つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

大津旅行記2~ 歴史とポップアート。

2022年05月07日 14時14分14秒 | 旅行
                   
GW日帰り大津旅行記録パート2。
前回投稿では「寺院のあをもみじ」「青瓦を葺いた教会」「碧水の競艇」---
“三つの青”を取り上げた。
今回は「歴史とポップアート」と題して紹介してみたい。
時間と都合が許せば、お付き合いくださいませ。



大津市歴史博物館は、美しい自然に恵まれ、
早くから豊かな歴史と文化を育んできた先人たちの足跡である
文化財や資料を収集し公開する目的で造られた施設です。
歌川広重の近江八景や江戸時代の大津の宿場の賑いを復元した模型をはじめ、
数々の復元模型やイラスト、映像などによって分かりやすく解説され、
親しみやすく楽しく大津市の歴史を学べるように、展示内容も工夫されています。
高台にある当館からの眺望もすばらしいです。
(※滋賀県 公式観光ガイドより引用/抜粋)



ベランダから手前に商業高校、その奥は陸上競技場。
尖塔が並ぶ建物はパート1ラストシーンの舞台「びわこ競艇場」。
その向こうに広がる琵琶湖。
大津の対岸、草津の町並みも望める眺望は確かにナイスである。
そして、ほゞ撮影OKのナイスな方針のお陰で、充実した展示を観覧できた。



東海道五十三次の「宿場町」、琵琶湖水運の「港町」、三井寺の「門前町」。
3つの顔を持ち繁栄した大津は、江戸時代「大津百町」と称された。
事実、江戸時代中期には、ぴったり100の町があり、
湖と山に挟まれたコンパクトな場所に1万5千人余りが暮らしていたという。
京都・大坂に近く、東海道と北国海道が交わる地点だけに、
さぞ賑わったであろうことは想像に難くない。



マザーレイク・琵琶湖は、昔から美しい風景を持つ。
中国・湖南省にある洞庭湖の八景にちなみ、
室町時代の関白「近衛政家(このえ・まさいえ)」が選んだと伝わるのが「近江八景」。
今回の旅は時間が限られていた為、ビューポイントを回ることはできず。
博物館内の大きなジオラマで全体像を把握したに留まる。
また改めて、それぞれの現地を訪れてみたいものだ。

その「近江八景」を世に知らしめたのは、
「歌川広重」ら江戸時代の浮世絵師たちによる風景画。
そして、大津には、浮世絵と並ぶ民画「大津絵」がある。



大津絵は、肉筆画ではあるものの、手早く仕上げて客を待たせず売るために、
型紙摺り(かたがみずり)など様々な技法を組み合わせて描かれています。
型紙で体のパーツを刷毛で一気に塗る「合羽刷り」、
顔などの細かな描写をスタンプで済ませる「版木押し」、
他にも鬼の念仏の鉦などは、ぶんまわし(コンパス)で描くなど、労力と手間を省き、
熟練の絵師でなくても制作を手伝うことができる工夫が盛りだくさんです。
絵具の色が5~6色と少ないのも、その一環です。
(※博物館、説明文より引用)

つまり大津絵は、江戸時代のポップアート。
大津宿で土産物として描き売ったのが始まり。
当初は神仏を画題にしていたが、次第に世俗画や戯画が増えていったという。
その主なモチーフの一つが「藤娘」である。



黒の塗り笠、藤づくしの衣装、花枝を担げた可憐な姿は一種のポップアイコン。
歌舞伎・日本舞踊の演目、長唄の題材、
日本人形や羽子板の押絵等でもお馴染みではないだろうか。
上掲画像中心の作品---
大正時代の女流画家「大林 千萬樹(ちまき)」の作に触発され筆を執ってみた。
出来栄えは本家に遠く及ばないが、
拙作をご覧に入れて今投稿の結びと致します。

では、また。


                    

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