本投稿(2022/12/31)は「大晦日(おおみそか)」である。
「みそか」は月末にあたる『三十日』を意味し、
「おお」は『1年のクライマックス』を表わす。
そんなタイミングの今回、
300年前の江戸の年越し~正月風景を取り上げてみたい。
当時、年末行事「大掃除」は、12月半ばに終えるのが恒例。
翌年の実りと繁栄をもたらす「年神様」を迎えるため、
1年間の穢れと埃を払い、家中を清めた。
蕎麦をすすって腹ごしらえを済ませたら、年神への大切な供え物でもある「餅」の準備。
ぺったん、ぺったん、ぺったんコ。
そこかしこの街角から餅つきサウンドが聞こえたという。
また寺社の門前や境内で開催される「歳の市」は大賑わい。
注連縄、羽子板、海老、昆布、橙(だいだい)といった正月用品、
まな板、桶、笊(ざる)などの日用品を求める人々でごった返した。
他には“借金取り”も風物詩の1つ。
買い物は「掛売り」いわゆる“ツケ”が多かった当時、支払いは盆と暮れ。
特に大晦日は総決算日である。
取り立てる方は気合満々で奔走した。
こうして、何かと慌ただしい年の瀬が過ぎ、迎えた元旦。
大都会は前夜の喧噪が嘘のように静まり返り、微睡(まどろみ)の中に沈んでいた。
やがて、明け六つ(午前6時頃)の鐘が鳴って半刻(はんとき/1時間程度)が経つ頃、
初日の出の参拝を終えた人々の姿が目立ち始める。
家に帰ると、井戸から年の一番水「若水」を汲んで「雑煮」を作り、
梅干や結び昆布を加えた「福茶」を淹れ、新年の訪れを祝い寝正月を決め込んだ。
そして正月2日、あらゆるものが早朝から動き出す。
初荷・初売・初商い・町火消しの出初め・太神楽、文武の稽古始めなども一斉にスタート。
また、正月ならではの商売や芸が町を一層華やかに彩った。
中でも江戸独特だった1つが、この女性芸人たちである。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百十七弾「鳥追(とりおい)」。
本来、鳥追とは、農村での害鳥駆除と豊作を願う小正月行事。
拍子木や太鼓などを敲き(たたき)大声で歌い歩いて害鳥を追い払うもの。
これにあやかったのが、年始に出没する「江戸の鳥追」だ。
襟・袖口に縮緬を合わせた木綿のおべべ。
編笠の下には紅白粉で粧いこらした細面。
日和下駄をカラコロ鳴らして路地を行く。
三味や胡弓を爪弾き唄う女心を誰が知る。
艶めかしい風情を湛えた鳥追は2~3人連れで家々を周り、
楽器を弾きながらお目出度い歌を披露。
そのギャラとして幾ばくかの銭を受け取る一種のストリートミュージシャン。
彼女たちは士農工商の外に属する低い身分ながら、なかなかの人気だったという。
何しろ江戸は極端な男社会である。
人口の半分は単身赴任の武士で、残る町人も地方からの出稼ぎばかり。
ゆえに色っぽい女太夫のエンタメはウケたのだ。
特に、武家屋敷長屋はホットスポット。
一度の演奏で市中の10~20倍は稼げたとか。
ただでさえ侘しい江戸勤めの男衆にとって、人恋しさが一層募る正月。
潤いの為の散財は惜しまなかった。
旗本・御家人の中には、容色に優れた鳥追に入れ揚げ、
禄を失う羽目になった者も少なくなかったらしい。
やがて男心を惑わす歌姫の伝承は、
北前船に乗って遠く北陸や四国へ流れつき、今も受け継がれている。
例えば越中「おわら風の盆」。
徳島「阿波おどり」がそれだ。
--- さて、2022年の投稿はこれにて打ち止め。
拙ブログをご覧いただきありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。
来年もどうぞよしなに。
では、また。
鳥追なんてあったのですね。まったく知りませんでした、勉強になります。
1年間、ほんとうに楽しく、新しい知識を頂き感謝しています。
来年も宜しくお願い致します。
寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。
先ほど貴ブログへも同様のコメントをしましたが、
こちらこそ、沢山勉強させて頂きました。
また、コロナ禍ではありましたが夏の食事会、
先達ての電話取材などお時間を割いて頂き、
誠にありがとうございました。
どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
幸い北陸はクリスマス寒波以降、
目立った降雪はなくホッとしています。
とは言え冬の真っ只中。
お互いに健康面には気を付けたいものですね。
では、また。