アウトローの物語「悪漢譚(あっかんたん)」には、一種独特の趣(おもむき)がある。
リアルでお近づきになるなら、断然、正義の味方だが、
エンターテイメントなら、悪の魅力に酔いしれるのも一興。
しかも、主人公が美しい「悪女」なら尚更である。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十弾は「ボニー・エリザベス・パーカー」。

1930年代初頭、アメリカは空前の不況に喘いでいた。
ニューヨーク株式市場の大暴落でバブルが弾け、
GDPは45%減、株価は80%下降、失業率は25%にも達した。
貧すれば鈍する。
社会全体が絶望感に苛まれ、不信感や恨みが募ってゆく中で、
颯爽と現れたのが「ボニーとクライド」だった。
貧しい農家に生まれた、街のチンピラ「クライド」。
気風のいい奔放なウェイトレス「ボニー」。
20歳そこそこのカップルは、アメリカ中西部を暴れまわった。
次々と窃盗、強盗、殺人を繰り返し、盗んだ車で州境を超え、追跡をかわす。
駆けつけた警察をあざ笑うかのような鮮やかな手口は、
新聞やラジオで報道され、全米の注目を集めた。
富裕層の象徴・銀行を襲うことを、義賊のように伝えるケースもあり、
2人を英雄視する動きが広まったという。
要因の一つとして、やはり「ボニー」の存在は大きい。
当時は、禁酒法を背景に「アル・カポネ」らマフィアが暗躍した頃。
犯罪は珍しくなかったが、若い女性が手を染めるのは極めて稀。
愛するオトコと結ばれ、子を成し、家庭を守る。
そんな幸せに背を向けた、刹那的な生き方に眉をひそめる人は大勢いた。
逆に、拍手喝采を贈る人も少なくなかった。
--- そしてドラマチックな幕切れが訪れる。
1934年5月23日、寂れたルイジアナの田舎道。
フォードV8を待ち伏せしていた公安・警察チームのサブマシンガンが火を噴き、
150発もの弾丸のシャワーを浴びせかけ、
うららかな初夏の空の下に血飛沫が舞う。
わずか24年の生涯だった。
それから30年余り後。
映画「Bonnie and Clyde」、 邦題「俺たちに明日はない」が封切られる。
生々しいガンファイト。
当時としては際どい性描写。
血塗(まみ)れになりながらも愛を全うしようとする姿。
悪者に人間味を持たせた斬新な演出。
ハリウッドのタブーを破る問題作を、時代の空気が後押しする。
1960年代半ば、アメリカはベトナムの泥沼でもがいていた。
開戦当初は、共産主義に対する「民主主義の聖戦」と受け止められていた。
だが、メディアを通じて、国民が現地の惨状を知り、
犠牲者の数が増えてゆき、次第に厭戦気運が高まる。
自信と誇りを喪失したアメリカンたちが、体制に牙を剥くアウトローに共感を寄せ、
「俺たちに明日はない」は、配給会社が予想もしていなかったヒットを記録。
稀代の悪女はヒロインになった。
「ボニー・エリザベス・パーカー」は、アメリカ犯罪史上に悪名を刻む極悪人だ。
それを奉(たてまつ)るのは、正しくないとも思う。
--- しかし、考えてみて欲しい。
例えば日本の戦国武将、アレクサンダー大王、ユリウスカエサル、
チンギスハーンにリンカーン、ナポレオンボナパルト、毛沢東。
彼らの指揮により失われた人命は、彼女が奪った数の比ではない。
歴史上の英雄・英傑の生涯も、血塗(ぬ)られているのだ。
「美しい花には棘がある」を逆読みすると、「棘のある花は美しい」かと。悪魔は美しいのだと思います。
人は誰でも悪への憧れを持っているのだと思います。しかし、リアルでは、理性が働き、悪への憧れを封印します。その反動で、エンターティメントでは、悪をヒーローやヒロインになるのではないでしょうか。
では、また。
人は、感情に容易く支配されることがあります。
たとえ理に適っていなくても、
たとえ間違いと分かっていても、
好きか嫌いかで行動することは
珍しくありません。
僕がたしなんでいる競艇など賭け事は、
その白眉かと思います。
鉄火場では何度か、
まるで滅びる自分を
楽しんでいるかのような人を見ました。
Zhenさんの言う通り、
悪魔は美しいのだと思います。
悪に魅入られ取り込まれないためにも
ピカレスクロマンは人生の必要悪、
なのかもしれませんね。
では、また。