つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

雪の下から、土の下から。~ れきしる企画展。

2022年02月06日 16時16分16秒 | 日記
                  
北陸・津幡町は雪景色。

立春(2022/02/04)夜半から断続的に降り続き、
平地でも、ある程度まとまった量になった。
気温も低い。
県内全ての観測地点で氷点下を記録した。





金沢地方気象台発表の24時間で予想される降雪量は---
いずれも多い所で、加賀の平地で40cm、山地で60cm。
能登では平地で30cm、山地で40cm。
ただ、この寒波の息は短いとの予報。
油断禁物ながら、やや安心もしている。



上掲画像は、雪に耐える松。
雪の下で寒さに震えながら、春を待ち望んでいる。



一方こちらは、土の下から届いた時空を超えたメッセージ。
津幡町ふるさと歴史館 れきしる」にて、今月1日から企画展が始まった。
県内4市2町の遺物を集めた巡回展、
「石川中央都市圏考古資料展 古墳時代編」である。
きのうお邪魔してきた。

津幡町からの出展の一つは「北中条(きたちゅうじょう)遺跡」から出土したもの。



土地勘のある方にしかピンとこないだろうが、
上掲画像、薄い緑色エリアが現在の「アル・プラザ津幡」。
北中条遺跡は、そのショッピングセンターと、町の文化館「シグナス」周辺。
つまり、多くの町民が頻繁に行き来する中心部である。
その遺構は、縄文~弥生~古墳時代まで、
ざっと数千年間にまたがる事を考えれば、住みやすい環境だったのは想像に難くない。





半島由来の須恵器(すえき/国産陶質土器)の一種、
「坏身(つきみ)」と「坏蓋(つきぶた)」。
皿よりもやや深く、主に普段使いの食器として用いられた。
身と蓋はセットと考えられるが、蓋の目的は保温、虫よけなどだろうか。



上掲画像中央、海鼠(なまこ)のような形状は「子持勾玉(まがたま)」。
大型の勾玉に小型の勾玉を付着させたそれは、
ヒスイ製のアクセサリーではなく、石を加工したもの。
占いや呪術儀式などに使われたらしい。

その右隣、半円形の遺物は、粒のような丸い文様をあしらった「珠文鏡(しゅもんきょう)」。
人為的に割った「破鏡(はきょう)」なのは、どんな意味があるのだろう?
古代において、光を反射し世界を映す鏡は、霊力を備えた権威の象徴とも聞く。
それがものの見事に真っ二つ ---。
何故だ?!
想像が広がるのである。



今投稿で取り上げたのは、ごく一部。
他にも「能瀬石山(のせいしやま)古墳」から出土した鉄刀もある。
また、白山市・野々市市・金沢市・かほく市・内灘町の遺物が並ぶ。
時間と都合が許せば「れきしる」へ足を運んでみてはいかがだろうか。
「石川中央都市圏考古資料展 古墳時代編」は、
2022年3月20日(日)まで開催している。

古墳時代は、稲作が定着し、暮らしの単位が小さな集落から大きな社会へと移行。
貧富の差、身分の差が生まれた。
上位者の象徴が大きな「墳墓」---「古墳」。
展示物を通して、「国」が形作られ始めた当時に思いを馳せれば、
しばし豪華なタイムトリップが楽しめる。
                     
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする