「開門」か「閉門」か−。約二十年にわたった諫早湾(長崎県)の堤防排水門を巡る法廷闘争は、最高裁の「開門せず」の決定で決着した。だが「宝の海」を再生する大事な国の責務は残る。
「ギロチン」と呼ばれた鋼板で湾が閉め切られたのは、一九九七年のことだ。
まもなく二枚貝のタイラギなどが採れなくなり、赤潮の影響で養殖ノリも大凶作に…。アサリやタコ、シャコなどがたくさん取れた「宝の海」だった有明海を異変が襲った。
「潮の流れが変わってしまったせいだ」などとして漁業者が訴訟を起こした。一方で堤防排水門を閉め切っての干拓事業は二〇〇八年に完成し、営農が始まった。「開門すれば海水が入って塩害が起きる」と営農者も訴訟を起こす事態となった。
福岡高裁は国に「開門」を命じ、当時の民主党政権が上告しなかったため確定判決となった。自民党政権に戻ると、今度は営農者の訴えを認めて「閉門」の判断が出て、司法判断にねじれが起きた。
政治に翻弄(ほんろう)されたと想像する。確定判決に従わない国は、開門命令の無力化を求める訴えを起こし、最高裁がこれを認めて「開門せず」の統一判断となった。
漁業者側の弁護団からは「憲政史上初めて確定判決に従わなかった国を免罪した」「司法の自殺行為だ」などと批判の声が上がった。当然の反発と受け止める。確定判決に従わない国の対応が問題を大きくこじらせ、同時に司法への不信が募ったからだ。
法廷闘争はひと区切りを迎えたものの、地域の対立と分断はあまりに深刻である。そもそも総事業費は約二千五百億円、無駄な公共事業、止まらない公共事業の典型という批判は根強く残っている。
司法ばかりでなく、政治の責任であることも明らかだ。大規模な農地造成などの国営事業は自民党政権が進めてきたものだったからだ。漁業に犠牲を強いてまで本当に必要だったのかと、国は自問自答してほしい。
赤潮の問題は解決しないまま今日に至る。漁業被害はなお深刻だ。漁業者の数も減っている。国が環境を破壊し、漁業者の生活も破壊したに等しい。そうした現実から国は目を背けず、有明海の再生は政治の責任と肝に銘ずるべきである。
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