わが津幡町の歴史的な遺物と言えば「加賀郡牓示札(かがぐん ぼうじふだ)」だ。
(※牓示 ≒「掲示する」)
(石川県立歴史博物館HPより拝借)
津幡町・加茂(かも)の「加茂遺跡」から出土した平安時代の文書木簡で、
少々乱暴に言えば「時の行政がヒノキの板に書いた命令書」。
その内容から、当時の生活や古代の物流の一端が分かる。
その後、加賀藩・前田家が、津幡村、清水村、庄村、加賀爪村で宿場を整備。
そして、明治22年(1889年)、上記4つの村が合併。
津幡町が誕生した。
当時の戸数700余り、人口は3千人弱だったという。
以後、周辺地域の合併・編入を経た現在、
町の様相は1万5千世帯余り、人口3万7千人を数えている。
「津幡小学校」校舎を望む「ふれあい広場」には、
「町政100年記念タイムカプセル」が埋設されている。
封印が解かれるのは17年後(2039年)になるのだろうか?
--- さて、前掲画像に写るわが母校が産声を挙げたのは、
町の誕生より古い明治6年(1873年)5月1日。
間もなく「創立150年」である。
本日(2022/11/26)、その節目の記念事業について、
卒業生有志応援団とPTA現職による何度目かの会合が開催。
応援団の末席に名を連ねる僕も出席した。
僕の所属は「記念誌部会」。
関係各位の尽力によって、作業スケジュールが具体化し、役割分担も固まりつつある。
年が明けたら、諸々急ピッチで進行してゆくことになりそうだ。
詳細は続報にて。
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