、記念植樹などが行われた。
件の忠魂碑にも、石碑がある。

さて、碑文題号の揮毫(きごう)者は「一戸兵衛(いちのへ・ひょうえ)」氏。

西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。
取り分け、対ロシア戦役の旅順攻略戦では、
第二次総攻撃において、敵の拠点を奪取し勇名を轟かせた。
最終軍歴は陸軍大将。
退役後は学習院院長、帝国在郷軍人会会長などを務めたという。

冒頭に記した様に、戦災に縁のない津幡町ながら、出征し命を落とした先達は多い。
芳名の数は、100を下らないだろう。

若い身空で散った方々の記録と共に高台から町を見下ろす「忠魂碑」は、
やはり、一種の戦時遺構である。

よって、当時を偲ばせる痕跡を見つけることは困難。
敢えて挙げるなら「忠魂碑」だろう。
かつて「津幡小学校・旧校舎」があった大西山にも、それは建っている。

「忠魂碑」を辞書で引いてみたところ、
“戦死者を記念するために建てた碑。”・・・との記載。
その普及は、日露戦争以降。
在郷軍人会の主導により、小学校などの一角に建立した。
また「皇紀2600年」記念事業も大きなキッカケになった。
皇紀とは、明治政府が明治5年に設けた天皇制の年号。
「イエス・キリスト」生誕よりも古く、初代「神武天皇」の即位に始まる。
昭和15年(1940年)が、節目の2600年にあたるとされ、
各地で記念碑の建立、記念植樹などが行われた。
件の忠魂碑にも、石碑がある。

さて、碑文題号の揮毫(きごう)者は「一戸兵衛(いちのへ・ひょうえ)」氏。

西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。
取り分け、対ロシア戦役の旅順攻略戦では、
第二次総攻撃において、敵の拠点を奪取し勇名を轟かせた。
最終軍歴は陸軍大将。
退役後は学習院院長、帝国在郷軍人会会長などを務めたという。

冒頭に記した様に、戦災に縁のない津幡町ながら、出征し命を落とした先達は多い。
芳名の数は、100を下らないだろう。

若い身空で散った方々の記録と共に高台から町を見下ろす「忠魂碑」は、
やはり、一種の戦時遺構である。
