今月・9月は「防災月間」である。
そのスタートとなる9月1日は「防災の日」。
大正12年(1923年)9月1日の「関東大震災」に由来し、
また、立春から数えて210日頃にあたり、台風が来襲しやすいことから制定された。
近年は、季節を問わず数々の自然災害が起こっているのはご存じのとおり。
お互い、普段から心構えを忘れず、何かと備えておきたいものである。
さて、戦後わが津幡町で発生した自然災害で最も多いのは「水害」だ。
かつて、街中を流れる「津幡川」は台風や大雨によって度々氾濫し、
流域一帯に小さくない被害を与えた。
特に昭和39年(1964年)夏の豪雨では771戸が浸水し、
道路・鉄道が寸断され、田畑も広範囲が水に浸かったという。
(※「津幡町史」に掲載された写真)
当時、水害が頻発した要因としては---
①川幅が狭く蛇行していて、支流が多く、大水量を受け止められない。
②河川が行き着く先、河北潟の排水が悪い。
③治水工事が不十分。---などが考えられた。
そこで、復旧工事とともに上記①~③を改める抜本的な大工事が行われ、
5年の歳月と総額36億円余(当時)を費やして完成した。
以降、氾濫被害は発生していない。
(※津幡川に架かる「おやど橋」袂「弘願寺」前の「災害復興記念碑」)
最下流部の「川尻水門」は大規模に機械化され、川底を切り下げて水位低下を実現。
降雨時の水量を調節できるようになった。
こうして町中心部の川の流れも、水門から河北潟へ通じる水路も、
直線的に流れるように改修された。
結果、僕は、舟小屋が並んだ「水郷の景観」や、
曲がりくねった川の姿を肉眼で見ることは叶わないのだが致し方ない。
昭和44年(1969年)の大改修から半世紀以上。
ここ数年来、経年劣化を補う修繕が大なり小なり行われている。
インフラ整備に終わりはない。
水防の備えと併せ、よろしくお願いしたい。
そして、冒頭に書いたように
僕たちも普段から災害への心構えを忘れず、何かと備えておくと共に、
地球環境の問題に対して敏感でいたいと、改めて思った。
一筋縄ではいかない難問が山積み。
戦争をしている場合ではないのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます