つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の川に陽は落ちて。

2021年08月08日 20時35分35秒 | 音とアート。
             
2021年8月8日現在、
9号と10号、2つの台風が列島をかすめて移動中。
ここ北陸の空は、時折、雨がパラつくものの、幸い今のところ大事なし。
気象ニュースによれば、避難指示や土砂災害警戒を促す地域もあると聞く。
拙ブログをご覧の皆さまの周辺はいかがだろうか?
ともあれ無事を祈ります。

--- さて、雲量の多い夏の夕空は趣き深い。
暑熱が落ち着き、傾く太陽が空に描く景色は、実に美しいのである。



夕陽は日本海に落ちてゆくが、わが津幡町に海はなく、
代わって津幡川の川面に、茜が映える。
刻々と変わる様子は、見ていて飽きない。
そして、気が付くと「歌」を口ずさんでいた。

遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
今日の業(わざ)を なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽しき まどいせん

やみに燃えし かがり火は
ほのお今は 鎮まりぬ
眠れやすく 憩えよと
誘うごとく 消えゆけば
やすき御手(みて)に 護られて
いざや 楽しき 夢を見ん




『遠き山に日は落ちて』は「ドヴォルザーク」の
『交響曲第9番 ホ短調 作品95』の第二楽章のメロディに歌詞をつけた歌。

チェコ・ボヘミア生まれの作曲家「ドヴォルザーク」は1892年に渡米。
4年に亘り、ニューヨークの「ナショナル音楽院」で教鞭をとった。
この期間に作ったのが『交響曲第9番 新世界より』だ。

当時のアメリカは大陸横断鉄道が開通し、第二次産業革命の真っただ中。
“発明王”「トーマス・エジソン」が人類史を変える製品を次々と世に送り出し、
“自動車王”「ヘンリー・フォード」が起業し、
大都市に高層ビルが林立し始めていた。

新興国の発展を支えたのが、世界中からの移民達。
「ドヴォルザーク」の故郷・中欧ボヘミアの同胞も大勢いた。
彼等の暮らしに思いを馳せながら創ったのが、
『交響曲第9番 新世界より』第二楽章の温かく素朴なメロディ。
郷愁を感じる旋律には、アメリカで初めて接した、
アフリカ系やネイティブ・アメリカンの音楽要素も盛り込まれているという。

「堀内敬三(ほりうち・けいぞう)」氏による日本語歌詞も味わい深い。
僕はボーイスカウトの一員だった頃、この歌を教えてもらった。
もうかれこれ40年以上前のことだ。
未だに、鮮明に覚えている。

「名曲」の持つ素晴らしいチカラを再認識した。



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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2021-08-08 23:04:23
ドヴォルザークの新世界のメロディーは、少年時代への郷愁を誘います。原曲は、日が沈むまで、綿花畑で労働していた黒人奴隷を想起させるものなのかもしれませんが、僕の場合は、暗くなるまで、外で遊んでいただけです。(笑)

蛇足ながら、僕もカブスカート、ボーイスカウト経験者です。

では、また。
返信する
Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-08-09 04:47:48
コメントありがとうございます。

Zhenさんもスカウトでしたか。
テント営巣、野外炊飯、ロープワークなど、
活動の中で学んだ諸々は記憶が怪しいですが、
「歌」は別。
メロディやリズムで覚えるとなかなか
忘れないものですね。

地域によって違いはあるでしょうが、
「遠き山に日は落ちて」は、
津幡町で帰宅を促す「夕方サウンド」として
今も使われています。そんなこともあって、
より郷愁を覚えるのかもしれません。

では、また。
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