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◆【東京新聞社説】年のおわりに考える/心操る火遊びの果てに//&大みそかに考える「歓喜の歌」とコロナ禍と

2021年12月31日 12時20分52秒 | ●YAMACHANの雑記帳
 一月六日。民主主義の断末魔を思わせる衝撃でした。米議会襲撃事件で明けた一年が、世界に「分断」の溝を広げて暮れようとしています。
 退(ひ)き際、選挙の負けを認めぬ大統領の支持者らが本気で選挙結果の転覆を謀った騒乱でした。
 差別や憎悪含みの怪しげなデジタル情報を操り、仮想敵を仕立てて身内を固め、政権を守る。四年続いたトランプ流分断政治の「末路」として事件は語られます。
 けれども本当は、退任後にも分断の根をつなぐための「集大成」だったかもしれません。現に分断は今も残り、その根をより深くしているように見えるからです。
 事件を調べる米下院の検証も、トランプ氏側が証言などを拒否し法廷闘争にもつれて越年です。

◆8年前の出会いと暴露

 対立の背後に浮かぶのは、次の大統領選でトランプ氏の復活を信じ込む厚い支持層が実在し、会員制交流サイト(SNS)などで強く結び付いている現実です。
 デジタル社会に仕掛けられた分断がなぜ根深いか。そして、この溝は埋められるのか。
 八年前の話にさかのぼります。
 その手記によれば二〇一三年十月。軍事用「サイバー兵器」などの開発で知られた英国企業の科学者を、ロンドンに訪ねて来る米国人がいました。米共和党が差し向けた、後のトランプ政権首席戦略官スティーブン・バノン氏です。
 二人は一六年の米大統領選をにらみ、後々トランプ政権誕生の原動力となる選挙システムの開発に乗り出します。SNS上の個人データを使い、有権者の性向に合わせた情報操作で既得権益層などへの反感をあおり、自陣への投票に誘い込む。際どい仕掛けでした。
 トランプ氏が尋常でなかったのは、これを選挙戦のみならず以後の政権運営にも応用したことでしょう。トランプ流分断政治の秘められた源流でした。
 しかし、秘密はほどなく暴露されます。一八年三月。米英メディアで報じられた内部告発の主は、バノン氏と組んだ科学者、クリストファー・ワイリー氏でした。告発に至る経緯は手記『マインドハッキング』(新潮社、牧野洋訳)にも著しました。バノン氏との出会いを紹介したあの手記です。
 それによれば、既に退社していたワイリー氏は、自分たちのシステムが当初想定と異なるトランプ陣営に流れ「反道徳的」な分断政治にも応用されたと知って驚きます。バノン氏の裏取引でした。
 「危険な火遊びで世界を燃え上がらせてしまった」。強い悔恨が告発を決意させたのでした。
 告発の中でワイリー氏が最大の罪悪と懺悔(ざんげ)したのは、手記の表題にもした「心への攻撃」です。洗脳にも似た操作で人の心を蝕(むしば)み、行動を促す。責任はとらない。人を人として扱わぬ非道でした。
 その罪悪感を同氏は、史上初めて使われた「心理戦版大量破壊兵器」とも表現しました。
 この種の心理操作は多分、先の議会襲撃でも仕組まれたのでしょう。米メディアによれば、臨場した警察官たちは議会証言で、「洗脳」された襲撃者らに受けた恐怖を、涙交じりに訴えました。
 「人種への罵倒を浴び続けた」「銃を奪われ殺されると思った」
 根深い心の傷は敵味方なく拡散していました。分断の修復に手は付かず、溝は深まる一方です。

◆真実を現実に取り戻せ

 私たちは無論、デジタル社会が次代の技術、文化革新を開く可能性の大きさは知っています。しかし、今回あらためて思い知ったのは、人心を玩(もてあそ)ぶデジタルの無規制であまりに危険な裏側でした。
 その情報が「嘘(うそ)か真実か」より「面白いか否か」に流される人間心理の隙も突かれました。
 でも現実の民主社会を貫くのはやはり「真実」の情報です。分断で衰えた民主主義の回復に、私たちが今できる備えは「嘘」に操られぬ強い心でしょう。
 真実を見極める力です。皆が信頼できる真実を暴き、歪(ゆが)めず、隠さず、共有してこそ、落ち着いた議論の上に民主主義も宿るはずです。それは日本も同じです。
 デジタル社会の分断を修復できるかどうかは結局、嘘や虚言に操られぬ人々の心。真実に基づく健全な民主社会を現実の世界に取り戻そうとする、主権者一人一人の意思にかかります。
 ただ、間に合うか。分断を仕掛ける権力者が今後も続けば、分断はもはや修復困難となり固定化します。動くならその前です。

◆大みそかに考える 「歓喜の歌」とコロナ禍と

 新型コロナウイルス感染症の拡大で始まった今年も今日で最後。変異株が次々と現れ、感染収束はまだ見えない中、徐々にではありますが、年末恒例の「第九」演奏会が各地で復活しつつあるようです。ベートーベン作曲交響曲第九番「合唱付き」です。
 コロナ禍が襲った昨年、感染拡大への懸念から、プロ・アマを問わず多くの第九演奏会が中止・延期されました。今年は客席数を制限するなどの感染防止対策を徹底することで、開催にこぎ着けたところも多いようです。
 例えば、福井県小浜市では十二月十二日、中部フィルハーモニー交響楽団(愛知県小牧市)の演奏に乗せて、市民合唱団や県立美方高校音楽部合唱団の「歓喜の歌」が文化会館に響きました=写真。
 一九九三年に始まった演奏会は昨年、中止となり、開催は二年ぶりです。今年はこうした演奏会が日本各地で開かれ、聴衆の心を揺さぶっていることでしょう。

◆「年末の第9」戦前から

 第九が日本で初めて演奏されたのは今から百年以上前の一九一八(大正七)年六月でした。第一次世界大戦中、徳島県板東町(現在の鳴門市)の板東俘虜(ふりょ)収容所に収容されたドイツ兵捕虜がオーケストラをつくって演奏し、八十人が男声合唱を響かせたのです。
 第九はその後、音楽学校の学生らによって歌い継がれ、二六(大正十五)年に誕生した本格的なオーケストラ、新交響楽団(新響、NHK交響楽団の前身)によるプロの演奏会も始まります。
 放送会館(旧NHK東京放送会館)が東京・内幸町に完成した記念として、三九(昭和十四)年五月二十日にスタジオからローゼンストック指揮、新響による第九がラジオ中継されました。
 新しいメディアとして登場したラジオの電波にも乗り、日本中に歌声が響き渡ったのです。
 そのときの新聞のラジオ欄を見ると、第九中継への期待の高さがうかがえます。国民新聞(本社が発行する東京新聞の前身の一つ)の曲目解説から引きます。
 「ひとりベートーヴエンの代表的作品たるのみならず、凡(およ)そ音楽史上の最高傑作と目される第九番交響楽は実に楽聖ベートーヴエン苦吟十年の結晶であり、その五十年に亙(わた)る音楽生活の総決算である。この壮麗なる音楽は器楽の到達し得る究極の世界を展開し、合唱付交響曲を創案以(もっ)て彼の至高の境地を表現せんとした」
 翌四〇(昭和十五)年には大晦日(おおみそか)の十二月三十一日に、第九演奏がラジオで中継されました。今も行われている年末の第九放送も、このときが起源とされます。
 しかし、翌四一(昭和十六)年の大晦日には第九は中継されませんでした。太平洋戦争が始まり、電波が統制されたからです。
 戦時中にも第九の演奏会やラジオ中継は続きました。出陣学徒が戦地に赴く前に聞きたいと願ったのも第九でした。
 でも、演奏会が広く復活するのは、終戦を待たねばなりません。音楽のみならず芸術・文化を日常から奪うのが戦争なのです。
 戦後、プロの活動に加え、全国各地で市民合唱団が結成され、第四楽章「歓喜の歌」に挑戦しています。大規模な「一万人の第九」も開かれるようになりました。歌声は日本中に響き渡り、すっかり年末の風物詩にもなりました。

◆打ち勝った証しとして

 その喜びを再び奪ったのがコロナ禍でした。多くの演奏会が延期・中止に追い込まれた昨年よりは状況が好転しつつありますが、今年再開にこぎ着けた公演でも、合唱団員は離れて立ち、マスク着用の合唱を強いられています。外国人の独唱者が入国できず、やむを得ず日本人の代演を立てた演奏会もありました。
 変異株の感染拡大もあり、コロナ禍の影響を完全に脱したとは、とても言えません。
 安倍晋三、菅義偉両氏は首相在任当時、東京五輪・パラリンピックを「人類がウイルスに打ち勝った証しとして開催する決意」と語っていましたが、結局、無観客での開催となり、コロナに打ち勝った証しにはなりませんでした。
 むしろ、何の制限もなく第九の演奏会ができるようになることこそが、コロナに打ち勝った証しと言えるのではないか。
 コロナの感染拡大を防ぐには、換気が重要な対策の一つですが、来年こそは、換気ならぬ「歓喜の歌」が各所に響き渡る一年でありたい。そう願う年の暮れです。

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