つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

日帰り旅行と時間旅行。

2020年08月20日 23時58分26秒 | 旅行
先日、富山県の南西端にある南砺市・五箇山(なんとし・ごかやま)へ出かけた。
わが津幡町から下道でも1時間半あまりのドライブ。
左程、遠くはない山間に「世界遺産」がある。



目的地は、9戸の「合掌造り家屋」が残る「菅沼(すがぬま)合掌造り集落」。
平成7年(1995年)、
岐阜県・白川郷(しらかわごう)、五箇山・相倉(あいのくら)と共に、
ユネスコの世界文化遺産に登録された。

周辺の山林、庄川も含めた地域は美しい佇まい。
なるほど、日本の心象風景だ。
一歩足を踏み入れたら、
遙か150年あまり昔へタイムスリップしたかのような錯覚を味わえる。

江戸末期~明治初期に建てた家屋は、今も人が住む一般住宅。
実に合理的にできている。
屋根の傾斜角度は「60度」。
急こう配の理由は、湿った雪の重みに耐える共に、
雪を滑り落としやすくするため。
「対豪雪」の備えである。

素材は「茅(かや)」。
茅葺屋根の吹替えは、およそ30年毎。
作業には「結(ゆい)」と呼ばれる地域共同体から、
200人あまりが従事するという。

各家屋と対角線に設置された放水銃。
「幸い、未だ活躍したことはない」
--- と土産物屋のオバちゃんから聞き、
僕が胸を撫で下ろしたのはいうまでもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和より、古代と中世の間(はざま)を見遣る。

2020年08月16日 15時29分00秒 | 日記
12世紀の日本で繰り広げられた「源平合戦」。
つい「源氏」vs「平氏」の二大勢力による二極衝突---と考えがちだが、
その実情は単純ではない。
争いの構図は「平氏」vs「源氏などの反平氏勢力」。
そこに、幾つかの勢力と思惑が絡み合い複雑な一面を持つ。

ともかく、およそ5年に亘る内戦において、後の世に語り継がれる戦いの一つが、
わが津幡町で行われたと言われている。

「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」。
源氏軍が、角に松明(たいまつ)を付けた牛と共に突入し、
平氏軍を谷に突き落として勝利した「火牛の計」だ。

奇策実行の真偽はハッキリしないが、合戦の舞台になったからか、
津幡町には、平家伝説が少なくない。
例えばコレ。
「平知度(たいらのとものり)」の「首塚」である。

平清盛の七男・「知度」は、寿永2年(1183年)5月12日、
激しい戦いの末、ここで自害したとの伝承が残る。 
一帯の地名は「平谷(へいだん)」。
源平の戦いに敗れた平家の落武者が隠れ潜んで生活したとされる。
江戸時代に加賀藩士が著した書『加賀志徴(かがしちょう)』によると、
平谷は「平家谷」と記され、首塚の側には松の大木が生えていたという。

現在、その大木はなく、代わって「平清盛松」が首塚を見守る。
松の手前、石碑には以下の文字が刻まれていた。

『平清盛松
 源平八百年を記念して 平清盛が厳島神社参拝のおりお手植えされた
 松の苗木を広島県音戸町教育員会より寄贈されたので
 平知度の霊を慰めるべくここに植樹する 
 昭和六十三年四月吉日 津幡ライオンズクラブ』

「平谷」の他にも、町内山間には平家の落武者が開祖とされる複数の村があり、
敗走途中の平家方武将が、刀傷を癒したという温泉もある。

今回の投稿は、古代から中世へ、時代の過渡期に於ける
津幡町の昔話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.75~令和弐年・立秋辺り。

2020年08月15日 18時49分09秒 | 津幡短信。
津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回はこの2本。

【お盆の風景。】

ここ北陸・津幡町のお盆は、いわゆる「旧盆」時期がメインである。
今朝の墓地公園はなかなかの混雑ぶりだった。

金沢市とその周辺では、お盆の墓参りにあたり、
木と紙でできた箱のような「キリコ」を持参する風習がある。
箱の中に蝋燭を立て、迎え火・送り火にするのだ。
近年「箱キリコ」は、釘を分別したり廃棄コストがかかり、
火事の心配があるからと敬遠傾向。
掲載画像のような「板キリコ」が登場~普及している。

菊、鶏頭、蓮、カーネーションなど、カラフルな花々が墓石を飾る。
年に一度の大にぎわいだ。

さて、本日(8月15日)は「終戦の日」でもある。
75回目の「戦没者慰霊式」は、コロナサマーにより大幅縮小と聞く。
セレモニーに参加した事はないが、黙祷を捧げた。

【夏の風景と秋の気配。】


散歩中、とある民家の前で見かけた「家庭用ビニールプール」。
僕の記憶にあるそれ--- 円形または楕円形で直径1mくらい--- とは大違い。
縦2m×横1m×深さ50cmに及ぶ立派な物だ。
これなら、子供は充分楽しめるのではないだろうか。

やはり散歩中に見かけた葡萄棚に下がる房。
果実袋の中身は、マスカット系か?
爽やかな香りと甘い果汁を思い出す。
やがて来る秋の実りに、喉が鳴った。

<津幡短信vol.75>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殿下と姫姉さま。~ クシャナとナウシカ。

2020年08月14日 16時05分00秒 | 手すさびにて候。
コロナサマーの影響は、映画界にも及んでいる。
撮影・制作スケジュールが遅れ、新作の公開本数、観客動員数共に少ない。

配給側・映画館側も頭を悩ませている。
客足が戻らないと、話題作を出し辛い。
人には来てもらいたいが、感染拡大を招いてしまうかもしれない。

ジレンマに苛まれる中、「東宝」は「ジブリ」のリバイバル上映に踏み切り、
なかなかの興行収入を叩き出したと聞く。
僕も「風の谷のナウシカ」を、久々にスクリーンで観た。

ほんの手すさび手慰み。
不定期イラスト連載、第百四十九弾は「風の谷のナウシカ」のヒロイン。
「クシャナ(悪役レスラー風)」と「ナウシカ(ギャル風)」。

昭和59年(1984年)にされ公開された映画、
「風の谷のナウシカ」には、個人的に好きなシーンが2つある。

一つは、風の谷へ急行するガンシップ船内。

限界を超えたスピードに悲鳴を上げるエンジンを見て取り、
城オジ「ミト」が、たまらず進言する。
『姫様、無茶だ! エンジンが爆発しちまう!』
しかし、「ナウシカ」は、迷いなく毅然と言い放った。
『谷まで持てばいい!!』

もう一つは、王蟲の大群と対峙するシーン。

大地を埋め尽くす悪魔の如き騎行の前に、
未完成の巨神兵を従え、トルメキアの姫が立ち塞がった。
しかし、ドロドロと融け出す巨体を見て「クロトワ」は半ば諦念する。
『腐ってやがる、早すぎたんだ!』
それでも、「クシャナ」は力強く命令した。
『焼き払え!!』

消沈。
閉塞。
不安。
混迷。

もうダメかもしれない。
誰もが絶望する中で、2人の姫だけは違った。
己と未来を信じ、前を向いていた。

今こそ「殿下」や「姫姉さま」のような、
“強く導く者”が現れて欲しい。
そんな願いを込め、併せてパロディを塗(まぶ)してみたのが、今拙作。
荒ぶる「クシャナ」。
しなやかな「ナウシカ」である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱帯夜に贈る、ちょい怖。

2020年08月10日 22時28分30秒 | 日記
ここ北陸は「猛暑」である。
陽が落ちてからも、気温は下がらない。

35度以上の猛暑日となったのは、全国で174地点。
岐阜県・多治見市を筆頭に、富山市、奈良市、桐生市など、広範囲で38度を超えた。
明日(2020年8月11日)も同傾向、体温を超える所が出る見込み。
お互い、気を付けましょう!

--- さて、これだけ暑いと、街中の人影は少なくなる。
しかも、コロナサマーだ。
早朝散歩でも、子供たちがラジオ体操に出かける姿や、
虫捕りに興じる様子を見かけるのは皆無と言っていい。
一抹の寂しさを感じながら、汗をかきかき歩き「弘願寺」へ。

微かな川風を味わい一息吐いた時、
「腰掛」に描かれた童歌(わらべうた)が目に留まる。
子供たちが仲良く遊ぶ絵を見ながら、口ずさんでみた。

マイナー旋律にのった歌は、改めて考えてみると、
なかなか奥深く、情緒的。

「かごめ」は、籠目=お腹の中。
  あるいは、籠女=籠を抱いているようにお腹の大きい妊婦。
「かごのなかのとり」は、赤ちゃん。
「鶴と亀が滑る」は、縁起の良い2トップが滑る=悪い事が起きる(流産する)。

ちょっと、空恐ろしいのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする