1970年代終盤~1980年代序盤のハナシである。
当時、新聞国際面の「世界の街角コラム」が好きだった。
「クレムリン権力序列に変化」
「第二次オイルショック!!」
「イラン・イラクの戦闘激化」
「ソ連、アフガンに軍事侵攻」
「漁業、200海里時代到来」
---など、緊迫感を湛える見出しが躍る片隅に、それはあった。
「ワシントン発 ~ 米大統領、七面鳥に恩赦」
「プノンペン発 ~ 笑顔でずぶ濡れ、水祭り」
「北京発 ~ 天安門に春の雪、柳の綿毛舞う」
「パリ発 ~ パリっ子誘う甘い焼き栗の香り」
「ソウル発 ~ 路面を赤く染める唐辛子干し」
---といった異国の日常を扱う小さな写真付き囲み記事が好きで、
それを切り取り、スクラップして読み返しては疑似旅行を楽しんだものである。
ちょうどこんな寒い時期、
興味を惹かれたのは「季節外れ」な印象を与えてくれる話題だった。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百十六弾<真冬のBIKINI>。
【シドニー ロイター電 ~ 水着でメリークリスマス】
日本と季節が逆のオーストラリアでは、クリスマスを真夏の気候で祝う。
砂浜では、サンタクロースの帽子をかぶりサーフィンを楽しむのが定番。
オーストラリア流のクリスマスの過ごし方に、観光客もご満悦の様子だ。
【モスクワ タス通信 ~ 凍える冬も何のその】
マイナス10度のモスクワ郊外の湖で、寒中水泳大会が開催。
11歳から70歳までの75人が参加し、元気に水をかいた。
ソ連では寒中水泳は健康に良いとされ、多くの愛好家がいる。
上記、通信社風記事は僕の「創作」である。
正しく覚えている訳ではないが、概ねこんな感じの文面を読み、
日本とは毛色の違う文化や習慣に驚いた。
そして、昭和の冬の北陸ではまずお目にかかれない、
破壊力抜群「ビキニのお姐さん」の艶姿をよく覚えている。
--- さて、思えば、かつて世界は「広かった」。
情報源がマスメディアに限られ流入量も少なかった頃、
海外は文字通り「海の外」。
遥か遠い彼方に在って輪郭がボヤけていたり、細部が不明瞭だったり、
鉄のカーテンに遮られてたりしていた。
その分、新鮮に映ったし、一つの事象から想像逞しく自分なりに考えを広げたりした。
技術革新によるグローバリゼーションは、世界を「狭くした」。
ネットやSNSを通じ居ながらにして、リアルタイムに、ダイレクトに海外とつながり、
輪郭も細部もよく見える(ような気がする)今は、便利ではある。
だが、そこから得た情報をあまり嚙み砕くことをせず、
短絡的に結論付けてしまうケースが多いのは、僕が浅はかだからだろうか?
それでは、いけない。
情報は常に玉石混交。
やはり取捨選択は大切だし、鵜呑みにしてはダメだ。
便利に流されてはいけないと思う今日この頃である。
『文明の利器は便利な暮らしをもたらしもしたが、
わたしたちに及ぼした損害も計り知れない。』
<マハトマ・ガンジー>
『思考の啓示は隷属から自由へと人を解放する。』
<ラルフ・ワルド・エマーソン>
『われ思う、ゆえにわれ在り。』
<ルネ・デカルト>
世界は、かつてより近くなった、しかし、近くなることで、逆に見えなくなるものもある。りくすけさんもそのように感じられているのだと思います。
前世紀末、「Windows95の“Windows”とは、“窓”って意味だよ。世界が見える窓だよ。と熱く語る上司のことを今でも覚えています。
一方、「窓」という松山千春の歌があります。その歌詞に(病室にいる主人公は)「空の青さは分かるけど、空の広さがわからない」といったフレーズがありました。
インターネット、SNSで、見える世界って、そういうものなのでしょうね。
それは、それで、悪いことではないですが、それで、世界のすべてを知ったつもりになってしまうことは、インターネットの影ですね。
堅苦しい話で、失礼しました。りくすけさんの描くサンタのお姐さんの艶姿を純粋に楽しみましょう。
では、また。
Windowsと「松山千春」の「窓」。
うまい比較と例えですね。
一本取られました。
青空を見上げ、広さを想像する。
青く見えるだけで、様々な波長を内包している。
そんな心構えを忘れずにいたいものです。
真冬のBIKINI~サンタのお姐さんが、
ほんの少しでも寒さしのぎになれば幸いです。
では、また。
Windows(窓)で気づいたんですが
アップデートが煩わしすぎて、窓の外が見え難くなりましたよね。
MSDOSの頃はとてもシンプルで、
今のWindowsOSのように多機能で便利でもなかったんですが、あの頃がビルゲイツの全盛期だったように思います。
とにかくパソコンが描く素朴な景色が窓からしっかりと眺める事が出来ましたから・・・
HPもブラウザも昔の方がシンプルで、広告と言えば写真と文字だけでした。
情報の精度や深度からしても昔の方が充実してましたし、動画で流される昨今のド派手な情報はフェイクやデマに満ちてますよね。
便利さを否定するつもりもないんですが、ネット社会により、大衆の思考には益々バイアスが掛かり、歪んだ世の中に突き進んでるような気もします。
今と比べ多機能ではなく、
利便性も低かった頃の窓は見晴らしがよかった。
その通りかもしれません。
当時は牧歌的で遠くが見えましたが、
今は視界を遮る高層建築が林立しています。
通信技術が向上した為、
大容量・大情報が襲い掛かってくる。
そんな感じでしょうか?
実はいらないモノ、惑わすモノもいっぱいです。
特に広告面は注目を惹くのが目的で
「ぶち切れ」「~過ぎる」「後悔した~」など、
ケバケバしく芸のない惹句が溢れていて、
辟易としますね。
騙されないようにしたいものです。
では、また。