学生時代、日本史の授業で習った
「島原の乱(別名:島原・天草一揆)」をご存知の方は、少なくないと思う。
寛永14年10月(新暦1638年12月)から、
4ヶ月間に亘り繰り広げられた大規模な内戦である。
時は、三代将軍「徳川家光」が治める江戸時代初期。
幕府は諸大名の力を削ぐため、厳しい思想統制を行い、重い年貢を課した。
自ずと各領主の取り立てもエスカレートする傾向だったという。
島原藩が治める島原半島、唐津藩の飛地・天草諸島も例外ではない。
折悪しく、悪天候・凶作に見舞われ、年貢米の収穫が芳しくなかった。
そのため、米や麦だけでなく他の作物も取り立ての対象にし、
加えて、家に棚を作れば「棚餞(たなせん)」、窓の数に応じた「窓餞(まどせん)」、
墓穴に「穴餞(あなせん)」など、様々こじつけた税を徴収。
無茶な設定から年貢を納められない者には、残酷な罰が待っていた。
更に、宗教弾圧が追い打ちをかける。
元々、島原・天草地方を治めていたのは、キリシタン大名。
多くの領民たちがカソリックに帰依していた。
しかし、世が変わり、全国にキリスト禁教令が発布され、迫害が始まる。
改宗を拒んだ者は、身の毛もよだつ責めに苛まれ(さいなまれ)、
殉教する場合も珍しくなかった。
非道な圧政に堪えかね、溜まりに溜まった不満と怒りが爆発する。
身重の女性を殺された村の百姓たちが蜂起。
代官殺害のニュースが近隣の集落に伝わると、次々と呼応。
反乱の火の手は枯野を燃え広がるように伝播してゆき、
関ケ原崩れの野武士、前政権の残党らも加わり、たちまち大勢力に膨れ上がった。
そして、一人の英雄(救世主)が誕生する。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百六十八弾は「天草四郎時貞(あまくさしろう ときさだ)」。
盲目の少女に触れると目が見えるようになった。
海の上を歩くことができた。
弓や銃弾が避けた。
鳩が飛来し、手の中で産んだ卵から聖書が出てきた。
実は、豊臣の末裔である。
齢(よわい)16。
後光が射すような黒髪の美少年「天草四郎」は、
数々のミラクルとエピソードに彩られているが、真偽は明らかではない。
だが、彼は確かに明日をも知れぬ人々の精神的な支柱、カリスマだった。
“奇跡の御子” “神の子”を総大将に戴いた一揆軍は大いに奮い立ち、連戦連勝。
藩の拠点を攻め落とした後、廃城となっていた「原城」に立て籠(こ)もる。
籠城戦は、後詰や補給の見通しがなければ成り立たない。
敢えて愚策を選択した理由は、希望的観測といわれる。
国内のキリシタン決起や、海外キリスト教国からの援軍を期待しつつ抵抗を続けた。
幕府討伐軍の人事の失敗や経験不足によって、
戦術的には狙いどおり長期戦に持ち込めたが、戦略的には当てが外れた。
どこからも救いの手は差し伸べられず、
孤軍奮闘の一揆勢は次第に消耗してゆき、ついに落城。
「天草四郎」を筆頭に総勢4万人余りは皆殺し。
幕府側も1万人弱の死傷者を出し、幕を閉じた。
--- それから、383年が経った現在、
血で血を洗う壮絶な内戦の舞台が、まさか観光資源になるとは。
「天草四郎」の名を冠する博物館、土産物、ビーチ、観光協会が登場するとは。
当時、誰一人想像すらつかなかったのではないだろうか。
< 追 記 >
島原の乱鎮圧後、ポルトガル人が日本から追放され「鎖国(さこく)」がスタート。
幕末まで230年間に及ぶ、天下太平が到来したことを思えば、
この歴史のターニングポイントは、大いなる悲劇である。
しかし、同時に、キリシタンの仏教弾圧があったことも知っておかねばならない。
キリシタン大名が統治していた頃、天草・島原では、カソリックへの改宗強要が横行。
宣教師の扇動により、仏像を強奪したり、寺社に放火したり、
「異教徒」への激しい排斥攻撃が行われた。
背景には、鉛、硝石など武器原料貿易によって影響力を強めていた
「イエズス会」の権力争い介入があったといわれる。
やがて、内乱へとつながるキリスト禁教令は、西欧の侵略を防ぐ目的も含んでいた。
歴史は一筋縄ではないのである。
今拙作のイラストはコンピュータで
描いたのではなく、紙に鉛筆とペンで描き、
写真を撮ってパソコンに取り込みました。
同カテゴリーの絵も全て同様に、
極めてアナログであります。
題材によって好き嫌いはあるでしょうが、
よかったら他も覗いてやってくださいませ。
本文末尾に書いたとおり、
歴史は一筋縄ではなく、政治も宗教も、
清濁同居しているものかと思います。
何にせよ時流に呑み込まれず、
いつも自分の気持ちを大切にしたいものですね。
では、また。
おっしゃるとおり歴史に「もしも」はなく、
ないからこそ「もしも」を空想するのは、
歴史ファンの楽しみでもあります。
幕府側が敗戦していたらあの戦いは
「島原の聖戦」と呼ばれていたかも。
それがやがて不幸になったのかどうか、
これも空想の域を出ません。
ご理解いただいていると察しますが、
今拙作の舞台は400年前。
イエズス会や幕府の行いは
今とは違う時代のハナシです。
本文末尾に書いたとおり
歴史は一筋縄ではないという事かと思います。
仕事とはいえ天草へ行かれたとの事。
僕はまだ彼の地は未訪問。
いつか訪れ、じっくりと見聞したいものです。
では、また。
オランダ、スペイン、ポルトガルはこの時期宣教師を各国に送り、キリスト教復旧と同時に各国の植民地化を図ったのです。
江戸幕府に世界情勢を見極める人材がなかったら日本だって西洋の植民地になっていたかもしれません。
だから宗教は民衆の意識を変え,政治家が使う奥の手なのでしょう。そのうちヨーロッパもイスラム化されていくと思います。
読みごたえのあるブログ、素晴らしいです。
天草には、昨年行ったのですが、りくすけさんのブログを読んだ後に行っていれば、より有意義な旅行(といっても出張にプラスα)になったと思います。
歴史にIfはないのでしょうが、もし、海外の援軍があったら、今の日本は、どうなっていたのでしょうか?イエズス会のクリスチャンが、考えることではないのでしょうが、日本にとっては、不幸なことになっていたような気がするのは、僕だけでしょうか?
では、また。