日本の歌で「雨」を主題にしたものは、案外多い。
やはり季節に雨期があり、昔から湿潤な気候を肌で感じてきたからだろう。
そこに「哀切」の情を込めた例は少なくない。
雨降らず との曇る夜の ぬるぬると 恋ひつつ居(を)りき 君待ちがてり
<作:阿倍広庭(あべのひろにわ)>
あなたを待ちわびる私の心は、雨が降らないですっかり空が曇った夜のよう。
鬱々とした心持ちで恋しく思っていました。
ひさかたの 雨(あめ)は降りしけ 思ふ子が やどに今夜(こよひ)は 明かして行かむ
<作:大伴家持(おおとものやかもち)>
雨よ降ればいい、今宵は親しく思っている方の家で過ごすとしよう。
--- とまあ、そんな具合に1200年前に編まれた「万葉集」然り。
現代のポップソング然り。
失恋・悲恋・片思いなどの湿っぽい傾向は受け継がれている。
雨/三善英史 歌手"なつこ"カバー
現代のポップス--- と言ってもオリジナルのリリースは昭和47年(1972年)。
当時まだ小学生の僕は、ラジオから何度も流れてくる『雨』を耳にすると、
オトナのセカイはイロイロあるんだな。
オンナのヒトの恋がうまくいくといいな。
風邪ひかないといいな。
などと感慨を抱いたものである。
そんな半世紀前のヒット曲を思い出したのは、今朝、この花を観たからだ。
津幡町・舟橋(ふなばし)で咲く、古代ハス「大賀(おおが)蓮」。
直径20センチ以上になる桃色の大輪。
花は日の出とともに開き、午後になると徐々に閉じる。
今月いっぱいは見頃が続くという。
大賀蓮は、古代のハスの実を発芽させ開発した植物。
昭和26年(1951年)、千葉市の「東京大学検見川総合運動場内」の落合遺跡で
2000年以上前の地層から見つかった種子が元になっている。
植物学者の「大賀一郎」氏が発芽させ、全国に広まった。
この場所では、2008年から鉢植えを池に移植して育てている。
雨にぬれながら たたずむ女(ひと)がいる
傘の花が咲く 土曜の昼さがり
約束した時間だけが 躰(からだ)をすりぬける
道行く人は誰一人も 見向きもしない
恋はいつの日も 捧げるものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる
濡れそぼりじっと立ちつくす姿が、歌曲『雨』の世界観によく合っている気がするのだ。
大賀蓮の茎の長さは1m近く。
葉の大きさは30cmを超える。
葉の表面にはミクロサイズの毛のような突起物があり水をはじく。
水玉は、雨だれや葉の微細な揺れ、葉の表面から空気が蒸散する僅かな力によって、
右へユラユラ、左へユラユラ。
不規則に揺蕩う(たゆたう)様子は見ていて飽きない。
仏教では「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という。
池の底の汚れた泥の中(不浄)から茎を伸ばし、
美しい花を咲かせる蓮の花(清浄)のあり方が、1つの理想とされた。
仏教の起こりとされる北東インドは、降水量が多く自然豊かなところと聞く。
ならば蓮は身近な花だったかもしれないし、
ひょっとして、大賀蓮と似た花が佇んでいたかもしれない。
雨に濡れながら。
ひとしきりシャッターを切り、思案に耽った帰り際、
持ち合わせは少なかったがポケットの硬貨を寄付させてもらった。
ありがとうございました。
象が転んだです。
毎日毎日雨ばかりで
ウツになりそうですが。
雨で思い出す歌は、井上陽水の”傘がない”でしょうか。
こんな日は誰かに頼りたいけど、今の自分には頼れる傘がない。
濡れたまま佇む男は、時代に取り残されたもう1人の自分。
雨が降るとこういう事ばかり考える私ですが、梅雨が明ければ、今度は猛暑が襲う。
全く自然には勝てないですね。
今年も九州北部は大変な雨のようですね。
ジメジメ多湿の環境では『湿邪(水の邪気)』が、
体内に溜まり易いとか。
気苦労お察し致します。
どうか健やかに。
井上陽水さん、
ご当地・福岡のビッグネームですね。
「傘がない」は数ある氏の作品でも名曲。
異様な迫力に満ちていると思います。
では、また。