石川県・能登半島の中ほど。
「中能登町(なかのとまち)」が誕生したのは、
今(2024/03/03)からちょうど19年前、平成17年(2005年)3月1日。
鳥屋町(とりやまち)、鹿島町(かしままち)、鹿西町(ろくせいまち)、
3つの町がいわゆる“平成の大合併”により1つになった。
同町HPには以下の通り紹介されている。
『中能登町は邑知地溝帯を中心に平野部が広がり、
東側が石動山(せきどうざん)、西側は眉丈山(びじょうざん)をそれぞれ中心とし、
日本の原風景とも言える田園地帯と、
それを取り巻く丘陵地の緑、潤いある河川などの身近な自然環境、
旧街道沿いの集落や、神社・寺院群、
それらを舞台とした祭りなどの伝統文化を地域の重要な資産とした
素晴らしい「中能登町」です。』
(※ほゞ原文ママ/一部編集)
縁あって、僕は最近、その中能登町へ通う日々を送っている。
令和6年能登半島地震による災害ゴミ収集業務にあたるためだ。
最大震度7を観測した地震からおよそ2ヶ月が経過。
毎日、少なくない災害ゴミが運び込まれている。
比べるモノでもないのだが--- 七尾市以北に比べて被害が小さかった地域でもコレだ。
半島の奥に行くほど、現状が厳しくなるのは推して知るべし。
まだ「(地震前の)日常」には程遠い。
水道管が広範囲で壊れたうえ、道路が寸断されて復旧工事に制約があったことなどから、
なお2万戸近くで断水が続いている。
水がなく、仮設住宅も需要を満たしていないため避難は長期化。
その数は1万人以上にのぼり、血縁を頼るなどする自主避難者も数千人いるとみられる。
がれきの片付けが進まない地域も多い。
県内の住宅被害は7万500棟を超える。
さらに被災地では損壊家屋の災害廃棄物の処理が課題。
県は、ごみ排出量を県全体の7年分に当たると推計し、
一年後、2025年度末の処理完了を目指すという。
長い冬は続く。
春まだ遠い能登なのである。
これほど辛い現実はないですよね。
勿論、その日常が100%回復する保証はどこにもない。
その上、人は忘れる生き物である。
しかし、苦い思いをした人たちには一生その記憶が脳裏と心と身体に残ります。
折れそうな心との戦いがこれからも続く。
りくすけサンの記事を読んで、つくづくそう思います。
当たり前だった日常が100%回復することは
「100%ない」と思います。
高齢化・過疎化の進む地域を襲った大地震は、
「変革」の呼び水になった。そう思います。
どんなカタチに変るのかは未だ不明。
今は未だその準備もできないのが現状です。
もう少し時が経ち、各々が自分の心に向き合い、
「変化した能登」と折り合いをつけることになるのでしょう。
自然災害、特に地震は突然に起こる。
どうか心構えと備えをお忘れなく。
コメントありがとうございました。
では、また。