つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

年度替わり at 津幡町。

2021年04月03日 19時53分04秒 | 日記
          
2021年も早や4分の1が過ぎた。
ここ一週間ほどで季節は一気に進み、春爛漫。
雪に埋もれた中で幕を開けた3ヶ月前が夢のよう。
今は、染井吉野が盛りを迎えている。



毎年恒例、散歩の折の花見といえば本津幡駅前の「一本桜」だ。
大雪のダメージもあっただろうに、花の勢いには些か(いささか)の衰えもない。
むしろ例年を上回る印象を受ける。
やはり自然は逞しく、美しいと実感した。



戦前から残る樹齢100年余りの桜が伸ばした枝の下に佇み、
見上げてみれば、視界いっぱいに広がる絶景--- 。
何とも豪華絢爛である。
数分は見惚れていただろうか?
足元の愛犬に促され、漸く(ようやく)散歩を再開。
次に足が向いた「津幡小学校」でも、絵になる桜と出逢う。



「二宮金次郎」像の側で咲くのは、まだ若木。
記憶の中にも、同じ組み合わせがある。
校舎の場所、銅像の建つ場所も変わったが、
半世紀近い昔、黒いランドセルを背負った僕は、確かに似た景色を見た。

4月は入学シーズン。
しかし、江戸時代の寺子屋、私塾、藩校などは、特に時期を定めていなかった。
子どもも大切な働き手であり、各家の都合に合わせた随時入学だったのである。
やがて、明治になり西洋式の教育が導入されると、高等教育では9月入学が主流に。
だがしかし、明治19年(1886年)国の会計年度が「4月-3月」になると、
学校運営予算を調達するためスケジュールを合わせ、
4月入学が定番になったという。

これは、少数派である。
北米大陸、欧州全般、お隣・中国も9月スタート。
振り返れば「新型コロナ感染一波」で教育現場が混乱した一年前、
世界的なスタンダードに合わせてはどうかと盛んに議論が交わされた。
やがて、変化することになるのだろうか?



商店街のワンコディスプレイも新入学バージョンにお色直し。

今年の「津幡小学校」入学式は、4月7日。
小学校体育館にて、新1年生・6年生児童のみが参加。
保護者は1家族2名まで。
密集を避け、感染症防止対策を施して行う予定だ。
こうしたスタイルは、令和のスタンダードといえるだろう。

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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2021-04-03 23:33:08
こんばんは

二宮金次郎像の意味って、今の子供には理解できないでしょう。本を読みながら通学するって、今で言ったらスマホ見ながら歩いているのと同じ訳ですよね。時代背景というか、環境が違いすぎて、撤去される学校が多いと何かで読みました。

昨年の9月新学期化の議論は、2つの意味で的外れになってしまいましたね。

1つ目は、9月になってもコロナは終息しなかったということ。

2つ目は、日本は学校も、企業も4月入学、入社なので、優秀な人材が集まらないという誤解です。優秀な人材が、日本の大学、企業に来ないのは、魅力がないということで、時期の問題ではないです。少なくとも欧米のエリートは、半年のモラトリアムが、あれば有効に使います。むしろ、8月卒業にすると、優秀な日本の人材の海外への流出が加速し、より日本の大学、企業は、弱体化すると僕は思っています。

小学校の人数制限というのも複雑な気持ちです。僕が小学生の頃、両親が揃って来る家庭も珍しかったような気がします。一方、僕の息子の時代になると、両親はもちろん兄弟、祖父祖母までといった家庭も少なくなかったので、家族2人までは、コロナ禍のギリギリの選択なのでしょうか。

そう言えば、以前父兄参観をシングルファザー、マザーの家庭に配慮して、1人限定といったことにしている学校の話を聞いたことがありました。

とりとめのないはなし、失礼いたしました。
では、また。
返信する
Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-04-04 05:39:02
コメントありがとございます。

おっしゃるとおり、
二宮金次郎が生きた当時と今は別世界。
令和の子にとっては、偉人も異世界人。
我々昭和の子は、好き嫌いは別にして、
彼の生き様の理解はできました。
二宮像はここ50年ほどの激変ぶりを
象徴したモニュメントに思えます。

4月か9月か。
圧倒的な外圧がないと
日本で根付いた習慣を変えるのは
容易ではない気がします。
9月に切り替える意味で考えれば、
コロナはチャンスだったかも。
果たして今後は---?

入学式。
保護者、来賓ら列席してのセレモニーは、
これも他国にはない日本スタイルと聞きます。
少子化、家庭の多様化、コロナ禍によって、
やはり変化するタイミングかもしれません。

では、また。
返信する

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