“観測史上最速”と言われる梅雨明けから、2週間余りが経った。
真夏日、猛暑日、熱帯夜が続き、すっかり夏模様。
--- しかし、何かが足りない。
そう、蝉が鳴いていないのだ。
早朝の散歩でも、昼時の仕事中も「シャワシャワ」「ワシワシ」の大合唱が聞こえない。
聞くところによると「短い梅雨と少雨」が影響しているとか。
蝉の幼虫は土の中で育つが、その羽化には気温の上昇に加え、
ある程度まとまった雨が必要なのだ。
北陸の梅雨明け、平年値は7月24日頃。
蝉の活動が盛んになるのも、ほゞ同時期。
ところが、今年はレイニーシーズンが異例に短く、雨量は半分以下。
どうやら、蝉たちは雨が少なくて戸惑っているらしいのだ。
日本の夏を構成するピースの1つ「蝉時雨」が欠けた静かな日常は、
不自然な感覚が否めない。
しっくり来ないのである。
また、憂鬱な気分も付きまとう。
やはり、きのう(2022/07/08)起こった、元総理銃撃事件のせいだろう。
Summertime by Ella Fitzgerald (cover by Natalie King)
脳裏に「summertime」のブルージーなメロディが思い浮かぶ。
元は「ジョージ・ガーシュイン」によるオペラ『PORGY AND BESS』の劇中歌。
舞台は、1920年代前半、アメリカ南部にある黒人居住区。
そこで繰り広げられる恋愛のもつれ、犯罪など、
アフリカ系アメリカ人の苦境を描いたストーリー。
歌は、母親が幼子に聞かせる子守唄なのだが、内容は辛辣。
奴隷制度がなくなっても、一向に変わらない人種差別や閉塞感、絶望感を
マイナー調のメロディにのせヒットメイク。
再注目を集めたのは、昭和43年(1968年)。
この年、アメリカでは「ロバート・ケネディ上院議員」暗殺。
公民権運動指導者「キング牧師」暗殺といった、物騒な空気が流れていた。
明日(2022/07/10)「参議院議員総選挙」投票日を目の前にした今、
何やら不穏な雰囲気が漂っているのである。
--- さて、楽曲「summertime」と併せ、
個人的には、一冊の本についても思いが及ぶ。
昭和35年(1960年)、
社会党委員長(当時)「浅沼 稲次郎(あさぬま・いねじろう)」を刺殺した
右翼の少年「山口二矢(やまぐち・おとや)」の交わりを取り上げたノンフィクション。
「沢木 耕太郎(さわき・こうたろう)」氏 著「テロルの決算」だ。
その概要紹介文には、こうある。
“あのとき、政治は鋭く凄味をおびていた。
ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、
61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた
17歳のテロリストの激しい体当たりを受ける。
テロリストの手には、短刀が握られていた。”
もう一度、読み返してみようと思う。
僕は安倍元総理のシンパでも、アンチでもないのですが、事件以来、どうにも気が晴れず、モヤモヤ感が拭えません。
日本社会の脆さを象徴した事件のような気もします。つまり、いつ何が崩壊しても不思議でない不安です。
僕も「テロルの決算」読んでみようかな、と思いました。
では、また。
内容の通り、りくすけさんへのコメントです。
頓首
昨日の暗殺ニュースをきいたときに始めに浮かんだのが、浅沼書記長の暗殺事件でした。不思議ですね。
平和日本で銃による殺傷事件は特に稀ですから、世界中の大統領や総理も驚いたことですね。あのプーチンでさえも哀悼の言葉を述べていましたね。今の若者がアメリカの真似をしないことを祈るばかりです。
宛名違い、お気になさらず。
僕も時々やってしまいます(笑)
さて、僕もアベフォロワーでも、
アンチアベでもありませんが、
Zhenさんと同じく言い知れぬ不安を覚えます。
事件が内包する危険も勿論ですが、もう一つ。
誤解を恐れず言うならば---
「衝撃的な死によって、故人が半ば神格化されるような現実」にも疑問を感じてしまうのです。
抜け殻画像、お褒めいただき幸甚です。
「テロルの決算」、おススメです。
よろしければ、ぜひ。
では、また。
お互いに同じ前例を連想したんですね。
凶器が短刀か銃器かの違いはありますが、
単独犯で、公衆の面前・演説中の実行。
右翼少年と、元・自衛官。
今回の事件は、共通点があるように思います。
これから背景が明らかになっていくでしょうが、
追随する輩が出ないことを願います。
では、また。
いま、「テロルの決算」と今回の惨劇について記事を買いてます。
共通点があるようでないこのモヤモヤ感は、沢木耕太郎さんが「テロルの決算」で感じた漠然とした思いとにてますね。
お陰で勉強になりました。有難うございます。
沢木ファンの「象が転んだ」さんなら、
目を付けるかもしれないなと思っておりました。
昭和と令和の「テロルの決算」。
拝読できるのを楽しみに待っております。
では、また。