「今村」引退。
そう聞いて感慨を抱くのは、競艇ファンしかいないかもしれない。
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きのう(2020/10/08)競艇選手の「今村 豊(ゆたか)」氏(59歳)が、
およそ40年の競技人生に幕を下ろした。
引退を決意したキッカケは、最低体重制限の変更だった。
<令和2年11月1日以降を初日とする競走より、
全競走を対象に男子選手の最低体重基準値を
現行の51kgから52kgに引き上げます。
現在の選手の平均体重は、男子が約54kgとなっており、
男子選手の平均体重と最低体重との差が大きく、
また、厚生労働省の統計データにおける
日本人男性の平均体重との差も大きい状況にあったため、
男子選手の健康維持並びに身体能力の発揮による事故防止を目的に、
最低体重基準値を引き上げることにしました。>
(※ボートレース公式HPより、抜粋・引用)
太れない体質の「今村」氏は、減量ではなく、増量に苦労していた。
何しろ秒単位で着順を争う競技だ。
ただ増やせばいい訳ではない。
レーサーとしての力を落とさずに、増量しなければならない。
軽いなら、重りを身に着ければ出走可能だが、
それは「自分で練り上げたベストな状態」ではなく信条に反した。
年間ほぼ休みなく各地を回り走りながら、過酷な体調管理に耐えてきたが、
更に基準が上がり限界を悟ったという。
正直、衰えも感じていただろう。
最上位カテゴリーには踏ん張っているが、
全盛期には及ばず、特に一線級との戦いでは活躍から遠ざかっていた。
かく言う僕は、競艇ファン歴の浅い若輩者。
氏のピークを目の当たりにしていない。
しかし、それでも残した偉業は記録を見ればわかる。
デビューは1981年5月、初戦でいきなり初勝利。
1982年4月に初優勝。
同じ年7月にG1レース初制覇。
1984年5月の浜名湖オールスターでは、当時の最年少記録でSG初優勝。
これまでの優勝回数は、歴代3位の通算142。
うちG1は48V、SGは7V。
生涯獲得賞金は歴代2位の29億5,000万円あまり。
--- 「すごい」の一言だ。
フラッシュが明滅する引退会見。
質問に丁寧に受け答えする中で、僕が最も印象に残ったのは次のやり取りだった。
記者「40年のレーサー人生で、やり通したことは何でしょう?」
今村「自分から艇(ふね)をぶつけにいかない事です。
レースの中でぶつかってしまう事はありましたが、
自分からぶつけに行った事は、一度もない。」
激しい勝負の世界でクリーンファイトを貫き、
当時の競艇界の常識“コーナーではスピードを落として周る”を塗り替え、
フルスロットルの全速ターンを武器に、前述の大記録を打ち立てたのだ。
しかも、難病を抱えながら。
他にも、氏の誠実な人柄を伝えるエピソードは枚挙に暇(いとま)がない。
競艇は、頑張れば70歳でも現役でいられる。
だが、彼はここで幕を引いた。
トップグループの一員のまま、自らピットを去った。
一つの時代が終わった。
「今やん、おつかれさまでした!」